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この部屋を選択したことに、明確な意図はない。


中学時代の知人であれば、誰でもいいと思っていた。
だがあいにく、高校卒業後に都内へ戻った知人はみな中学時代と同様に実家を住まいとしていた。
「…桃井に確認した。間違いない情報だろう」
「そうか。ありがとう、真太郎。…助かったよ」
「…あの男を頼るのか?」
「他に手段がなければね」

数日ほどビジネスホテルを住まいと定め、情報を集めた結果。
僕が選択した手段は、過去一年ほど部活動を共にした同級生の一人住まいだった。




「オラ赤司、エサ買って来てやったぞ」
「…殺すぞ?」
「冗談だよ。んな怖ぇツラすんなって。相変わらず短気だねぇ、セージューロークンは」
「これでも大分丸くなったと言われるけどね。お前が相手だと、どうも童心に返ってしまうようだ」
「可愛くねーな。ホラ、あっためといてやったからさっさと食え」

灰崎がテーブル上に置いたのはコンビニの弁当だ。こんなもの、買ってきてくれと頼んだ覚えはない。視線をずらせば異なる容器が灰崎の手前にも置かれている。ため息をつきながらその場に腰を落ち着け、割り箸に手を伸ばす。
「僕には弁当で、自分はカップラーメンか」
「なに、こっちがいーの?お前無理だろ、猫舌っぽい顔してっし」
「…お前は本当に僕の神経を逆撫でするのが上手いな。猫舌というものは体質ではない。舌の使い方を誤っているだけだ」
「へぇ。どういう舌使いすりゃ上手く食えんの?」
「舌には感覚の鋭い部分とそうでない部分がある。熱いものを口にする時は、舌の先端に触れない様に、中央へ運べばいい」
「へー」
「…聞いていないだろう」
「ああ、ワリ、聞いてなかった。舌使いがなんだって?」
「もういい」
丁寧に説明をしてやったつもりだが、灰崎は空返事をしながら目の前の容器の蓋へ手を掛ける。それを見て呆れた気分で手にした割り箸を割り、食事を開始した。



灰崎が、何を考えて僕に食事を提供したのか。その理由はいまひとつ理解出来ない。
金額的に多少勝る弁当を選んだのも。それでいて、自分は質素な夕食をしている事情も。
灰崎は僕の滞在を疎ましく思っている。表情や態度にはありありと出ているし、はっきりと出て行けと言われてもいる。
それなのに、昨日灰崎は態度を一変し、このように食事提供を自ら行った。

「…洗濯はしておいたよ。ベランダに干してある」
「あ?マジでやってくれたの?」
「お前がしろと言ったのだろう」
「いや、自分で言い出したんじゃん。猫と一緒にすんなって」
「当然だ。僕は猫ではない」
「ぷっ、ははッ」
「……」

誤認識を訂正する。それだけで灰崎は笑い出し。こちらの不快感は倍増する。
先ほど猫舌だと言われた際もそうだ。いちいち猫にたとえて発言する灰崎の態度には、敵意を感じる。
「…灰崎」
「ワリィワリィ。で?オレのベッドの上やたら散らかってんのはなんで?あれ掃除してねーだろ」
「お前のベッドが雑然としているのは元からだ。掃除はしないと言ったはずだよ」
「そーだっけ?あそこ片付けたら一緒に寝てやってもいーぜ?」
「……」
「だから顔怖ぇって。目で返事すんのやめろよ」
怖い、と言いながら灰崎はニヤニヤと不快な表情を浮かべている。募った苛立ちを放出してしまおうか迷ったが、僕は灰崎から視線を外し、食事の手を進めることを選んだ。昔よりは大分穏やかな性格になったと、過去を知る知人からは良く言われる。



高校卒業後、国立大学へ進学を果たした僕は世間的にみれば順調な学生生活を送っていた。
赤司家の人間として、必要な知識を学び、大学院卒業後は父の後継者として赤司家の名を背負う。出生時から定められていたレールに沿って歩んできた道のりは、ある出来事を境に大きく狂い始めた。

それは青天の霹靂だった。
突然父が再婚を決め、赤司の家に二人の親近者が増えたこと。
義母の連れ子は、僕よりもいくつか年上の立派な青年だった。


(赤司家の後継者は、お前で変わりはないのだろう?)
(…父はそう言っていた。義母も、同意見だと。…義兄とは会話をしていないのだけど)
(何が気に入らないんだ?)
(気に入らない、と言うよりは…、不安、かもしれない。こんな未来は予測したことがなかった)

出生時から定められた道のりがあった。
険しく、決して平坦とは言えない道だ。その結末は簡潔なものだとしても。頂きに至るまでにはそれなりの障害と困難を取り除き、また踏みしめる必要があった。

僕は赤司家の人間だ。
その名に恥じぬ居振る舞いを、身に付けてきたはずだった。

(…少し、休息を取った方がいいかもしれないな)
中学来の付き合いを保つ相手は、静かにそんな提案を差し出した。
(休息?)
(お前は不測の事態に動揺している。…よもや、義理の兄に立場を奪われると危れているわけではないだろうが、状況の変化に順応しきれていないだろう)
(…僕が、困惑していると?)
(部活のことでも学業のことでもなく、今回は赤司征十郎という存在に関わる変化だ。…長く積み上げてきたものが揺らぐ恐れも、あっておかしくはない。赤司、お前は少し、心身を休めた方がいい)

真太郎の提案は至って簡潔なものだった。
己が赤司征十郎であることをしばしの間忘却し、無駄な考えを捨てて日々を過ごすのもいい。
考えない生活、というものがどんなものか僕には分からなかった。
ひとまずは、現状からの脱却を優先するべきだと、真太郎は言った。

