03


あれから夕方の6時に僕の部屋に、という約束を交わした。
しかし彼女が来るという確率はほぼ無しに等しい。

たしかに彼女の心は揺れていたが、僕はその小さな隙に少し忍び込んだだけ。今思えば最低の道化師だな、と苦笑いが込み上げる。

しかもまだ僕は最低のことをしようとしている。
僕は懐にしまっていた小さな袋を取り出し、中に入っていた白い粉を入れればそれは小さなカップに吸い込まれていく。

ゆっくりと回る黒い液体に溶ける姿をただ見つめる。ふと、そこに映る自分のひどい顔。
はは、と笑いが込み上げた。

しかし彼女はやはり来なくて、気付けば窓の外は雪景色が広がっていた。

そうだ、やっぱり彼女は来ないほうがいい。
僕はどうかしてたんだ。

もう今日はホットミルクを飲んで寝よう、と自室のノブに手を伸ばした瞬間、僕よりも先にノブが回った。

思わず情けない声が出るも、ドアが開き見えた小さな顔にさらに驚く。

なまえはきょろきょろと足下に落ちた自分の答えを探すように目を泳がし指先を遊ばせていた。


『……き、来たよ』

「ええ!?あ…どうぞ」



……まさか来るとは思わなかった。
彼女をソファへと誘導し、その隣に座る。

なまえは机に添えられた悪戯済みのコーヒーにそっと口付けた。



「…あ!」

『ん?どうしたのアレンくん?』

「ぅえっ!?な、なんでもないです」



毒はこくりこくりと彼女の細い喉を鳴らし流れ込む。
彼女は気付いているのだろうか?自らの足で愚かな僕が仕掛けた罠に掛かろうとしていることを。

最後の一口まで飲まれていく様を見つめる。
彼女がコップをことん、と静かに置きやわらかい笑顔を向けた。



『甘くて美味しかった!!アレンくんコーヒー淹れるのうまいねっ』

「……ありがとうございます」



それは甘い甘い毒ですからね。

今さっきまでの後悔という偽善などは全く皆無で、目の前に手の届く筈のない彼女がもうすぐ手に入る、というどす黒い欲だけがただただ僕の中で渦巻いていた。



『えっと、その…ゆ、雪!雪降ってきたね!』



身ぶり手振りで話す彼女がだんだんと僕に目を合わせてくれなくなったことに気付いた。



「……さっきから落ち着きが無いですけどどうしたんですか?」

『えっ!!…あ、ああ何もない』



頬を真っ赤に染め、しどろもどろに話すなまえを見て薬が効いてきたんだと確信した。
少しの間だけ、僕だけのエゴで夢を見れる薬。

ちょっと鎌をかけようと、僕はなまえの耳元でちょっと心配の言葉を並べる。

しかし彼女はのらりくらりとはぐらかすだけで、目はとろんと焦点が合っていなかった。



「……なまえ、」

『ひゃぁっ』



耳にふっと息吹き込むと彼女は小さな嬌声を上げる。



「大丈夫ですか、なまえ顔色良くないみたいですけど」

『な、なにもなっ……!』



紅潮した頬に手を添え、愛らしい小さな唇に触れるだけで跳ねる敏感な体。



「こんなことで感じちゃって…全く、可愛い人ですね」



後頭部を抑えそっと抱きしめればふわりと甘い芳香が鼻孔をくすぐる。



『あ…れん、なんか変な気持ちにな……』



物欲しげな瞳でアレンを見つめた瞬間、僕の理性が意図も簡単に音を立てて切れ、なまえを押し倒した。

こんなにも渇望していたなまえが今僕の腕の中。
彼女はあっさりと僕を受け入れてくれた。

どうかどうか、僕のことを好きになれ。
僕のモノになれ。
僕以外の男を考えるな。

しかし愛らしく鳴く彼女をここまでにしたのも、ただ薬のせいだけともいえず、殆どがあの憎たらしい神田の所為。

一度だけでもいいんだ、と心の虚しさを無理矢理宥める。

時に涙を見せる彼女にキスを落とし、壊れ物のように大切に扱った。



僕だけ、の、モノに、なれ。

彼女のうなじに所有印ひとつ。
そっとそこを撫でれば僕の中で幸福感が膨らむ。







しかし夢の時間はあっという間にすぎ、気付けば朝焼けに浴びる。
あまりの眩しさに僕は目を細めた。

隣に一定で背中を上下させるなまえ。
僕と、一度繋がったなまえ。

すやすやと寝息を立てるその小さなやわらかい唇にキスを落とす。
んっ、と身動ぎはするが起きる気配が無かった。
……当たり前か、昨晩は相当激しくしてしまった。
なまえも疲れてしまっただろう。今日は任務じゃなかったらいいけど。

はあ、なんでもっと大切にしなかったのだろう、否、出来なかったのか。
余裕が無さすぎるのか、男として情けないな。



「ーーっあ!もう!!」



ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。
とりあえずシャワーでも浴びよう。
自分の服を引っ掴み、浴室へ向かう。

勢いの良い水に当たりながら僕は項垂れた。

彼女の貞操を無理矢理奪った今の僕は幸せ?
……いいや、全くもってそうでは無い。現にそうじゃないか、こんなにも後悔の念に苛まれている。

髪が頬に張り付き罪悪感が僕を濡らしてゆく。
行く宛のない気持ちが目の前のタイルに拳で当たって消えた。

彼女はきっと僕の顔なんかもう二度と見たくない筈だな。はあ、最低の男だ。

きゅっとシャワーのノブを閉じ、振り返れば浴室の扉が開いた。



「えぇっ!?なまえ?」

『おはようアレン、先にシャワー浴びるなんてずるい』



彼女の体に巻かれたタオルから伸びる四肢、白い肌が朝日を浴びて輝く。ゆっくりと此方へ歩いてくる姿に思わず見とれていると突然唇を奪われる。
思わず驚愕の瞳を寄越せばなまえは悪戯な笑顔。
濡れた髪が頬に張り付き、水滴が流れゆく。



『今日だけ愛して?幸せにしてくれるんでしょ?』



昨日の情事に囁いたことだろうか、僕の身に覚えが無い。然し其れに嘘などは一つもない真意のみ。



「ええ、仰せのままに」

『当たり前でしょ』



もう一度ふたりの愛を確かめるように深い深いキスを重ねる。
朝焼けが罪を蔑み睨む。僕達はそれから逃げるように暗い部屋へと向かった。


この時間が永遠に続けばいいと刹那に願ったのです。



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