夏恋


太陽ってなんでこんな勤勉なんだろうってくらい今年の夏もまたせっせと働いておられる。というか休みなさい、君明日から来なくていいからって宣告して休暇を与えてやりたい。お前のその聡明さでどれだけの人が暑さに咽び這いつくばって命を失ったと思っているんだ、少しは自覚しろ!
なんて偏狭な持論を叫んでもバテた胃をそうめんで癒やしても何してても結局暑くて暑くて仕方無いのだ。



「暑いー!溶けるー!死ぬー!あー暑いー!」

「おい静かにしたら涼しくなるからちょっと黙れ」



はー、と如何にも面倒そうに神田ははだけたシャツの胸元をぱたぱたと扇いだ。
瞬間くらりとするくらいのフェロモンに射抜かれぬよう咄嗟に防御姿勢に入る。
思わず地団駄を踏んでしまいたくなるくらいの格好良さは確信犯なんだろうか。



「神田は暑くないの?」

「暑い。」

「神田、暑いって言ったら3000円」

「誘導尋問か、てめェ!」

「ちょっとした小遣い稼ぎ感覚です、ほれほれ」

「お前飯食ってる間言った数換算したら臓器切り売りする程だぞ。どう落とし前つけんだ?あ?」

「はい嘘です今からですすみません!
よーい、どん!」

「…………」

「…………」

「…………」

「……いや、なんか喋ろーって」

「言っちまったらどうすんだよ」

「慎重過ぎるだろ!」



神田は長い息を吐き出し無言で机に肘をついてちょっと蒸気した頬を支えた。

分かった、そのフェロモンもう絶対わざとだ。これは分かってやってると受け取りましたぞ。
こうなったら意地でも「暑い」と言わせてやる。



「神田、今日の温度はどうですか?」

「33℃」

「違う!てかなんで知ってんの」

「そんくらいだろ、このあつ……気温の高さは」



あ、惜しい今絶対言いかけたのに。てか誘導ではひっかからず自爆しかけるというのは流石だバ神田、侮れないくらい馬鹿だ。

しばらく食堂に備え付けられたテレビに流れるつまらない昼のニュースを美人なお姉さんが淡々と告げるのをぼうっと見ていると、隅の方にムカつくくらい清々しい太陽マークひとつと、「33℃」という文字が。
こいつ、野生の勘で下一桁まで気温を当てやがった……!



「…………」

「神田、にやけてる」

「煩せェ」



神田は涼しい横顔をちょっと綻ばせ机の下で小さく手を握り込みガッツポーズした。なんかムカつく。



「神田、そなたへご褒美にこの勝利のお茶を授けよう」

「おいこれすっげ湯気たってんじゃねえか!」



このうだる暑さにもまだ負けないと言わんばかりに湯気を登らすそれに、神田は不機嫌ながらにも口をつけた。ずず、という音の後額から流れた玉のような汗を拭う。



「っ、あー……」

「汗、すごいです神田くん」



頬に流れるそれを肩で拭いながら飲み干してゆくそれをみながらなんかだんだん私のちっさい良心が痛んできた。今私絶対お母さんと目合わせれないよ、もう背徳心で胸がいっぱいだ。



「いやなんかもうごめんって、やめていいって!」

「はっ、こんなことでへばるか!」

「…………」



ん、あれ?神田ってまさかM?ひょっとして窮地に追い込まれて快感を覚えるタイプの性癖持ち?

しばらく同僚と新たな面を見つけてしまった罪悪感にかられて隣で汗をだくだく掻きながら熱茶を啜る神田を見つめていれば、



「お前から貰ったから」

「な!」



鈍い音を立て陶器で出来た抹茶色の湯飲みを置き、ばちんと向き合った屈託のない双眸に心臓が跳ね上がり今度は私の体温がみるみる上昇してゆく。

みんみん、つんざく蝉の合唱が遠くで始まるもそんなこと関係ないくらい私は自分の心臓の音が煩かった。

急にそんなこと言うのは狡いじゃんか、確信犯でも無意識でも。



「顔赤いぞ、大丈夫か」

「神田の所為だって馬鹿!」



私は疎ましい熱を帯びた身体で神田の元へ飛び込んだ。
意外に厚い胸板に腕を回してぎゅっとより近づいて熱を送ってやると、神田は一瞬身体を動かして暫し狼狽えるも私を引き剥がそうとはしなくて、黙って受け入れ私が悪戯に欲しがった言葉も寄越さない。



「なんか言うこと無いの?」



汗ばんだ身体は凄い不快なんだけど、神田の少しだけ冷却された肌が心地良くって自分の体温よりやや冷たい神田の骨っぽい首筋に頬を寄せた。



「言うこと、か?」



神田の低い声がひっつけた耳元から直に響いて何時もと違う聞こえ方に、私は思わず少し笑った。
妙な愛しさが込み上げてきて、ぎゅうと身体をより近付けたら神田の大きな手がくしゃくしゃと私の頭を撫でる。
優しい瞳が擽ったくてふいと逸らすと低く妖艶な声がじかに降ってきた、






「可愛いな、お前」

「な……っ!」



な、なにそれ!


か、神田が可愛いって!わ私に可愛いって言った!

びっくりして身体を引き剥がそうにも神田は分かっていたかのように先回りして私が離れるのを止めた。そしてさっきより寧ろ余計に力を込めるものだから抱き締められるような形で神田の腕に納まってしまった。
吃驚して神田のほうを見やれば彼はなにか?と言わんばかりの涼しい顔をしている。

しまった!なんてこと時既に遅し、もう暑いとかそんなこと吹っ飛んじゃって、やわらかい束縛という恥ずかしさに身を捩れども力は弱まることは無くて、低い声が耳元に甘く囁く。



「お前こそ言うことあるだろ」

「い、い言わないから……!」

「へえ?」



悪戯に笑う神田の腕から抜けることも前のようにはぐらかすことも出来なくて俯けばも長い指がそれを阻止して掬い上げられてしまい、切れ長の瞳が楽しむように細められた。
そして耳に付いてしまいそうなくらい近付いた神田の整った唇に突然ふう、と腰が砕けるような吐息を吹きこまれて私の鼓膜を甘美に貫いて擽り、思わずぞくりと肩が大きく跳ねた。

えっ今ふうってされた!ふうって!うわわ!



「ひゃう!なな、何してんの!」

「なまえが言わないからだろ」

「だってそんなの……」

「何も言えねえなら俺の勝ちだな」

「違うでしょ!いや絶対違う!」

「はっ、じゃあそれ以上のことしてやろうか」

「ごめんなさい恥ずかし過ぎて死んじゃいますごめんなさい」



とうとう神田の胸にふらと帰れば悪戯な手のひらがまた私の髪を撫でた。

絶対やり返してやる、神田の馬鹿馬鹿。暑いというのに余計に身体が火照って仕方無くなったじゃないか。



「まあ嫌がろうが何時かやるけどな」

「な、なにそれ!」

「俺はなまえとそれ以上のことがしたい」

「……っば馬鹿!」

「好きに言え」



閉じ込められた腕の中、憎いくらいのありったけの幸せに暑いからとかそんなこと関係無いくらいにもう溶けてしまいそう!











「お前らおあついとこ悪いけど、ここ食堂さ」

「「ラビ、3000円」」

「はっ!?」



fin