ふたりのり



かしゃんかしゃん


ボロい彼の自転車は二人分の体重を背負うのがやっとらしく悲鳴をあげる。



『ねえ本当に良いの?』

「知らね」



神田の後ろは私の特等席。なんて。

夏のじりじりとした暑さがお尻から、空から、マンホールから跳ね返って肌を焼き付ける。
彼の長い髪が夏の涼しい風になびくのも、目の前で彼が漕ぐ度揺れる真っ白なシャツが眩しくてくらくらするのも、もうすぐ終わり。全部全部、終わり。



「俺はもう就職先決まったからな」

『私は進学したいのに。授業出なきゃ』

「じゃあ降ろしてやるよ、もう随分来ちまってるが」

『……嫌だ』



耳をつんざく程鳴き喚く蝉の住処の木々を越えて、信号も気にせずにペダルを漕ぐ彼に注意することも出来なかった。



「お前も自分の意思で後ろ乗ってんじゃねェか」

『だって、』



この席も神田の彼女席も私のもので、誰にも渡したくないからなんて言えるわけない。

なんだか急にもどかしくなって空気を含んで大きく膨らんだシャツをくしゃりと握った。彼は何も言わないけど。
でも神田は返事するかのように自転車を漕ぐのを早めた。それに伴いだんだんスピードが速くなっていく、

太陽の暑さが気にならないくらいの涼しい風がふたりを覆い、ごうごうという風の音以外何も聞こえない。

というかちょっとあれだ、速すぎやしないかい神田くんよう!



『待って!速、いー!』

「ん、何言ってんか聞こえねえ」



砂利道の小さな段差の振動もあっという間に越えて、あ、と思った頃はもう遅かった。



『こっち大きな下り、坂の方じゃんっ、かぁ!』

「こっちの方が早いだろ」

『きゃぁあー!』



一瞬身体が浮かんだ錯覚があったと思えば次から重力をまるで無視したような速度で一気に落ちてゆく自転車。

だから嫌なのにこっちの道は!
こんなボロい自転車でこの下り坂は駄目でしょ!怖い怖いっ


ブレーキなんて掛けずに(まあかけても効かないけど)からからと後輪が軽い音を鳴らし急な下りを落ちていく。何処までも、何処までも。
このまま飛んでいっちゃうんじゃないかなんて余計な心配をしてしまう程の速さで景色が流れてゆく。田んぼや畑ばっかで変わらないけど。



『なんでこっちの道通るのさあ!』

「だってお前何時も坂道のときこうするだろ?」

『あ』



気付けば神田の腰に両腕を回していた。熱っぽい背中が少し大きくなったかななんて思わされる。



『だだだって怖いんだもん!楽しみやがって変態め』

「男はみんな変態だ」

『……馬鹿』



少し腕の力を強め彼の凜とした横顔を盗み見るも依然として涼しい顔をしたまんま。
なんか反応しろよっ、怒るとか照れるとか頬を染めるとか!
私はこんなに恥ずかしいのに。

抱き寄せるように身体を預ければ、神田が大きく呼吸して一定に上下し膨らむ背中に愛しさが込み上げる。



「なあなまえ、」



神田の低いテノールが背中から響くのがなんだか可笑しくてくすぐったい。
後ろから聞いた声ってなんだか何時もと違うな、なんて新たな発見。



『ん、なに?』

「お前もし大学滑ったらどうするんだ?」

『縁起悪いな!
でももし滑ったら……神田のせいにする』

「ああ、そうしろ。
そん時は娶(めと)ってやるよ」

『なっ……ば、馬鹿!』

「……お前もな」



長い坂が終わり、だんだんと減速していく私たちを乗せた自転車。
反比例して、息苦しくも加速してゆく心拍数。




キィ!
煩いわりに鈍く掛かるブレーキ。
予想地点より大きく反れて進んだところでやっと止まった。到着地は彼の家に最寄りの行き慣れたコンビニ。

自転車置き場の何時もと同じ位置に歪んだチャリスタンドを立て器用に止める。こういうのって絶対所有者じゃないと出来ない物なんじゃないかな。だいたいそんな技を駆使しないといけないものは必要なんだろうか。いや、いらんだろ。

でも。
この自転車の後ろの少し錆びた荷台は私の場所なのに無くなっては困る。
この空回りばかりするチェーンも、漕ぐ度に悲鳴をあげるペダルも、効かないブレーキも、全部全部大切な思い出。



『ね、その自転車絶対捨てちゃだめだよ!』

「なんだよ突然」

『後ろは私だけの特等席なんだから』

「……ふん、」

『なっ』


あ、今笑っただろ絶対!しかも鼻で笑っただろ!
私は至って本気なんだぞ、そんなことしたら天罰下すぞ、畜生!



『かん!……だ?』



何か憎まれ口でも言ってやろうと顔を上げれば、神田が珍しく優しい微笑みを向けていた。



「お前の特等席は此処でいいじゃねえか」

『!』



不器用に手が繋がれ自然と絡まる指。

この時間が好き。
こういうときしか繋げないぶきっちょな君が好き。


でも。何時かこの時間は全部美しい過去となる。
汗ばんだ繋いだ手も。
ちょっと照れながら怒る彼の横顔も。

暑い暑い夏は四季の流れに織り込まれてまた私たちに訪れるんだ。
夏が終わればばらばらの道それぞれ歩き出して、次は君のいない夏が私にやって来る。


君が、隣にいない夏が。


上がってきた長い坂道を見下ろせば暑さにバテたようなきらきら蜃気楼。






(お前が大学卒業して大人になったら嫁さんとして迎えに来てやるよ)



fin