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僅かに緊張した指先を丸め、拳を作り、執務室のドアを軽く二回ノックする。

「提督、失礼します。演習結果の報告に参りました」

この動作をするのが、随分と懐かしく思える。
少し前までは日に何度も行っていた習慣だった。

「……赤司か。入れ」

ドアを隔てた向こうから、短い返答の声が聞こえる。
すっと息を吸い、ドアノブに手を掛け。その重い扉を、ゆっくりと開いた。


「……提督?」

その途端、赤司はぴたりと身動きを止め、唖然とした面持ちで立ち尽くす。
ドアの向こうに、提督の姿がある。だがそれは、赤司の想定していた様子とは随分掛け離れたものだった。
机に突っ伏した体勢の虹村は、赤司が入室しようとも顔を上げることをしない。
不思議に思いながらも再び声を掛ける。

「報告を、申し上げてもよろしいでしょうか?」
「…いや、それはいい」
「え?」
「…この目で見てきた。…ったく、心臓に悪ぃ闘い方しやがって」

押し殺したような声でそう言いながら、ゆっくりと虹村は上体を起こす。
前髪を掻き上げ、はぁ、とため息をつく彼に、赤司ははっとした。
「先ほどの演習を、ご覧になったのですか……?」
「…おう」
「それは……、無様な姿を、お見せしてしまいましたね」

開始早々、敵の砲弾を浴び、青峰に庇われた失態を思い出し、赤司は所在なさげに俯く。
あれを提督に見られていたとは。予想外の事実に、ただただ反省するばかりだ。

「実戦では、あのようなことがないよう心掛けます」
「本当だぜ。……あー、やっぱ見に行くんじゃなかった」
「お見苦しい面を、」
「……抱き締めんのは、まだガマン出来ると思ってたんだけどな。……やっぱ、無理」

ぼそりと呟いた虹村が椅子を立ち、言葉の意味が分からず呆けたまま虹村の動きを目で追う赤司の眼前へ移動する。
「て、提督……?」
やけに険しい表情で自分を見据える虹村に、赤司は焦燥する。
たしかに、虹村艦隊の旗艦としてあってはならない姿を見せてしまった。演習中に油断して、随伴艦に甚大な被害を齎すなどとんだ失態だった。
だが、まさか。殴打の罰を受けるほど、自分は提督を怒らせてしまったのかと動揺し。

「も、申し訳ありま、」
「目ぇ閉じろ」
「え?」
「早く」

それほどまでの罪を、自分は仕出かしたらしい。
決して表情の緩む様子のない虹村に、覚悟を決めた赤司は両目蓋を下ろし、視界を塞ぐ。

だが、赤司が想像していた衝撃は彼の身に発生しなかった。


「え……?」
「……目、開けていいぜ」

左腕を持ち上げられ、指先から何か硬質な、リングのようなものを通される。
虹村の許しを得て、ゆっくりと目蓋をあげた赤司の視界に、窓からの陽射しを受けて白く反射する金属が、映った。

「提督……これは……」
「うちじゃ、お前が初めてだからな。知らねぇだろ?こいつはなァ、」
「……ケッコン指輪……?」

自分の左手に真っ直ぐ視線を向けたまま、最小限の口の動きで赤司は呟く。
つい先ほどの演習前に、初めて耳にしたものだ。
それに意識を奪われ、赤司にしては珍しいミスが演習中に発生したことなど、虹村は知らない。

「おう、知ってんの?」
「……演習相手の旗艦より伺いました。…それでは、提督、あなたは……」
「あぁ。……正式にお前に、ケッコンカッコカリを申し込む」
「……」

それは、練度が上限に達した軍艦の性能をより高く引き伸ばすことが可能な契約に過ぎない。
だが、彼は言っていた。人間社会では、男女が結ばれる意味を持つ概念と、同一の契約名称なのだと。

「提督、オレは……」
「一応、お前ら軍艦にも拒否する権利はある。嫌なら断ってもいいぜ。ただ、オレの部下としてはこの指輪を外すことは許可できない。書類一式にもサインはさせる。お前には、今後もオレの秘書艦として働いて貰うからな」
「……」
「あともう一つ、お前が拒否出来ないことがある。暴れんじゃねぇぞ?」
「え?……っ!」

宣告のあと、顔を上げかけた赤司は息を飲む。
再び視界が塞がれてしまう。だが、いま自分は目を見開いている。
おかしいのはそれだけじゃない。
全身を包む圧迫感は、どのように齎されているのだろうか?

