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▼ 4




考えてみれば、最初から黒子の態度は異常だった。
赤司に紹介されたと言って人の家に上がり込み、食い物でこちらの機嫌を取った末に、執拗に連絡先を教えろと迫り。人のスマホに勝手に監視アプリをインストールするし、気付けば毎日部屋に居座って何をするでもなくだらだらと過ごし、事あるごとにニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべている。
明らかに挙動不審だ。だが今までオレがこの行為を許容してきたのは、こいつがキセキの世代の一人だったからだ。
こいつらは、バケモノだ。オレたち一般人とは日常からして異なるのかもしれない。
オレの場合は、特に疑問も持たずにその異常な日常態度を受け入れてしまった。

おかしいのはキセキの世代だから。キセキの世代ならば仕方がない、と。
すんなり納得していたのは、高校生活最後の一年間に積み重ねられた実績のせいだ。



だが、今の黒子の発言を聞けば、今までの奇行が単なるキセキの世代ゆえの異常性からではないと思い知らされる。

「じょ、冗談じゃねーよ、お前、そういうつもりでここに来てたのかよ…っ」
「いえ、あの、黛さん…」
「こっち来るな!」
「…っ」

急速に危機感が高まり、後ずさりをして黒子との距離を遠ざける。
強い口調で拒絶したせいか、黒子の目が大きく見開き。困惑した様子で口を動かそうとしたが、それよりも先にオレは声を発した。

「出て行けよ。二度とここに来るな!」

これ以上こいつが側にいたら、取り返しのつかない事態になると考えて。




「やぁ、千尋。ひさしぶりだね」
「…ここ来るのはキャンセルになったんじゃないのか?」
「予定が変わったんだ。千尋がテツヤを手酷く拒絶したという話を聞いてね」
「…お前、全部知ってたのかよ」

赤司がオレの部屋に現れたのは、ゴールデンウィークの最終日。一度は都合がつかなくなったと言ってきたが、今朝になってキャンセルの撤回を報せて来た。
オレはどちらでも良かったが、この訪問目的が黒子のためだと知ると途端に嫌気が差してくる。
かといって追い返すわけにもいかずに大人しく赤司を部屋に上げると、まず赤司は約束どおり、高校時代に貸した本を差し出してきた。
とっくの昔に読み古した小説は、べつに絶版になった貴重な本ではない。わざわざ返却しに来なくとも、勝手に処分してくれて構わなかったし、キャンセルの旨を告げられた際にそう言った。
それでも赤司がわざわざこの本を持参したのは。

「テツヤにお前を勧めたのは、この僕だ」
「…悪趣味にも程があるんじゃないか?お前、オレのことあいつにどう言ってたんだよ」
「特に何も。テツヤに合いそうな男がいると伝えただけだ。…あぁ、それから、お前の好物を」
「…それだけじゃないだろ。他にも、」
「高校時代の話は、テツヤにせがまれて話したに過ぎない。その時点でテツヤは、お前に好意を持っていたよ。僕がテツヤをけしかけたわけじゃない。彼は、自主的にお前を選んだんだ」
「選んだ、ね…。…赤司、やっぱりお前は嫌な奴だな。…何で、言ってやらなかったんだよ」
「何をだ?」
「オレがノーマルな奴だってこと。…お前らの常識はオレには分からない。でも、普通は…男が男好きになるのは、異常なことだ」

赤司がいま付き合ってる相手も男だということは、黒子から聞かされていた。
この発言は赤司を傷つけているかもしれない。いや、こいつもやはり異常な奴だ。一般の感覚を理解出来ないこの男は、偏見を述べるオレに憤りを感じているかもしれない。

「そこからしてオレとお前らは違うんだ。それなのに、」
「…へぇ。そういうことか」
「は?そういうこと…って」
「テツヤの話を聞いた限りでは、完全に聞く耳持たずの状態と思っていたけれど。…千尋、お前は少なからず、テツヤに関心を持っているね」
「…何言ってんだよ。オレはノーマルだって、」
「性癖がどうであろうと、お前はテツヤの心情を慮っている。だから、僕に抗議をしているのだろう?彼が、叶わぬ恋へ身を焦がすように仕向けた僕へ猜疑心をいだいている。違うか?」
「…いや、全然違うって」

赤司が仕組んだわけではないと言うのなら、それは正しいのだろう。疑ってはいない。
オレが言いたいのは、つまり。勧めるなら、性癖も含めてせめてもっとあいつに近い奴を勧めろっていう話だ。
何もキセキの世代はキセキの世代同士でくっつけとは言わないが、一般人のオレを標的にして勝手に盛り上がるのは、おかしいだろ。
オレの感覚は並だ。平凡な一市民だ。そんなオレがお前らの相手になるはずもないし、それが最初から分かっていれば黒子も、あんな風に傷付いた表情をオレに見せるハメには、

「……」

そこまで考えてはっとなる。思わず赤司の顔を凝視して。先ほどの自分の思考を反芻する。
いまオレは何を考えた?黒子が何だって?
なんでオレがあいつのことを気に掛けなければならないんだ?

