01
「いいから離せよ餓鬼が」

『やだー!うわあああん!!お母さーん!!』

「……」



本当に途方に暮れると人間って立っている気力も無くなるのか。とか感心してる暇は無い。単独任務を順調に無事遂行しさっさと報告書を書いて帰ろうと足早に歩いていれば、3、4歳くらいの小さな餓鬼に絡まれてしまった。
まあ想定はつくだろうが俺は餓鬼が専ら苦手だ。
話は通じないし煩く泣くし。理解出来ぬ生物だ。宇宙人だ。



『おにぃちゃん、お母さん死んじゃったの?』

「さあな」



さっきのAKUMAか。
こいつもまあ可哀想な運命だ。弱すぎる親を持ってしまった不運な子供だ。
然し俺には毛頭関係のないことだ。
俺は団服を掴むそいつの手をほどこうとする。



『あーん!!お兄ちゃんがいじめるー!!』

「ばっ、ちげえよ!」



大きな声であらんことを騒ぐから周りの奴がひそひそとこちらを白い目で睨む。
そんなことはどうでもいいのだが、何とかしてこいつを引き剥がしたい。どうすればいいのか。
沈む夕日が荒れたビルの隙間から此方を覗いてる。見てるんだったら頼むから助けてくれ。



『困ってるのー?』

「誰が困らせてるんだよ」



きゃっきゃと子供独特のキーの高い笑い声が鼓膜をつんざく。ああ面倒くせえ、早くこいつ元の星に帰ってくれねえかな、頼むから。
笑ったり泣いたり気持ちの移り変わりの激しい奴だ。堅物とか、仏頂面とか言われる俺には到底理解出来ない世界だ。

とりあえず人を頼るのは嫌いだがコムイに連絡する、その間も餓鬼は俺の団服をがっちり掴んで離さない。



「いやあ、神田くんも面白いねー!!」

「黙れ」

「とりあえず連れて帰っておいで、孤児院とか探しとくから」

「………」



どうしてこうなったんだ。結局この餓鬼とふたりで列車に揺られるハメになってしまった。
俺、今年厄年だからかも知れない。お参りに行って厄さえ落としていればこんなことには為らなかったのか。



『見てー!はやーいっ』

「……」



流れゆく真っ黒の景色を嬉々として楽しむ餓鬼を後目に俺は大きな溜め息ひとつ、こぼれた。


やっと教団に着き、荷物を引っ掴んで歩き出す。
ああ、本当に面倒くさい展開になってゆく。つくづく厄年は恐ろしいものだ。
なんて考え、ふと隣を見ればさっきまで居た筈の餓鬼が居ない。



「!」



慌てて振り返れば涙をいっぱい大きな瞳に溜めこんで、自分の裾を掴んで此方へ走っていた。
どうやら歩くのが速すぎてついて来れなかったらしい。



『おっお兄ちゃんが、ぴゅーって…ぴゅーって先に行くからね、なまえね、…』



ああ、こいつの名前はなまえというらしい。
面白いくらい顔を真っ赤にして眉をへの字に下げて唇を強く噛みしめているその姿に少し笑いが込み上げた。
凄い必死で泣くのを我慢しているのだろう、しかし努力虚しく片目からほろりと大粒の涙がこぼれる。
俺はぶっきらぼうにそれを親指で拭き取り、なまえの右手を掴むとなるべくゆっくりと帰路を辿った。
だから餓鬼は面倒くさいんだよ。
紅葉のような小さな手が、ぎゅっと握り返す。


やっと教団に着けば、なまえは俺の後ろに回って恥ずかしそうにまた裾を掴む。



「お前よくそんなんで俺に絡んできやがったな」

『……』



仕方なく俺はその動こうとしない餓鬼を片手で抱きかかえ、もう片手で荷物を持ちコムイの居る室長室へ向かった。
途中で会うファインダーや科学班のやつらがものすごい驚愕の瞳を此方へ寄越し、後ろ指刺される。斬るぞ。
しかし今キレたら絶対こいつが泣きわめいてもっと面倒な展開に転がっていくことは容易に想像出来た。



