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▼ 紫赤



敦の機嫌は日に日に悪化の一途を辿っていた。
その原因は、家族の誰もが察している。
この家の主であり、彼らの保護者に当たる男が、この数日間、連日の様に深夜帰宅を果たしているせいだ。

「征十郎っち、今日も遅いんスねー」
「涼太くん、征十郎くんの名前を出しちゃダメです」
「へ?…あ。ゴメンゴメン、敦っち」
「……うっさいな。話し掛けんなよ」

長男である真太郎が準備した夕食の席で、何気なく涼太がこぼした言葉に、敦は殺気を滲ませた視線と声で返す。血の繋がった兄弟であっても背筋が凍りつくような反応だった。

会社勤めをしている征十郎が会社の繁忙期に家を空けることは、過去にも多々あった。
だが、現在敦の精神状態が目に見えて不安定なのは、征十郎と敦の関係が今までとは異なっているからに他ならない。
彼らは血の繋がった肉親であると同時に、想いを通じ合わせた恋人同士であり。
その関係は、家族全員が周知している事実だ。


早々に無言の食事を終えた敦は、ごちそうさま、と一言だけ口に出し、そのまま自室へと引き篭もる。
緊迫した空気が解かれ、涼太は軽く息を吐いた。
「しっかし、敦っちは態度に出るヒトっスよねー。征十郎っちが忙しいのは今だけなんだから、ちょっとくらいガマンしてろっての」
「へー。お前、人のこと言えんのかよ?」
「は?オレがいつ…」
「…うちの学校のテスト期間前、酷かったそうですね?」
「う…!そ、それは…」
テツヤの言葉に、涼太はぎくりと顔を強張らせ否定の言葉を探し出す。
先日、テツヤの通う高校は定期テストが行われた。その前週の週末、テツヤは同じ部活の部員たちと泊まり込みで勉強会を行っている。そのメンツの中には、涼太の恋人である火神もいた。
「つーか、それって火神の馬鹿が馬鹿だったからやるハメになったんだろ?」
「そうです。今回も補習対象になられると試合の出場に響くので。火神くんにはどうしても頑張って貰う必要がありました」
「だ、だからって、泊まりで勉強会することないじゃないっスか…!メールしても全然返事ないし、電話も繋がらないしで、オレ…!」
「で?お前、敦のこと言える立場なのかよ?」
「……好きな人に簡単に会えないって、ほんっとツライっスよねぇー…」

自身を棚に上げていたことを知らされた涼太は、テーブルに頬杖をつきため息混じりに呟く。
その心境変化の早さを見せつけられた兄たちは、揃って呆れ顔を浮かべた。




その夜も、征十郎が帰宅を果たしたのは深夜遅くのことだった。

「真太郎?まだ起きていたのか」
「課題があるのだよ」
「…ここで、していたのか?」
「涼太に部屋を貸した。…また敦に追い出されたらしい」
「…またか」

明かりのついたリビングに足を踏み入れた征十郎は、兄弟で唯一一人部屋を与えている真太郎が部屋にも行かずにリビングで学校の課題をこなしている理由を聞かされ、首を傾げる。
年が近い敦と涼太は衝突することが間々あり、敦が涼太を部屋から追い出すといった流れは初めてではない。部屋から追い出された涼太は寝る場所を失い、リビングのソファーを使用したり、征十郎や真太郎に敦の説得を求めてくることもある。だが今夜は征十郎が帰宅していなかったため、どちらの方法も取れずに真太郎が自分のベッドを涼太に明け渡すという仮処置が取られたようだ。

「困ったものだな。喧嘩の原因は何だ?」
「…仕事のほうはどうだ。そろそろ片がつくのか?」
「え?…あぁ、そうだね。いつも彼らの面倒をみてくれてありがとう。もう2、3日もすれば、通常勤務体制に戻るはずだ」
下の弟二人の喧嘩理由を問い、その回答もなく自身の近況を尋ねられた征十郎は訝りながらも状況を伝える。すると真太郎は軽く嘆息し。
「喧嘩の原因は、お前だ、征十郎」
「え…?」
「ここ数日、敦と顔を合わせてもいないだろう。そのことで敦は不機嫌になっていた。…それを、涼太が慰めようとでも考えたのだろう。火に油を注ぐ結果になったが」

大輝とテツヤから現在の敦の状態が少し前の自分の状態と酷似していることを示された涼太は、夕食後、自室で敦に「気持ちは分かるっス!」と明るく話し掛けた。それが、敦の逆鱗に触れたらしい。

「そんなことで…?」
「お前には分からんだろうが、敦はまだ中三だ」
「……」
「知っていて、手を出したのだろう?」

棘のある真太郎の口調に、征十郎は苦笑で答える。
敦の想いを受け止めた。征十郎のその判断を、真太郎は責めているわけではない。
ただ、自分が選択した事柄については責任を取れと。暗に示す真太郎の厳しい表情に、征十郎は頷き。