「て、提督…っ?!」
「命令じゃねぇぞ?……命令じゃ、ねぇ。でも、……頼む、受け入れてくれ」
「……っ」

締め付けられているのは外装だ。
艤装をすべて解いているとは言え、赤司の体は本来鋼鉄物で出来ている。
人間である虹村の全腕力を持ってしても、赤司にダメージを与えることなど不可能だ。
それでも、いま。虹村の腕の中で、赤司は、その身の内部に決定的な衝撃を打ち込まれる。

「好きだ、赤司。……オレと、結婚してくれ」



どこか悲痛感を滲ませるその声に、軍艦としての性能をより高めて艦隊に貢献しろという響きは一切感じられなかった。
誰が聞いても、愛の告白としか思えない。
この要求に応えられるのは、他の誰でもなく。赤司ただ一人なのだと、虹村は全身で訴える。

「提督……」


かつて赤司には、自身の奥底に封じ込めた願望があった。
強欲で浅ましく、恥じるべき感情。堅剛な艦隊を作るために、存在してはならないものだと判断し、切り捨てたはずの望みだ。

だが、虹村に強く抱き締められた状態で、赤司の両腕は彼の背中を彷徨う。
求めに応じても、いいのだろうか。
虹村艦隊には、歴史に名を残す武勲艦が多数所属する。その名に恥じることのない強さも得た。その、今ならば。

ありのまま。
すべての感情を、解き放つことが可能なのだろうか。


そっと、赤司の震えた指先が虹村の軍服の背を掴む。
頬を寄せ、静かに。消え入りそうなほど微かな声で、赤司は。

「オレも、あなたを、愛しています」



曝け出された純粋な想いは、虹村の胸中に震えを齎す。
「誰よりも強くありたい。誰にも、負けたくはない。あなたの秘書艦としての立場も、譲りたくはない。……常にあなたの側に在り、あなたの愛情を受け止めたい」
「赤司……」
「こう見えてオレは貪欲な性質なのです。許されるものならば、あなたの人生に添い、最期まで……この腕の中を自身の還るべき場所と定めながら歩み続けたいと、願います」
「……奇遇だな、赤司」

抱き締める腕の力が緩み、赤司は虹村の顔を見上げる。
そこには、険しさを捨て去り、幸福に満ちた穏やかな眼差しがあった。
その彼の唇は、うごく。

「オレも、お前にそうさせてぇってずっと思ってたんだ」




くちづけは、まごうことなく、永遠の愛を誓う儀式となる。
窓から差し込む太陽の光は、赤司の左手薬指にぴったりと収まった指輪を祝福するように照らし上げ。

赤司に架せられた制約は、この時すべて、解放された。








「では、明日の艦隊メンバーを発表する。旗艦は青峰、随伴艦に緑間、紫原、黒子、それに護衛艦として駆逐艦を2隻つける。出撃海域は……」
「ちょっと待った赤司っち!!オレは?!」
「この海域に出撃するための練度が不足している。黄瀬はオレと共に鎮守府に残り、演習を複数回行う。いいね?」
「また演習っスか……。たまには実戦に出してくれないと、オレも錆び付いちゃうっスよぉ…」
「問題ない。整備はきちんと取り行っているつもりだ。……その力は、まだ温存しておきたい。お前は我が艦隊の、大事な秘密兵器だ」
「ひみつへいき……?」

