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▼ 2




その日の部活前。体育館で。
オレの左目周辺を彩る青黒い痣を見た途端、赤司はさっと顔の色を失くして駆け寄ってきた。

「は、灰崎…なんだ、その無様な顔は…?」
「…テメェ、言うに事欠いてそれかよ!」
試合中でも冷静さを見失うことのない赤司が、今オレの眼前でうろたえているのは一目瞭然だが、動揺していてもムカつく言い回しを忘れないこの冷徹男に文句を言いたくなるのは仕方がない。
だが今はそれについてとやかく言うよりも。

「オイ、赤司!テメェ、何勝手なこと言ってんだ!」
胸倉を掴み、激昂をぶつける。赤司は無抵抗で、揺らぐ視線をオレに注いだ。
「彼に…聞いたのか」
「聞いたっつーか、聞かされたっつーか…、とにかく!テメェのせいでオレはなぁ!」
「…こっちに来い」

なにやら思い詰めた表情をしているようには見えるが、どうせ演技だ。こいつのこの手にオレは引っ掛からない。そう意思を固めて、赤司の誘導に従い体育館を後にする。
渡り廊下の手前で進路を変え、体育館の出入り口からは死角になる場所で足を止めた赤司は、やはり深刻そうな表情でオレを振り返った。

「……痛むか?」
「あぁ!超痛ぇよ!!」
「そうか…。それで、彼は?」
「あ?…べつに。なんか、オレは認めんぞ!とか言って帰ったけど。…認めるも何も、なぁ、赤司?なんでオレがお前のオトコってことにされてんだよ?」
遠慮するつもりはハナからない。ストレートに訊ねると、赤司は視線を斜め下に据え、困惑と諦めの色が混じった声で話し始めた。

「告白…というのか?彼の気持ちを伝えられたあの日、オレははっきりと断りを入れたんだ。だけど、彼はオレをどうしても諦めてはくれなかった。…情けない話だけど、オレは彼に体を拘束されて、なすすべもなく戸惑った」
「は…?な、なんだよそれ…。…それって…」
「お前の罰トレーニング中、主将に呼び出された日のことだ。…主将が来てくれなければ、オレは…」

当時のことを思いだしたのか、赤司はすっかり俯いて両手で自分の体を抱き締めるように身を縮めた。
可哀想、などとは思えない。だからって、なんでオレがあの鬼熊野郎に殴られなければならないんだ。

「主将が話をまとめてくれて、その場は何とか丸く収まった…、と思っていたのだけど」
「…しつこく言い寄られたのかよ?」
「…生まれて初めて、他人に恐怖を感じた」
「マジで?お前が?」

オレと目を合わせることもなく俯いたままの赤司がこくりと頷く。普段の赤司からは想像もつかないほど弱弱しいその姿が、演技だとは思えなくなってきた。
そりゃ赤司はバスケ部の中じゃ小柄の部類にカウントされてもおかしくない体格の持ち主だ。あの熊男に捕まったら、撃退するのもひと苦労だろう。だが、チビでもこいつは赤司だ。さんざんオレを嬲って来た生意気で傲慢で口の上手いこの男が、他人に怯えさせられる日が来るとは。

「…そんで、腕掴んだ時にビクビクしたり、男と二人きりになるのを避けてたってか?」
「……そうだ。認めたくはないが、オレは抵抗不能となる事態を恐れている」
「へぇ。…で?オレの名前出したのは、お前の作戦ってやつ?」
「いや。…主将からの助言を受けて、…背に腹は変えられないと思った」
「…やっぱり、あの野郎の仕業か…」

いくら赤司が小賢しい奴だと言っても、こいつは割と正義感の強い節がある。他人に迷惑が掛かると承知の上で偽装恋人を仕立て挙げるなど、赤司の発想らしくはない。
だが虹村。あいつならば、言いそうだ。

「決断したのはオレの意思だ」
「…明らかに人選ミスだって思わなかったのかよ?つーか、普通に女の名前出せばいーだろ、そういうのは」
「そんなことは出来ないよ。…好意を寄せる相手が他にいると言っただけで、彼の目つきは狡猾なものに変わった。…本来彼は直情型で、激昂すると冷静な判断が行えなくなる性質のようでね。下手に無関係な人物の名を挙げれば、取り返しのつかない事態に発展する恐れがあった」
「いや、すでに取り返しのつかない事態は発生してんだろ。見ろよ、このカオ」
「……」

漸く視線を上げた赤司が、ぐっと表情を歪ませる。
珍しいツラではあったが、からかうよりも先に言うことがある。

「…なんで、オレなんだよ。女が無理でも、他にいんだろ」

バスケ部では小柄な部類に属する赤司よりもガタイのいい男はいくらでもいる。紫原や緑間なんかは、オレよりも仲がいいはずだし、頼めば軽く了承していたかもしれない。
何なら虹村でも良かっただろう。もともと、虹村が橋渡しをしたせいでこんなことになったんだ。責任を取らせるなら、奴が適任だ。
少しの沈黙を挟み、赤司はくちびるを動かす。視線をオレの目に合わせたまま。

「…体格が良く、殴打に馴れているお前ならば問題ないと」
「虹村が?」
「あぁ。…それから、」

虹村の言いそうな理由を暴露したあと、赤司はさっと視線をずらし。また軽く息を吸い、先ほどよりも声のボリュームを落として吐く。

「お前が、オレを気に掛けていると。…そう聞かされて、魔が差した」



残念ながら、心当たりがないわけではなかった。
赤司の様子がおかしいことは、正直気になっていた。虹村に探りを入れた。その時。あいつはニヤニヤしながら言ってきたっけな。

(そんなら、あいつに協力してやれよ)