「正しいのは、僕だ」
「…っ」
「お前は、同性愛についての偏見を持っている。それは至って当然だ。生物は生まれながら生殖本能を有していて、それに至る過程、恋愛の相手として正しいのは、異なる性器を有する固体。社会では異性愛が正当とされ、僕らもそう教わってきた。…だけど、千尋。僕は自身の経験を踏まえて断言するよ。恋は、そんな一般論や理屈で測れるものじゃない」
「あ、赤司…?お前、いきなり何…」
「たとえそれが、最初から恋愛相手として相応しくない者と認識していても、……突然、来るんだ」

自分の胸に手を当て、目を伏せた赤司は力説した。
いったいこいつは何が言いたいんだ。何でオレは今、赤司の恋のなれ初め話を聞かされているんだ。まるで分からない。これが、キセキの世代と一般人との違いか。いや。
こいつよりも、黒子の話のほうがまだ分かる。ような気がしてきた。

「…そして敦は逞しい腕で僕の体を抱き締め、耳元で囁いた。「ずっと好きだった」と…」
「…なぁ、赤司」
「何だ?」
「黒子が今まで付き合ってきた女…、いや、男って…、どんな奴ら、だったんだ?」

そう訊ねた途端、赤司の表情が「この至高なるラブストーリーを遮ってまで訊くようなことか?」と言わんばかりに歪んだ。だがそうとは口にせず、求めたものの答えを口にする。

「テツヤは自らのことをあまり口にはしないから、彼の嗜好については知らないとしか言えない。ただ、僕が推測した限りでは、テツヤが過去に愛した男はお前とは似ても似つかぬ…激情的な男たちだったよ」
「…ふーん」
「だけど、交際までは発展しなかった。なぜかは分からないけど、テツヤは恋愛に於いて報われたことがないらしい。…その点を見越した上で、僕はお前をテツヤに勧めてみたのだけどね」
「…ああ、それだ。オレは、黒子のタイプに当て嵌らないんだろ?なのに、お前は何で、」
「多くの失恋を経験して傷付いている今のテツヤが、燃え盛る炎のような情熱的な恋よりも、心穏やかで安寧な日々を求めているように視えた。…その相手としてうってつけの知人が、お前しかいなかっただけだよ」
「…は?」
「実を言うと、テツヤの初恋は僕が握り潰したようなものだ。恋の尊さを知った僕は、そのことを多少は気に留めていた。だから、せめてもの償いとして繋ぎの相手を紹介しておこうと思ってお前の住所を教えたのだけど。…まさかテツヤがここまでお前に没頭するとはね」
「……」
「だから、千尋。僕にとってお前の性癖がノーマルだろうとアブノーマルだろうと、関係のないことだ。お前は、大人しく、」

そこで言葉を区切った赤司の眼つきが急に豹変する。
ヤバイ、と感じた。その時はすでに遅かった。

「…ッ?!」
「お前はどうせこんなことにしか役に立たないんだ。微かなプライドは捨てて、テツヤの想いをその身で受け止めろ」
「な、何言ってんだ…?!つーか、何して…っ」
「決まっているだろう。テツヤを受け入れるための支度を整えるんだ。安心しろ、身を裂くような激痛は最初のうちだけだ」

あっと言う間に床に組み敷かれたオレの腹の上に赤司が跨る。抵抗をする間もなく両腕を縫いつけられ、獰猛な両眼で見据えられ。久しく感じていなかったこの男の視線による威圧感を、正面から振り下ろされたオレはどうする事も出来なかった。

頭蓋に警告音が鳴り響く。
これは本気でヤバイ。本物だ。冗談のようなことを真顔で口走る男だったが、その多くが冗談ではないことは知っている。つまり、今オレは。

「や、やめろ…!分かった、分かったから!」
「何が分かったんだ?」
「お前の言う通りにする!だから、この手を…」
「テツヤを受け入れる気になったのか?」
「…そ、それは…、」