「コムイ、戻った」

「本当に子供連れてきたんだねー。冗談かと思ったよ」

「俺がそんなこと言うと思うか?」

「可愛い子だね、リナリー程じゃ無いけど。おいでっ!」



コムイが両手を広げ「カモンっ!」と呼ぶもなまえは一瞬ちらりと見たのちに俺の肩に顔を埋めた。

ふん、と思わず鼻で笑えばコムイはべっこりと凹んで隅で三角座りし、「とりあえず孤児院探しとくように言っとくね」とだけこぼした。


室長室を後にして、なまえを下ろそうにも体全部でしがみついて離れない。
抱っこちゃんかよ。



「おい、離れろ」

『やだー!!ここ怖いよーっ!』

「……はぁ」



ひょっとすれば、俺の厄はこいつ自身なのかもしれない。厄の塊なのかもしれない。
とりあえず厄を体に引っ提げたまま自室に戻る。
諦め半分でもう一度降りるように促すと今度は直ぐに降りて俺のベッドにダイブした。



『わーい!!ふかふかだーっ』



全く騒がしい、餓鬼が一匹其処に居るだけでなんでこんなに煩いんだろうか。



『お兄ちゃん!お名前はっ?』

「……神田だ」

『かんらー甘楽ー!』

「お前二回目わざとだろ」

『お腹減ったーかんら!!』

「……神田、だ。食堂へ行くぞ」



先に自室に出ようとすれば、ぱたぱたと走りなまえが先回りして俺に向かって上目遣いで両手を目一杯上げていた。



「なんだよ」

『抱っこー』

「はあ!?さっきあれだけ俺の寝具の上飛んでたじゃねえか」

『やだー!!』



餓鬼はどうしてここまで我が侭を突き通そうとするんだ。面倒くさい。
ちっ、思わず舌打ちすればまた泣きそうな顔をして眉を下げる。



「分かった、やればいいんだろ、やれば。面倒くせえな」

『わーいかんだ好きー』



方膝を着いてふわりと持ち上げると懸命にしがみつく餓鬼が少し可愛らしいと思ってしまった、どうかしてるな、俺。


……餓鬼というのは中身の無い自分発信のラジオのように一方的に大きな声で並べる。
面倒だから返事も寄越さないがなまえは満足してるようだった。



「ほら、着いたぞ。何食べるんだよ」

『オムライスー!』



本当に踏んだり蹴ったりで腹減って仕方ない。
届くまでのつかの間、席につくも餓鬼は届かないのかうまく座れない。



『かんだのお膝に座るー!』

「はぁ?阿呆か、断る」



もう流石にやってられない。もう既に悪目立ちも甚だしいんだというのに。

ファインダーの奴らなんかこっちみてにやにや笑ってやがる。ああーイライラする!
そちらをキッと睨んでいるとなまえが俺の眉間をつんつんとつついた。



「なにしてんだよ」

『お皺寄ってるー』



ムカついてるんだよ!!それくらい察せよ馬鹿餓鬼!
しかしこの宇宙人は当然聞いてる筈も無く、いつの間にか俺の隣に座って机をばしばし叩いて羽虫を倒そうとしていた。



「飯食う前に汚いことするんじゃねえよ」

『はーい』



意外にもあっさりと素直に返事を寄越すので此方も拍子抜けしてしまった。
こういう所は少し地球人に進化しているのかもしれない。

やっと飯が出来上がり、取りに行けばなまえは歓喜の声をあげ不器用に握られたスプーンでオムライスを口にねじ込んでいた。
そんなに焦っても飯は逃げねえのに。



『かんだ!おいしいねーっ!』

「……ああ」



まるで人でも食ったみたいにケチャップまみれの口を添えられたナプキンで拭いてやるとなまえは満面の笑みでありがとうと叫んだ。
決して親みたいに可愛がってじゃねえぞ、見てらんねえくらい汚い食い方するからだ。



「あ!ユウーっ」

「うわあバ神田じゃないですか」

「そ、そんなんじゃねえからな!!」

「なにがですか」



モヤシと糞兎はにやにやと意味深な笑いを浮かべながら向かいの席につく。



「教団中がユウの噂で持ちきりさ」

「は?噂?」

「ユウに隠し子発覚!とか鬼がとうとう人さらいをやらかすとか。みんな好き放題言ってるさ」

「そして僕がその噂に尾びれ背鰭をつけてさらに悪徳な噂を流してきました」

「叩っ斬るぞモヤシ」



餓鬼が丁度飯を食い終え、またその汚れた口と、掌を拭いてやっているとこいつら爆笑してやがった。死ね。



「ぎゃはは!ユウが子育てしてるさ」

『違うよー、なまえがかんだを育ててあげてるんだよー』

「馬鹿か」

「うわ神田が言葉の暴力、いえDVしてますよ」



もう鬱陶しい。面倒くさい。誰かこのちっこいの引き取ってくれないか。次いでに前の馬鹿共摘まみ出してくれ。



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