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便所を出て洗面所に行くと、鏡と睨み合いをしている黄瀬がいた。

「どけよ、邪魔だよ」
「…今忙しいんス。手なら台所で洗って」
「…どこに寝癖があんだよ?」
「ここっスよ!あーもー最悪。この忙しいのに…」

過去にも何度かこういう朝の光景を目撃したことがあるが、寝癖一つあるかないかで黄瀬の機嫌は大幅に上下する。
右側頭部を押さえつけて仏頂面をしている黄瀬の顔を鏡越しに確認すると、今朝は駄目なパターンだったらしい。
オレからして見ればどこにあるのか分からないささやかな髪のハネを、いっそシャワーでも浴びたほうが早いんじゃねぇかってくらいの時間を掛けて伸ばす黄瀬のこだわりに口出しした日にゃどこまで機嫌が下降するか知れたもんじゃない。こういう時は何も言わずに退くのが懸命だ。

そうして黄瀬の言うとおり台所で手を洗い、歯を磨き、出掛ける準備を終わらした頃、漸く髪との格闘に決着をつけた黄瀬が洗面所から出てくる。
まだ着替えも済ませていない黄瀬がその手に持ってる何枚かの服を見て、オレは若干の煩わしさを覚えた。

「ねー青峰っち、この服とこっち、どっちがいいと思う?」
案の定、優柔不断なことを言い出した黄瀬に言いたいことがあった。
「…昨日寝る前に決めてたじゃん」
「でも、実際着てみたらイメージ違ったんスよ。この色だとやっぱこっちのが合うし、でもそーすっとインナーこれだと変な感じなんスよねぇ。あと、今日陽射し強いからやっぱ帽子かぶりたいし、これで合うかなー?」
「…合うよ、それにしろ」
「えー、でもなぁー?」

人に意見を求めておいて「でもなぁ」と悩みを続行する黄瀬が着替えを完了させるまで、もう少し時間がかかりそうだ。無駄な時間を省くため、あんだけ時間かけて頭矯正したのに結局帽子かぶるのかよ、というツッコミもしないでおく。
見た目を繕うことに関して、黄瀬は一切の妥協を許さない。
出掛ける時間が違う日は一人で勝手に悩んで勝手に結論を出しているが、今日みたいな日はオレを巻き込むから煩わしさが一気に増す。

お前、何着ても似合うからそのままでいーよ。
なんて言ったところで、どうせ黄瀬は納得しない。
だからと言って無視を貫けばいっそう機嫌を悪くする黄瀬の相手をするのは、骨が折れるとしか言いようがない。

とは言え、出発の時間はもう過ぎている。
「黄瀬、いい加減にしねぇと置いてくぞ」
「へ?あ、もぉそんな時間?!ちょっと待って、日焼け止め塗ってない!」
「…そんなもんいらねぇだろ」
「駄目っスよ!変な焼け方したらオレあらゆる方面からお叱り受けるんスから!」
ようやく決断した服に着替えてからも、黄瀬の外出前行動は終わらない。女みてぇなことを言いながら馴れた手つきで露出した肌にクリームを塗りたくってる黄瀬を眺めながら、やはり思う。面倒くせぇ。

身支度を終え、玄関を出てからも黄瀬の面倒くささはまだまだ続く。
「あ、待って青峰っち!携帯忘れたかも!」
「あぁ?…んなもん、置いてけよ。どうせ今日は一日オフで連絡取る予定もねぇんだろ?」
「いや、でも、何があるか分かんないじゃないっスか!ちょっと待ってて、すぐ取ってくるから」
「…黄瀬ェ」

携帯を携帯することに関してあまり執着のないオレからすると、ここまで携帯の携帯にこだわる黄瀬はもはや依存症の領域に突っ込んでんじゃないかと疑う。
たしかに家にいてもしょっちゅう携帯をいじくってる黄瀬だ。所持していないと思えばそれだけで落ち着かない気分になるのかもしれない。が。

「このまま行くぞ」
「えーっ、やだ、ちょっと待っててよ」
「ヤじゃねーよ。使わねーもん取りに帰ったらマジで間に合うもんも間に合わなくなんぜ」
「すぐ戻るから!」
「だったらこれでも持っとけ」

