聖母マリアに倒錯

――ごすっ!

爪先でなまえの鳩尾を蹴り飛ばせば深く入った鈍い音が女独特の甲高い叫び声と重なった。

勿論死なない程度に加減する。そんな直ぐに楽になんかさせてやらないから。


「は、ぁ……神田く、ごめ、なさ…」

「喋る、な!」

「ぐあ!」



なまえの言葉を遮るように弱っている下腹部をもう一度蹴り上げれば、言葉の続きを綴る筈だった膨らんだ唇からは血液の絡んだ唾が吐かれた。
焦点の合わない瞳がゆらゆらと床を行き来しているのが余計に俺を苛立たせる。

今、俺はこっちに、いる、だろう?


転がったなまえの元にしゃがみ込み、乱れた髪を鷲掴みして無理矢理此方に向かせた。



「……痛、い!」

「汚ねえな、汚すんじゃねえよ。ちゃんと嘗め取れ」

「………うぅ、」



またなまえの視線が床に落とされ、躊躇しながらもゆっくりと赤黒く濁った血唾に舌を滑らせた。


どんだけ殴っても蹴っても傷付けても無理矢理犯してもコイツは涙ひとつ流さずにまたへらへらと笑って拒絶すらせずにまた俺に寄り添いやがるのが気に要らない気に要らないムカつく。だから性懲りもなくまたコイツを殴って蹴って傷付けて犯してしまう。


コイツと居ればペースが乱れるし崩される。どうしようも無く苛立たされる。

気に入らねえんだよ。

なにより誰彼構わず笑顔を振り撒くのが気に入らない。俺にもまたコイツは他の奴にやってるのと同様に馴れ馴れしいくしゃりとした笑い顔を向けて近寄って来やがる。本当そういうの鬱陶しい。
しかし手前でそうは思っても衷心は艶めかしい邪心が咽せる程ふつふつと湧き上がり、俺に苛立ちを与える。

(誰にでも、向けんなよ)

そして俺はこの節操の無い気持ちの名前も理解している。
なまえを見る度、逢う度に痛く自分が溺れているのを堪らなく思い知らされる。だが居なければその時はまたそれ以上になまえに焦がれてしまって心が乱される。

その赤い唇も長い睫毛が縁取る綺麗な瞳も白い頬もやわらかい髪も華奢な身体も、全て俺が支配しないと気が済まない。
一刻でも手から零れれば俺の檻から逃げてしまうかもしれないなんて想像してしまったらもうただそれだけで心臓が握り潰されるんじゃないかってくらい苦しくなるから。だから俺はお前を手放せない。



「神田く、」

「名前を呼ぶな!」

「げほっ!」



ぜいぜいと浅く肩で息してうずくまるなまえの背中に凶器と化した拳を一気に振り落とす。やわらかい感触が俺を包み込むがその直後に低い鈍痛を上げて華奢な背骨にぶつかると、喘いでるときのような甘美で悲痛な声が鼓膜を震わす。ぞくり、俺の全身へ快楽が雷のように貫いた。

決して色情倒錯なんかではない、だがなまえが俺の手で間断無く呻き苦しむ姿を見やれば俺の肝胆が快意だと叫ぶのだ。

だから止められない。


なあ、辛いだろ?
なんで何も言わない泣かない逃げない嫌わない?

生温さを孕んだ優しさが俺の首を絞める。あまりにそれが弱々しく愛しいものだから恍惚と受け入れてしまう。必然的に酸素不足、呼吸困難。

これ以上俺を殺さないでくれ。呼吸をさせてくれ。


全部お前が悪いんだ。
誰にでも笑顔を向ける所が。俺のモノに為らない所が。ムカつく所が。心臓が潰れてしまいそうなくらい苦しいのも、全部全部。

恐怖で支配してもなんでお前は俺のモノにならない?


「お前の所為だからな」

「っ、ごめんね……」



今の俺は酷い嫉妬の色を混ぜているだろう、だがなまえは狼狽せず瞳に微塵も虚偽もみせない真っ直ぐな瞳を向け、また聖母のような眩しくてくらくらするような美しい艶然を浮かべて過誤を犯す醜い俺を責め立てた。
その慈悲を混ぜた瞳から逃げるように片手で塞いでその唇に自らのものを重ねた。彼女の細く折れてしまいそうな腕が俺の首筋に絡まる。



「な、んで…嫌わねえんだよ」

「……大丈夫だから」



掠れた声が殺伐とした空気に溶け込み、また聖母の笑みが滲み霞んだ。
早く断罪しろ、俺がもっとお前に溺れてしまう前に。







fin