御伽噺の微睡み

目を醒ませば昨夜あんなに灼熱の夜を過ごし愛し合った彼はもうシーツの海から上がって自らの服を整えていた。
未だに私の中で彼の真っ白な髪や呪われた瞳とか、とにかく浮き世離れした彼が日常に溶け込まない。アレンくんは何処か幻想的で日常から切り取ったように現実から背けているのだ。恋人の筈なのに、不思議。

その細くて柔らかい白髪を指先で弄ぶのが好きなんだけど今は私はまだシーツの海に体を委ねたまま朝日に煌めき踊るようにふわふわ揺れる髪を眺めたままで、彼は立ち上がり私に目すらくれず自らのリボンタイを整えているものだからどんなに手を伸ばしても私の大好きな髪にも彼にも届かないのだ。



「ああ、起きたんですか」

「うんおはよう」

「おはようございます」



背中越しに投げやられたおはようという挨拶すらなんだかもう何処か無機質なレプリカのように思えた私はそのつるつるとした表面に過干渉せずに海に沈めた。温い海でゆるりゆるりと中和されて少しでも温かくなったらいいのに。



「綺麗だね、それ」

「なにがですか?」

「髪だよ」

「ああこれ、」



朝焼けを目映いくらいに吸収する輝きを指差せば彼は何時ものように生温さを孕んだ笑顔を浮かべてなんだかうやむやに消失する。
その微睡む笑顔の余韻を見詰めながら私の中の曖昧な彼の輪郭を少しでもはっきりさせようとしている自分が酷く馬鹿らしくてこっそり苦笑した。
ああそうだ、なんだかアレンくんというひとりの少年がなんだか遠く御伽噺のなかの人に感じるのも現実味を帯びないのも彼が酷く透明で、まるで誰かが作ったお人形のように人間らしさが欠如しているからかもしれない。そしてその優しさが拍車を掛けて彼を現実から引き離そうと手を伸ばし切り取るのだ。
大好きなのだ、確かに。
この温かさだって瞳のやわらかさだって香りだって言葉遣いだって全部全部。
でも何故か彼の存在が何時か全て御伽噺とバラされて、「目出度し目出度し」なんて飽ききった締め括りで全部無かったことになってしまいそうで、なんだか怖い。



「アレンくん、隣に居てね」

「んー?」



アレンが私の瞳を覗き込む、きらきらした銀灰色の瞳が人形みたい、なんて脳裏を過ぎった刹那、なんだか急に憶測が現実になりそうで怖くなってまたシーツの海に飛び込んだ。
水飛沫こそ上がらないもののベッドにひとりで沈みゆく。思考の海に沈みゆく。
何も変化なんてない筈なのに何時もよりずっと重い重い身体が深海にゆっくり光を失って声を殺して引き吊りこまれる痛覚、御伽噺か否か。いや現実かもしれない。
この重力が枷となっていき息苦しくなる幻覚があまりに生々しいものだから咄嗟にその光に手を伸ばした。
ぴんと伸ばした指先の真っ赤に燃える血潮が彼を求める。
つまるところ、早くこの海から引き上げて欲しいのだ。
早く彼が永遠に隣に居るという確かな確信が欲しいのだ。



「好きだよアレン」



控え目に笑う彼と私の間にまた地平線のように何処までも続く乗り越えられない線が在るような錯覚に陥って、それを掻き消すように彼の胸板に縋り付いて、背中に腕を回してこの距離を潰してしまおうとした。

ずっと此処に居てくれるよね。何処にも行かないよね。
きっとアレンくんは誰かの理想像のような笑顔ではいと言ってのけるのだ。答えなんて分かっているから私の無意味な不安を彼にぶつけることは無い。



「僕も好きですよ、なまえ」



そう言い終わるかどうかの所で啄むような甘い接吻をひとつ。
可愛らしいリップ音と共に離れれば、目の前にはあの大好きな笑顔。
すっと私の眦(まなじり)を親指でそっと拭ってそのまま自らの唇にやってぺろりと嘗めとった。



「しょっぱい」

「甘い訳ないでしょ」

「なまえのは甘いかなと思って」

「馬鹿」



くしゃりと笑う彼を見て、私のどうしようもないくらいに小さな心のつっかえはあっさりと抜け落ちた。

ああなんだ、私は御伽噺と思えてしまうくらい彼が好きなのだ。
万が一、億が一、空想の世界に連れていかれたとて私の中の彼は何時までもきらきらと煌めき輝き続けるだろうし、大体そんなことなんてさせない。
もし彼が連れていかれるのなら御伽噺に付き物のお姫様とやらは私がやってやろうじゃないか。
ねえ、王子様?







fin