和やかな赤司の笑みに、黄瀬はまんざらではない様子を見せる。
そんな二人のやり取りを見ながら、呆れた表情で青峰は隣に立つ緑間に告げた。

「赤司の奴、マジで黄瀬の扱いウメェな……」
「あいつは馬鹿だからな。比較的扱い易いにしても、……秘密兵器とは、良く言ったものだ」
「あ?あいつ何かスゲェ技でも持ってんの?」
「「キセキの世代」と呼ばれた時代の黄瀬は、やはり6隻のうちで最も艦隊の加入が遅かった。それにも関わらず、短期間で他に引けを取らない数々の武勲をあげている。その黄瀬が、最上限……赤司同様、ケッコンカッコカリを行い、軍艦として完成しきれば、……後は分かるだろう」
「……それ、ねぇんじゃねーの?オレらの提督、虹村サンだぜ?」

過去に、ケッコンカッコカリの概念が存在したかどうかは知れないが、恐らく、現在の提督は赤司以外の艦とはその契約を結ぶことはないだろう。
事実、青峰は本人からそういった旨の宣告を受けている。

(お前らには悪ぃが、オレはもう二度と指輪を用意するつもりはねぇ。違ぇよ、アレ結構高ぇからじゃねぇって。給金3ヶ月分くらい、オレにとっちゃ余裕だっつーの)

虹村が月にどれだけの収入を得ているかは探るつもりはないが、その時の会話を思いだし、青峰は苦笑する。

(だから、もしお前らが現在の上限以上の練度を目指して強くなりてぇってなら、転属先を斡旋してやってもいい。その時が来たら、もっかい聞いてやる。あ?……べつに、お前一人欠けようが、大した穴じゃねーよ。オレには赤司がいるんだぜ?)

やに下がったその顔には呆れたが、そこまで言うのなら。
どこまで虹村が赤司一筋でいられるのか、見届けてやりたい気分になった。


そして、こちらも。



「そういや赤司、一個お前に内緒にしてたことがあんだけど」
「何だ?」
「お前らがケッコンする前、オレがお前の代わりに秘書艦やってた時あんじゃん?あの時、提督のやつ、お前と間違えてオレにキスしよーとしてたぜ」
「……」
「おい、青峰!そんな話は……」

独身時代の過ちを告げ口する青峰に、赤司は唇を引き結んでしばし沈黙する。
赤司の心境を慮り、緑間が制止に入る。だが、すぐに赤司は口元を緩ませ。

「そう言った間違いは誰にでもある。いちいち焼き餅を妬くほど、狭量ではないよ。それに、現在の彼がそうした過ちを犯すことはないとオレは自信を持って断言できる」
「へぇ?余裕じゃん?」
「嘘のつけない方だからね。日中は平静を装っていても、夜戦に持ち込めばすべて白状してくれる」
「……は…?」
「赤司っ!昼間からお前は何を言ってるのだよ!!」


不意の爆弾発言により、その場にいた面々を唖然とさせた赤司は無邪気とも取れる笑みを浮かべ。



「ケッコンカッコカリの回数増加については、オレから提督に打診を重ねている。お前たちの練度が上限に達し次第、指輪の発注を行ってしまえば、提督も実行せざるを得ないだろう」
「勝手に指輪の発注を…?赤司、お前はそんなことが出来るのか」
「不可能なことじゃない。……オレは、虹村提督の秘書艦だ」

揺るぎない自信を掲げ、赤司は彼らに嘆願する。

「だからどうかこの先も、お前たちの力を我らが虹村艦隊に貸してくれないか?」



たった一隻の軍艦に骨抜きにされ、他の軍艦の成長を蔑ろにして艦隊運営に影響を及ぼす提督よりも、よほど提督らしい優れた判断力と先導力を兼ね備えた赤司の言葉に、拒絶を示す者はひとりもいない。

虹村艦隊には赤司がいる。
その事実が、かつて「キセキの世代」と称された伝説の艦隊の記録を塗り替え、この海に平和と安寧を齎す未来を、彼らはおぼろげに予感した。











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