(何処へ行けば、それが叶うかな)
(…オレの家へ来るか?)
(懐かしいな。…だけど、世話になるわけにはいかない。家族に迷惑が掛かるだろう)
(お前がそんなことを気にするとはな)
(…自分の家族が、増えたからかな)

皮肉な気分になり、電話越しに笑ってみせる。真太郎は次の提案を与えた。
(ならば他を探しておく。お前は身辺整理をしておけ。…あまり大きな荷物を作るなよ)
(そうだね。…なるべく、身軽でいることにするよ)


逃げを打つなど、赤司征十郎がすべき行動ではない。
だけど僕は今。いまだかつてない選択を、掴み取ってみたかった。
信条を捨て、自己を破壊し。
何もせずに無為な日々を過ごすことを、僕は選んだ。



「赤司、シャワーは?」
「え?…ああ、まだだけど」
「へぇ。一緒に入る?」
「…バカか」

ここへ到着した経緯を思い出していると、食事を終えた灰崎が何食わぬ顔で無謀な提案を持ちかけて来た。この部屋に備え付けられている浴室のスペースを思い浮かべれば、それは愚かな誘いとしか思えない。
「赤司家のバカデカい風呂と一緒にすんなよ。…つーか何、広ければ野郎同士でフロ入れんの?お前」
「…スペースがあれば可能だろう?」
「いや、…ああ、そうだな。そんじゃ明日は銭湯でも行くか」
「汗を流すだけならシャワーで充分だ。…灰崎、お前はそれ以外に目的があるのか?」
「は?目的?…んなもんねぇよ、バァーカ!勘違いしてんじゃねーぞ」
目的を尋ねただけで悪態をつかれたことに多少の不快感は生じる。だが僕は何も言い返さず、空になった弁当の容器を片付け始めた。
「シャワーを浴びたいなら行け。僕は後で構わない」
「…オレの前でハダカになれんのかって話」
「何?」
「一緒に寝るかって聞いた時、お前めちゃくちゃイヤそうな顔したじゃん。シャワーも嫌がるかと思った。だから聞いたんだよ」
「…僕に不快感を与えるための誘いか。そんな意図があったとはね。…残念だったな、灰崎。あいにく、お前に肌を見せることを躊躇うような羞恥心は持ち合わせていないし、触れられても嫌悪感はない。嫌がらせならば別の手段を考え、」
「赤司?」

返す言葉を遮られ、視線を動かす。灰崎は表情に驚愕の色を浮かべて僕を見ていた。
「…何だ?」
「いや、いまお前、自分で何言ったか分かってんの?」
「どういう意味だ」
「……分かって、ねぇ?…オイオイ、…天然かよ」
口を覆いながら視線を逸らす。灰崎が言っている言葉の意味が、分からない。
探るために声を発しようとした。その口に、灰崎の手のひらが宛がわれる。
「何…」
「オレは嫌だと思うぜ。男にこーやって触られたりしたら。キモくてしょーがねぇよ」
「…?」
「外人でもあるめーし、抱き締められたりしたら鳥肌たつわ。…なんで平然としてんだよ、お前は」

口を塞ぐように当てられた手が、するりと頬に移動する。僕の顔面を軽く覆うほどの面積を擁する手のひらは、僕の皮膚よりも温度が高い。
「灰崎」
「お前冷てぇな。血液巡ってんの?」
幼稚な質問を受け、眉間を狭める。すると灰崎はくっと笑い。
「猫でも撫でてた方がまだ感触いーな」


本当は、「同性に触られるのが嫌ならばなぜお前は僕に触るんだ」と聞くはずだった。
だけど灰崎のその言葉が僕の思考を凍りつかせ。反射的に、触れる手のひらの根元を掴んで強く振り払う。
「猫と一緒にするなと言ったはずだけど」
「ワリィワリィ、忘れてた。そんじゃ、猫に出来ねぇこと、させろよ」
「え…?」
「口、開けてみ」


要求されるまでもなく、唇は開いていた。悪態をつくためだ。
その唇に灰崎が自身の唇を重ね。咥内に舌を突き入れてきたのは、驚いた。

目を見開き、その接触を受け入れた。
口の中で舌同士が絡まり、他人の唾液が侵入して来る感覚を知る。
奥歯の列を舐められると、背筋に冷たいものが走った。不快感とは異なる感覚だ。不快、ではない。これは?


流しこまれた唾液を嚥下する僕を見て、灰崎は笑った。
「お前、猫には出来ねぇ舌使いするんじゃなかったっけ?こんくれぇで固まってんじゃねーよ」
「……」
「出てくなら勝手に出てっていーぜ。預かった金はそこの引き出しに入ってる。そんじゃ、オレシャワー浴びてくるわ」
「灰崎」

つまらないことを言い、勝手な決め付けをして身体の向きを変更させた灰崎の腕を掴んで引き止める。振り向いた灰崎は、やや驚いた表情をしていた。
「んだよ、お前、まだ…」
「出ていくなんて一言も言っていない。それから撤回しろ。僕を、猫と同一視したことを」
「は?何、」
「これくらい、僕にも出来るよ」
腕を下へ引き、反対の手で灰崎の後頭部を掴み、引き寄せて。
怯んだ灰崎の唇へ、先ほどの接触を。今度はこちらから仕掛ける。


この部屋を、逃避先と定めたのは失敗だったかもしれない。
何も考えず、無為な時間を過ごすつもりだった。それが僕の目的だった。だけど、今は。

この男が僕を猫と形容しなくなるには、どんな手管を弄せばいいだろう。
そんなことを考えながら、猫には出来ない接触を繰り返し行った。










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