「あの野郎…ッ」
「灰崎?」

憤りの方向が赤司から完全に逸れ、自分を陥れた張本人へ向かう。
オレが怪力野郎に殴られたのは、虹村のせいだった。自分でボコボコにするだけじゃ飽き足らず、あんなモンスターを送り込むとは。オレにどんな恨みがあんだよ。
「灰崎、虹村さんは、オレの…」
「お前のためを思って言ったんじゃねぇよ、絶対ェそうだ!あのドS野郎はどう考えても、」
「お前を選んだのはオレだ!」

憤りを遮るように、赤司は声を張り上げる。
思わず恨み言を中断すると、強い眼差しをぶつけられた。

「な、なんだよ…、虹村のこと庇ってどーすんだ」
「庇っているわけじゃないよ。ただ、…誤解しないで欲しい。オレは、虹村さんの助言を受け、検討を重ね、それから実行に移した。お前ならば、この状況を打破してくれると信じて」
「……は?」
「揉め事に馴れている。腕っ節も強い。そして何より、…好奇心でも野次馬根性でも、お前はオレの身を気に掛けた」
「そ、そりゃ…」
「…万が一の事態を考えたとき、必要なのは可能性だ。灰崎、オレは、お前ならば」

真剣な目でじっと見据えられ、息が止まる。
オレが相手ならば。赤司は言う。

「好意を寄せている証拠を提示出来ると、判断したんだ」


手を伸ばし、赤司の胸倉を掴み上げる。
赤司は抵抗しない。ただじっとオレを見上げ、黙るだけで。何もせずに、オレの言葉を待っている。
ぶん殴ってやろうかと思った。勝手な判断下してんじゃねーよ。オレに迷惑掛けんな。テメーのことは、テメーで何とかしろ。そんな気持ちから。
だが腕が動かない。殴るよりも別にしたいことがあって、顔を寄せる。

ぎゅっと目を閉じ、迎え撃つ。
殴られるよりも衝撃の強い攻撃だと、言わんばかりの様子を見せて。

思い通りに、その無防備な唇に一発かましてやった。





「と言うわけで、申し訳ありません。オレは、あなたの好意に応えることはできません」
「赤司くん…、…いや、だが、オレは諦めんぞ!」
「いや、諦めろよ。コイツがオレがいいっつってんだ。なァ?セイジューロー?」
「…あぁ。誰よりも愛しているよ、祥吾」

改めて謝罪に行くと言う赤司に連れられ、鬼熊の元を訪れたオレはこれ見よがしに赤司の肩を抱き寄せて相手に見せつける。赤司の表情は軽く引き攣っているが、額に青筋を走らせ怒りに震えている目の前の男は気付いていないようだ。

「…分かった。だったら、聞かせてくれ。赤司くん、君はいったいそんな不良のどこがいいんだ」
全然諦めきれてない未練がましい男の問いに、赤司は淀みなく答える。
予め準備しといた回答だ。当然の態度を、横から眺めながら。
一つ、聞いていない言葉を聞かされる。

「そして何よりも、この男は経験豊かなだけあってセックスが上手い。…オレも過去に何人も相手にしてきましたが、灰崎とオレの相性は抜群です。何度でも交わりたくなるほど、極上の快楽を与えてくれます」
「…お、オイ?赤司…?」
「赤司くん…?」
「あの味を知ってしまえば、離れられなくなるのは当然です。…今も、こうして寄り添っているだけで、身が焦がれます。…祥吾、今日は早めに帰宅して、たくさんオレを可愛がってくれ」

言いながらオレを見上げてきた赤司の視線の、艶っぽいこと。
なんだこいつ。何言ってんだ。いやマジ、お前そういうキャラじゃ、

「赤司くん…!き、きみは、そんなふしだらな男だったのか…!」
「えぇ。オレも男ですから。性欲求が強いことは、自覚しています」
「オレの赤司くんはそんな子じゃない!…くそっ!」
「ご期待に沿えず、すいません。…行こう、祥吾」

鬼熊が号泣している。その姿を一瞥した赤司は、オレの腕を引っ張り、この場を立ち去る。
そして完全に鬼熊の視界から消えたところで、オレは聞く。

「なぁ、赤司、…今の」
「…彼の、オレに対するイメージを破壊させて貰っただけだ。どうやら彼はオレに、清廉潔白な印象を抱いていたらしいからね。きっぱりと諦めて貰うには、嫌悪感を持たせるより他はない」
「いや、それにしても…露骨過ぎんだろ」
「効果は確認できただろう?」

そう言う赤司の横顔に、先ほどまでの艶っぽさは一切ない。
演技だったのか。マジ、とんでもねぇ男だ、こいつは。

「それに、この手段はお前がオレの芝居に付き合ってくれると言った時に思い付いたものだ。お前がいなければ考えつきもしなかったよ」
「…オイ、赤司。お前オレのこと何だと…」
「感謝している」

そうして見せた笑みに、艶っぽさはやはりない。たまに見かける、やや幼い印象を受けるまともな微笑だ。
そいつを見せられるとオレも何も言えなくなり。代わりに、ちょっとした欲求が芽生えてくる。

「なぁ、赤司」
「なんだ?」
「その、…どーせだし、一応、証拠作っといた方が良くね?あいつに探りいれられたときのために…」
「証拠?」
「だから、オレとセック、」
「考えておくよ」

まさかの色好い返事に、思わずオレは「マジで?!」とがっつく。だが、今の赤司は、元の赤司だ。

「先日の罰トレの続きがまだだったな。あれを達成し、その後にお前の体力が残っていたなら。…付き合ってもいい」

いやたぶんそれ、鬼熊と殴り合いでお前を奪い取るよりも無理な話だわ。











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