「分かった、機嫌取りを試みるよ。お前たちを巻きこんですまなかったね。真太郎は僕の寝室を使ってくれ」
「お前はどうするんだ?」
「機嫌取りを試みると言っただろう」
「…ほどほどにしておくのだよ」

その忠告に苦笑を浮かべながら頷き、課題が終わり次第寝室へ移動すると言う真太郎にあまり根詰めるなよと言い残し、脱いだスーツを片付けるためにひとまず征十郎は自室へ足を向けた。




「おかえり、征ちん」

自室の明かりを灯した途端、掛けられたその声に征十郎は目を見開く。
室内にいるはずのない相手の姿を視界に捉え、緩めたネクタイを引き抜きながら呆れた声で答えた。
「こんな時間まで起きていたのか。明日に響くだろう」
真太郎には敦の機嫌を取ると伝えたが、それは深夜に至る現在の行いではない。空席のはずの涼太のベッドで就寝することで、明日の朝一番に敦と顔を合わせる。それが征十郎による、敦の機嫌を取るシミュレーションパターンだった。
だがそれは敦がこうして征十郎のベッドを占領して寝そべることで見事に崩れ去る。やや不機嫌を滲ませた声で敦の夜更かしを嗜めながら、征十郎はクローゼットの前へ足を進めた。
「眠れなかったんだよ。誰かさんのせーで」
「事情は知っているだろう。それに、僕が多忙なのは今だけだ」
「長過ぎんだよ。仕事とオレ、どっちが大事なの」
「敦…」

敦はまだ中三だという真太郎の声が、征十郎の脳裏に蘇る。
いま征十郎の前にいるこの男は、体格こそ征十郎をはるかに凌駕しているものの、義務教育も終了していない子供だ。我侭に感じるこの発言も、仕方がないことだ。
自身にそう言い聞かせながらも、征十郎は敦の幼稚な態度に僅かな苛立ちを覚えた。

「お前たち兄弟を養うためにも、僕は勤労しなければならない。それくらいは分かるだろう?」
「分かるよ。征ちんが働いてないとオレらは飢え死にするだけだって。でもオレは征ちんに触れない日が続くとそれだけでも飢え死にしそーなの」
「多忙な期間もじきに終息を迎えるよ。それまで、」
「もう無理、待てない」

言い切り、敦は征十郎の腕を掴む。
反論も抵抗も許さぬ迅速な動作で掴んだ腕を引き、征十郎の体は瞬く間にベッドへと縫いつけられた。
「敦…ッ」
「…ちょっとでいい。させて、征ちん」
「……」
マウントポジションを陣取り、見下ろす敦の顔を間近で捉えた征十郎の双眸に僅かな動揺の色が走る。強引な手段に打って出た割に、敦の表情は悲愴めいていて。通常時のように、厳しく嗜めることがどうしても出来なくなった。
代わりに征十郎の胸中に沸き起こったのは、それとは相反する感情だ。

「…本当に、お前は……、…仕方のない子だ」
静かに、征十郎は口にする。
その穏やかな口調を受け、敦は征十郎の腕の拘束を解いた。
「だって、オレ、征ちんが…」
「分かっているよ。お前が、何よりもボクを愛していることを。そして、その感情と衝動を抑える術をろくに知らない幼稚な子供だと言うことも」
「う…」
「…僕は、お前にそれを教えなければいけない立場なのにね」

自由になった征十郎の右手が、そっと敦の頬へと伸びる。
ゆるやかな接触に敦はピクリと睫毛を揺らす。本気で叱られるとでも思ったのか。目を細め、征十郎から視線を逸らす。だが、その場から身を動かす素振りは見せなかった。
何を言われても退く気はない。そんな敦の決意を見せつけられた征十郎は、敦の頬を撫でながら。
「それなのに、こうして僕を渇望してくれるお前の姿が…、僕の理性を強く揺さぶる。…敦、お前は、本当に困った子だ」
「せ、征ちん…?」
「…いいよ、敦」

敵わない、と。征十郎は戒めるべき相手に、享受の意を示す。
目蓋を伏せ、口元に笑みを浮かべ。
「お前の好きにするといい」
自身を求め、甘えてくる敦の姿に。何よりもの充足感を得ている事実を、征十郎は受け入れた。




「キサマら…、何を、しているんだ…」

課題を終わらせ、征十郎に指示された通り彼の部屋へ足を踏み入れた真太郎は瞠目した。
それは室内に、詳細に言えばベッド上で折り重なり肌を合わせていた征十郎と敦も同様であり。敦の肩へ片足を担ぎ上げられた体勢の征十郎などは、瞳孔が開ききっていた。