ギリギリと。見た目にそぐわぬ馬鹿力で拘束され、いつかの記憶が蘇る。こんな目にあったのは、初めてじゃない。
あどけない顔をして。骨折の危機感を覚えるほど強くオレの手を握り締めたあの男が、そうなった原因は何だったか。
(ボクと赤司くんの有りもしない過去の親密な関係を疑ってやきもちを妬いた自分を認めてください)

必死なツラを、していた。
何を考えているのか一切読めない茫洋とした雰囲気を一変させ、食い下がるあいつのしつこさは容赦なく。手の甲が痺れるほど握り締められていた時、強い執念を感じた。

言っていることは良く分からないし、解放の条件は連絡先を教えるという一見して低リスクなものだった。
後々その条件がおそろしく迷惑な行動に繋がるものだったと体感させられるわけだが、少なくともあの時は。

嫌々ながらにアドレスを教えてやったあの時、上機嫌な様子でスマホを握り締めていた黒子に対し、不快な感情はあまりなかった。
それどころか。

(黛さん、何の本読んでるんですか?)
(黛さん、今日は何食べますか?)
(お昼はどうしてるんですか?)
(明日の予定は)
(次の休みは)

この部屋に来た黒子が、あまりうるさく喋り散らすことはなかった。
それでも、時々。何てことない日常的な質問をしてくる度に、感じていた特別な意識があった。

無意識に、オレは。


(ボクには黛さんが必要なんです。絶対に、誰にも…、あなたは渡さない)

あの言葉が脳裏に蘇った途端、オレは目を見開いて赤司の顔を凝視する。
「何だ?」
「いや…。…お前、相変わらず冷てぇ目つきしてるな」
「…そうかな?幾分か穏やかな顔つきになったと言われるけれど」
「見下してんだか見限ってんだか知らねぇけど、お前のその不要物に対する排他的な目つき、…わりと好きだったぜ」

ぽつりと呟いたその発言を受け、赤司はオレ以上に目を見開いた。
高校時代、赤司と言う後輩はオレにとって絶対的な存在だった。完璧な支配を受けていたと言っても過言ではないほど。赤司の存在感は、圧倒的なものだった。
だが、赤司自身はオレという人間に必要以上の干渉をしてこなかった。
関心が、なかったからだ。

べつに構って欲しかったわけでもないので、赤司との距離感はそこそこ快く思っていた。
高校を卒業すればふつりと途切れる関係だ。そう割り切っていられたし、実際に卒業した時は何のしがらみもなくあっさりと別れることが出来た。

そんなもので良かった。赤司と、オレは。
そしてこれは赤司に限定されたことではない。今も、部活の後輩はもちろんのこと、同級生ともろくに連絡を取っていない。
快適な生活を送れていた。誰の干渉も受けず、波乱万丈の欠片もない、平穏な日常を。

あいつがオレに関心を持つまでは。


「黒子とお前は同類かと思ってたけど、…全然違うな」
「…何が言いたい?」

鋭い目付きで見下ろされながら、オレの口端からは空気が抜けるような笑い声が漏れた。
こんなこと、知りたくもなかった。壊された日常は、時間の経過で勝手に修復されていけばいいと思っていた。
だが、気付いてしまった。

「なぁ赤司。お前が黒子に何したか知らねぇけど、あいつに罪滅ぼしがしたいってなら、…そこ、退いたほうがいいぜ?これ以上オレに何かすれば、あいつ多分、…また泣くぞ」


この部屋にあいつが訪れるようになり、変わったことがある。
それは、常時感じるあいつの視線。

高三の冬の大会で、ベンチに下がったあいつに食い入るような眼差しで観察され続け、ぞっとしたことを思い出す。
赤司の凍りつくような乾いた眼差しとは違う。その逆だ。オレを見詰めるあいつの視線には、特殊な感情が込められていた。
執着、だ。

「テツヤが泣く?まさか。お前如きが犯されたくらいで気を病むほど、彼は脆弱な男ではない」
「…お前の価値観なら、そうかもしれない。でも、あいつは違う」
「へぇ。…お前に、テツヤの何が分かる?」
「何も分かんねぇよ。ただ、」

赤の他人の思考回路など、常人は理解できない。
それでもあいつの視線は、はっきりと。これでもかと、伝えてきた。

この身に。

「…あいつが、めちゃくちゃオレを好きだってことは、分かったよ」



目を逸らし、ぽつりと呟く。
この事実だけは、認めるより他はない。

この世界の誰よりも。もしかしたら、家族以上にオレに愛着しているたった一人の存在を。










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