歩み寄ってもいいですか?


きらきら輝く目映い背中をずっと追い掛けて。
やっと近付けて少しずつ一緒に過ごす時間が増えました。


しかしただ増えただけで取り分け良い椿事(ちんじ)が起こったりもしません。……残念。
人間の欲の中でも色欲程厄介なものは無いだろうとつくづく思わされます。
まあ最も、私が邁進し自ら神田くんの元まで闊歩すれば問題が無いことくらい分かるんだけれど、これ以上近付けないのに御座います。
神田くんは本音を言えば私のこと鬱陶しく思っているかもしれないし、私がまるで喉元に食らいつかんとした切羽詰まった勢いで神田くんに猛進し自らの一方的な告白を押し付けたからつい肯定してしまって困らせているかもしれない……!ああどうしよう!?

どうしてこんなに1人でもやもやと沈鬱しているのかというと私と神田くんが恋仲なんて大それたものでは無いのですがまあ逢瀬を重ねる仲になってからというもの、彼の普段の言動や行動がなんだか少し変なのです。
以前はあのぴんと伸びた凛々しい背中からは何時も人を寄せ付けない雰囲気が垂れ流しといっては語弊だがまあ横溢していたのがめっきり減少してしまったし、言葉に覇気が無くなった。それになんだか少し偏屈じゃあなくなってしまった。

アレンくんやラビさんにこの片隅の蟠(わだかま)りを明かせば彼らは脳天気にへらりとだらしない表情で「何時もあんなのだ、何も変わらないよ」と一刻も沈思せずに言ってのけた。君達はなにも分かっていない。というか何も見ていない。「何処を見ているんだ、貴様らの目は節穴か」とその不必要な穴塞いでやりたい。

兎に角神田くんともっとお近づきになりたいが如何せん距離を一寸でも測り誤れば神田くんに嫌われるという私にとって最大に酷悪な事態が起こり幸福で甘美な至福の時間が没収されてしまうのです。
なので私は自分の立場をもっとわきまえなければならない。
ああその様なことが起こることの在りませぬように。どうか神様よしなに彼に想いを伝えてください。



「神田くん、神田くん」

「ああ?」



もう少し距離を縮めませんか、触れていいですか手繋いで良いですか、抱き締めて良いですか。
うやうやしく気の効いたおべんちゃらのひとつやふたつも交えながら成る可く円滑に自分の厚かましい願望が言えるのがベスト。
要はまあ私の勇気と度胸だ。……よし。



「今日はどのような御予定に御座いますか?」

「……鍛錬」

「そうですか……」



…………。
自分に取り憑いた弱虫という邪神を早く除霊して頂きたい。
先程は神様というものを心の糧とし無理な願いを申し上げようとひとり衷心で奮闘しておりましたが神様なんてものは弱い人間が利己心で創造した架空の自らの懺悔や後悔を押し付ける縋り所だと勝手に納得しております。
もしもいらっしゃったとしても自分もまたエクソシストなどという神の遣いだというのに薄情なことをふしだらに頭の隅で考える使えん奴を指名した神が信頼出来ないのです。これこそが人間失格じゃあないでしょうかね。
それとも私の信心が甚だしく欠如しているから結果として私が一番欲している恋愛運とやらは神様に没収されてしまったやもしれません。嗚呼早く返してください神様。



「おいなまえ、」

「ああはい」

「明日何の日か知ってるか?」

「はて?」



神田くんはその刹那怪訝そうに淡麗なお顔の眉間に皺を寄せた。……いや分からない事はすかすかの脳をどう絞っても出てくることはありませんからね。
私は長い沈黙を返事として神田くんが言葉の続きを綴るのを待っていたのですがふとこないだカレンダーに嬉々として印を入れたことを思い出しました。
それも神田くんが言った日だったような。なんだっけ、……ひょっとして。



「神田くん」

「なんだよ」

「明日って、もしやついに食堂で新メニュー発売の日なのですか?あのたこ焼きアイスの」

「は?違げえよ」



そういって溜め息ひとつ零し、神田くんはしなやかな指で髪をくしゃくしゃと乱しました。漆黒の流れるような髪が為すが侭に綺麗な光を作り出すのをぼんやりと見つめていれば神田くんの切れ長の鋭光を放つ瞳が私を捉えました。
おおお、怒ってらっしゃる……!?



「……お、俺達が付き合って半年だろ?」

「ああ!そうでした!」



頭の中の靄がすうと忽ち消えていき、私はカレンダーのハートマークなんていう浮かれた印の下に自らの手で書いた「神田くんと半年記念日」の文字が現れました。
神田くんはこういうのが苦手だと思っていたのに覚えていてくれたことが堪らなく嬉しくって目の前で瞳逸らして口元を隠す神田くんが酷く愛おしくなって思わず抱き付きそうになった身勝手な自分を寸前で抑えました。いや危ない。
しかし一気に距離が縮まり、神田くんの端正なお顔が見上げれば目前にある状態で、まじまじと見れば神田くんはやはり眉目秀麗でいるので思わず魅入ってしまい、そして遠くからだと氷のような瞳だけどよく見れば柔和で優しい色をしているなあなんて思っていれば其処に恥ずかしくも自分が映っていることに吃驚して咄嗟に身を引こうとたじろげば神田くんの腕がふいと簡単にそれを阻止しまして途端に手大きいな、とかやはり男の人なんだな、とか意識してしまい私は情けなくも頬を赤らめることしか出来ませんでした。ああ恥ずかしい。



「なんでなにも言わねえんだよ?」

「……恥ずかしくて」

「お前だけじゃねえよ」

「神田くん、も?」

「当たり前だろ」



見上げれば神田くんには何時もの余裕や覇気なんて皆無で、まるで完熟の林檎のように麗しく深紅に色染めてらっしゃるので思わず頬が緩んでしまえば神田くんが迫力の無い声で「笑うな」と一喝するも私になんの効き目も在りませんでした。



「神田くん、これからも一緒に居てください」

「……恥ずかしいこと言うな」

「抱き締めて良いですか?」

「馬鹿、逆だろ?」



そう言いすっぽりと腕の中に納まれば初めて分け合った体温が愛しくて安心感が埋め尽くして私は初めてこの距離を縮めることが出来たことに今し方ない幸福感を感じました。



「なまえのろまだし鈍いからな」

「非道いですよ」

「やっと近付けた」



私は今までひとりで沈吟してたことがあまりに馬鹿らしくて笑いが込み上げました。神田くんもまた私のように同じ気持ちで懊悩してくれていたのだから。






   

(恥ずかしかっただけなのです)



fin