「し、真太郎…、これは…」
「なんで真ちんが来んの?征ちんが呼んだの?!」
「ち、違うよ…、いや、そうだけど、…っ、とにかく、敦、足を離せ、」
「なんで呼んだんだよ?!オレには会いに来てくれないくせに、真ちんは自分の部屋に呼ぶ?!そんで?!何するつもりだったの?!」
「あ、敦…、っ!」

固まったままわなわなと唇を震わせている真太郎に対し、征十郎はこの状況の説明を試みた。だが、真太郎の登場により何らかの誤解をした敦が焦燥混じりに征十郎を問い詰め、抱えた足を更に高々と持ち上げる。
苦しい体勢を強要され、息を詰まらせた征十郎の耳へ。更なる混沌の警鐘は届けられた。

「トイレトイレ…、あれ?しんたろっち、そんなとこで何してんスか?征十郎っち帰ってき…、って、うぉわ?!」
「…!!!」

銅像の如く不動の真太郎の脇から顔を出した末っ子の悲鳴を受け、征十郎の顔から血の気が引く。
この家の住人で、もっとも見られたくない人物に現場を見られた。その衝撃から、征十郎は。

「……どけ、敦」
「は?何言ってんの?好きにして良いって言ったじゃん!」
「…僕に、……逆らうなっ!」

愛しい相手の髪を掴むと、勢い良くその額に自身のそれを打ちつけ。自らの胸に圧し掛かってきた敦の首へ両腕を巻きつけながら、入り口に立ち尽くす二人の兄弟へこう言った。

「深夜に騒いですまない。見ての通り、僕らは…、プロレスごっこをしている最中だ」

敦の前では剥がされた保護者の威厳だが、この長男と末っ子には見せてはならない。
そんな征十郎の必死な熱意が伝わったのか、真太郎は涼太の目を両手で塞ぎ、「だからほどほどにしておけと言ったのだよ…」と呟きながら退室した。




愛する人の手で強制的に寝かし付けられた敦は、翌朝、不機嫌な表情を携えてリビングへ足を踏み入れる。
敦が目覚めたとき、すでに征十郎は出勤を果たしていたらしく。征十郎が真太郎を部屋へ呼んだ真意も知らず、また涼太の登場で征十郎が凶暴な手段を自分に用いたことにも腹を立てている敦は、すっきりとしない気分で食卓についた。

「お、おはよっス、敦っち…、あ、敦っちの目玉焼き二つあるっスね!これ、征十郎っちが作ってくれたんじゃないっスか?やったっスね…!」
「……」
「…スイマセンっス。オレ、覗く気はなかったんス…」

隣に座る涼太の妙な気遣いに苛立ちを増幅され、昨日以上に鋭い睨みを効かせる敦に、涼太は早々と謝罪の意を伝えた。だがその程度で敦の機嫌が直るはずもない。むしろやはり、涼太の慰めは火に油を注ぐ結果となる。

そんな弟たちの様子を遠巻きに眺めていた真太郎の脳裏には、昨晩の征十郎の慌てふためく表情が過ぎっていた。
長男である真太郎は、当然ながら兄弟の誰よりも征十郎との付き合いが長い。その真太郎でさえ、初めて耳にした征十郎の苦しい言い訳は、思い出すだけで笑えてしまう。

「…何笑ってんだよ、真ちん」
真太郎の表情を目敏く見止めた敦が不機嫌な声を発する。
それを受け、真太郎は。
「征十郎が深夜にプロレスを仕掛けられて相手をするのは、敦、お前だけなのだよ。分かっているとは思うが、あいつの年も考えて、少しは労わってやれ」

他の兄弟の誰かが征十郎にそれを願ったとしても、恐らく受諾されることはないだろう。願うこともないだろうが。
当たり前だと思っていたことを真太郎に指摘され、敦は唇を尖らせながらも頷き。征十郎が用意した朝食に手をつけ始める。

すると、それまで眠気まなこで朝食をとっていた大輝とテツヤが突然覚醒したように両目を見開き。

「は?何だよ、征十郎と敦、夜中にプロレスやってたのかよ?」
「どうりで昨晩は騒がしいと思いました…。元気ですね、征十郎くんも」
「大輝っち、テツヤっち!それマジで言ってんスか?!プロレスごっこなんて言い訳に決まってるじゃないっスか!この二人、オレらに内緒で堂々とセック、」
「涼太!」

この晩、真偽を確かめようと征十郎に直接質問した大輝とテツヤの無神経な行いにより、激怒した征十郎が敦に一週間の接触禁止例を提示し。
それによって不機嫌になった敦が涼太を部屋から閉め出し、前日と同じような経緯を辿ることは、未だ誰も知らない。











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