15
そんなに派手過ぎない、控えめに可愛らしい花束を抱えて、今日もまた医療室のぼろぼろの扉をノックする。
はい、という愛しい返事と共にノブを捻れば顔色の良くなったベッドで横たわるなまえの姿。
「毎日毎日変わらない病人の見舞いに来てよく飽きないねー」
「毎日来ても飽きないんです、日に日に良くなってますし。これ、花」
「ああ、ありがとう!
そういえばあのね、明後日退院して良いんだって!やった!」
「良かったですね」
添え付けられた小さな机に置いた花瓶に花を添える。
ふと見やれば相変わらず大切そうに置かれた桃色の小瓶に溜め息が零れた。
あの日、こんなの要らないと泣いた彼女は早く無くなればいいんだと言いながらも無意識に香水を神田に重ねて毎日日課のようにふっている。
甘い甘い香りに鈍痛を感じながらも彼女の儚い横顔を見やればやはり僕は何も言えなくなってしまうのだ。情けない限り。
本当あんな奴のどこが良いのか分からない。
君が入院して一度しか見舞いに来ない奴に負けているなんて。涙がちょちょぎれる。凹むな僕。
本当届かないものほど欲しくなる、というのは人間の心理なのだろう。物凄く理に適ってると思う。
実際、ご都合主義の神田にやってしまうのならもういっそ奪ってしまおうかとすら考えてしまうもの。
なんで神様は不公平なんだ。
どれだけ彼女を、渇望しているか。
なんでなんだよ。
なんで神田なんだよ。
しかし彼女は何も言わない。
神田の「か」の字すら。
あの日から彼女は空元気で見ててこっちが泣きそうになる。
本当は泣きたい筈なんだろうな。
だから僕は何時も早めに退散する。僕が居るせいで泣けないのかもしれないから。
「……じゃあ、僕もう帰りますね」
何時もと同じ言葉で空間を区切り、何時もと同じ時間が流れる。
「ま、待って、」
何時もと、
「え」
「もう少し隣に居て」
……同じ、じゃない?
彼女のか細い指が僕のシャツの裾を掴んだ。
くしゃりと握るその指先が微かに震える。
「……アレン、聞いていい?」
「なんです、か?」
目線がシーツの皺を追う。
壊れてしまいそうな小さな手を重ねると彼女の肩が揺れた。
この態度を取るときはそうだ、絶対に。
「……神田って、なにしてるの?」
神田が関わるのだ。
そうだ、いっつも一番に心配するのは神田。
誰が一番君が居なくなったとき心配したと思ってるんですか。
誰が一番君の元に見舞いに来てると思ってるんですか。
誰が一番、君を愛していると思ってるんです、か。
無性に腹が立った。
彼女は悪くないけど、あまりに自分が眼中に無さ過ぎてもどかしい。
彼女の頭から神田という存在が消えてしまえば良いのに。
彼女の口から神田という単語が消えてしまえば良いのに。
いっそ傷付けば良いんだ。彼のことにもうたくさんになれば良いんだ。
僕の中で、何かが弾けた。
「神田はリナリーと居ますよ毎日」
「!」
彼女の身体が大きく震えた。
これ見よがしに彼女を責め立てる。
弾けた感情は一気に彼女にぶつかっていく。
「今頃何してるんでしょうね、あのふたりは!
さぞ楽しんでるんでしょうね!
昨日もふたりで手を繋いで食堂にやって来て、本当に幸せそうに食事してましたよ!」
嘘じゃなかった。
なまえには黙っておこうと思った。
でも全部無駄じゃないか、結局なまえから出て来るのは神田ばかり。
なんで目の前の僕よりあんな奴ばっかなんだよ。
「毎晩リナリーは神田の部屋に行って、なにしてるんでしょうね?」
「やめて!!」
「なんで?全部事実ですよ?
君が求めた、事実」
「…………」
彼女の肩が小刻みに震え、噛み締めた唇から哀咽が漏れたのが聞こえた。
俯いた彼女の小さな顎を持ち上げてやれば瞳には大粒の涙。
ぽろり、零れた一粒を親指で拭ってやる。
「アレンご、めんね」
「…………」
何を謝ってるんだ。
冷や水を掛けられたような気持ちになった。
酷いのは僕じゃないか。
こんなに泣かしたのは僕なのに。
冷静を見失って、君が傷付けば良いってたくさん酷いこと言って。
なんでそんな、泣きながら謝るんだよ。
「全部、言ってくれてありがとう……」
「そ、んな」
くしゃり、花のような笑顔と共に涙が一筋頬を伝った。
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