頑なに引き返しを希望する黄瀬にイラついて、とうとうオレは自分の携帯を黄瀬に突き出す。
思わず、といった顔で受け取った黄瀬はキョトンとしながらも手の中の携帯とオレの顔を見比べて。
「あの、これ持っててもオレ誰とも連絡取れないんスけど」
「テツとかさつきの連絡先は入ってんだからいーだろ」
「いやいや、そりゃ…。…ハァ、もぉ、分かったっス。これでいーよ」

呆れ顔でため息をつきながらもオレの携帯を自分の服のポケットにしまった黄瀬の機嫌は、意外にもさほど下がってはいないようだ。それどころか、むしろ。

「…オイ、何考えてんだよ」
「んー?暇つぶし必要になったらこの携帯で何しようかなって思って。とりあえず、メール履歴は全部チェックするっしょ?」
「……」
「あといっぱい写真撮って保存しとこう。青峰っち普段写メ撮らないしね。オレとの思い出でこの携帯いっぱいにしといてやるっス」
「…好きにしろよ。…あ、でも」

玩具を与えて上機嫌になるのは、鼻っ垂れのガキだけかと思っていた。
だがどうやら大学生の野郎でも、それは同じことらしい。綺麗に身なりを整えた黄瀬がニコニコ笑ってんのを横目で見ながら納得する。もしくはこんな身なりをしていても、中身は鼻っ垂れのままなのか。どっちにしろ、今言わないと後で機嫌を損ねることになりそうなことだけ、教えておく。

「オレの携帯、昨日充電してねーから電池あんまねぇぞ。無駄遣いすんなよ?」
「ハァ?!…うわ、マジだ!何なんスかもぉー、青峰っちのバカァ!使えねー!やっぱ戻る!」
「…マジかよ」

すぐさま携帯の電池容量を確認した黄瀬はさっきまでの上機嫌をひっくり返し、さんざん喚き散らしてからくるりと踵を返して走りだした。
これはもう、今日の目的は遅刻確定だ。

「…っと、面倒くせぇ奴」

ダッシュで家に引き返す黄瀬の背中を眺めながら、朝から何度も抱いた感想をぼそりと呟く。
中学の頃から数えたら、何度こう思ったことだろう。見た目やバスケの実力はみるみるうちに成長するくせに、中身は知り合った頃とまるで変わりない。

小さなことへのこだわりが強くて、若干神経質でもあり、気に入らないことがあればすぐに臍を曲げる黄瀬と付き合い続けるのは厄介で、時々はあっち行けと追い払いたい気分にもなるものだ。
それでもめげることなく近寄ってくる。ふてくされても、怒っていても。
それでも結局オレが好きだと、顔面一杯に示しながら側にいる。黄瀬の性質は非常に悪質だ。

「お待たせっス!あーあっちぃ」
「…どーすんだよ、時間」
「へ?…あー、こりゃもう完全に間に合わないっスね」

戻ってきた黄瀬は汗だらだらになりながら時計を確認し、さほど落胆した様子もなくあっさりと現実を受け入れる。そして。

「まぁいーや。前売り券もったいないっスけど、次の公演時間のやつで。思わぬ余裕が出来たっスね、青峰っち!買い物でもしよーよ」
「…しねぇよ。メシ屋で時間潰そうぜ」
「えー、せっかくのデートなのに!一緒に服見に行こうよ」
「行かねぇよ…。お前、買い物長ぇんだもん」

どうしても見たい映画があるから休みを合わせろと言ってきた黄瀬がこうなのだ。予定通りに事が運ばなくて苛立つ理由は、オレ側にはないはずだ。
それでもあっけらかんと予定変更を言い出す黄瀬には、振り回されている気がしなくもない。

こいつはオレを自分勝手だのわがままだのなんだの言うが、そりゃこっちの台詞だっつーの。

「でもこないだ青峰っちに似合いそうな感じの店見つけたんスよー…。絶対カッコイイから、試着だけでもしてかない?」
「…オレのはいーよ。自分のにしろ」
「え?いんスか?そんじゃ、遠慮なく!」

こうして結局黄瀬の用事に付き合わされることになっても。
いつ見ても完璧な容姿を繕っている黄瀬の努力の結晶である白くなめらかな肌と、上機嫌な満面の笑顔を見ると文句も出なくなるオレは、こういう黄瀬のことが案外気に入っているのかもしれない。












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