リセット

『ほくろの片方押したらどっちか薄くなって逆が濃くなったりする?』

「なに春の陽気に浮かれてるんですかあなたは」



監査官だとか鴉だなどという大変名誉ある気高いお名前をたくさん持つハイスペックお兄さんにはなにか欠点がある筈なのだ。
例えばそのほくろだってぜったいふたつ同時に押せばリセットしたり出来るんじゃないかと思ってしまう。そうだ、私の中の彼は酷く無機質。



「君は無駄口が多すぎる。少し口数を減らして手を動かして下さいよ。
君も中央庁で働いているんでしょう」

『じゃあやったらリセットして良いですか?』

「は?」

『まあつまりひとつ願いを叶えてくれるだけでいいから』



じゃあひとつだけですよ、と彼は何の気なしにこぼした。よし、リセットボタンなのかはたまた自爆スイッチなのかいっそパンドラの箱なのか分からないその規律良いほくろ押してやろう、なんてふたりきりで残業して明日にある大切な会議の資料のホッチキス止めを永遠とする作業をしながら企んだ。つくづく阿呆すぎる。

しかし面倒。心中には目の前にふたつ並ぶ好奇心の塊よりもこの手のひらに握られた紙束の鬱陶しさのほうが遥かに上回った。なんだかもう内職な気がする。少しおひねり貰ってよろしいのではないかな?

しかし彼は淡々とスイーツ傑作選に目線を突き刺したまま両手で器用且つ効率的に作業をこなしていた。



「ああ早く帰りたい」

『えええ!』



彼の人間臭い本音がぽろりと机に転がった。ああ、機械的な監査官もやはり生物なのか。面倒とか気怠いとかいう体の不調は存在するのか。いやひょっとしたらメンテナンスが行き届いていないだけかもしれないけど。でもそうとしても私の中のハイスペックは静かにフェードアウトしていった。



「なまえさんは甘いモノ好き?」

『ん、え、ああうん』



余程疲れているのだろう、彼の敬語はかしゃりと外れてしまっていた。だからすっごい驚いたけど!
でも嫌ではない、寧ろずっとそのままで良いと思う。その優しい口調で。私だけにみせる口調で、なんて。



「そうですか、では今度新作のケーキの味見をして貰えますか?」

『うん』



やはりハイスペックのボロはそんなに長くは保たない。優しいタメ語はたった一言で消えてしまって少し残念がる自分が居ると同時に期待している気持ちが何処かにある。


暫くすると彼が大きくひとつ伸びをして懸命にひとつに止めた紙束をどさりと積んだ。



「……やっと、終わっ、た」

『では次は私の分だねリンク監査官』

「嫌ですよ!君はやると言ったじゃあないですか」

『冗談だよ冗談』



私の半ば本気が混じった冗談は気に喰わなかったのかムッとした表情を一瞬だけするもゆっくりと私の隣に積まれた課題に手を伸ばす。



『あ』

「なんですか、せっかくやってあげているのに」

『私のリセットの夢が』

「なにかわからないですがおじゃんですね」

『もーう、ハイスペックなお兄さんたら』

「おべんちゃらなら結構ですよ」



やはりバレていた、やって貰うのは有り難いけども。
嗚呼私のリセットが……。
掠れた希望も没収された今、残ったのはこの半分になったけど面倒な資料まとめのみ!あああ!



「じゃあその代わりに私の願いも訊いて貰えますか?」

『うーん、まあ』

「そうですか、じゃあ良かった」



そして心なしか嬉々として作業をする彼の横顔に目が離せなくなってしまった。

あれ、ハイスペックが喜んでいる……!



「よし、もうすぐ終わる」

『じゃあ次はこちら』

「それくらい自分でしなさい」



畜生、作業が効率よ過ぎだろう。
悔しいが彼にそのプログラムは既にインプットされているのかスマート且つシンプルにただ淡々とこなしてゆく。



「よし、終わりましたよ」

『幾ら何でも速すぎるでしょそれは』

「まあちゃんと約束は守って貰いますからね」



……ごくり。生唾が喉を鳴らす。これから彼はどんな願いをぶつけてくるのだろう。というか大体無機質な彼に願望なんかあったのか、なんて変な関心をしてしまう。


彼はけほん、と咳払いをして真剣な瞳で私を映し出した。一気に心臓が跳ね上がる。



「よろしければ、」


あ、顔真っ赤だ。
普段の涼しい表情からは想像出来ないような動揺に私の体温も一気に上昇。


「私と、」



……嘘、ひょっとして。





















「お菓子教室行きませんか?」

『畜生!阿呆ほくろ!』



やっぱりか!うっかり期待してしまった私に誰か制裁を!



「ひとりで行くのはどうも恥ずかしくて、まあ君は曲がりなりにも女性なのでね」

『なに其れ爽やかに傷付くよ』



なんだよほくろ爆発しろアホクロ。

しかし彼の頬は依然として紅潮したまま。彼の瞳逸らした視線で私の指先に穴が空きそうなくらい。


隣に座るリンクの横に置かれたホッチキスの芯を取ろうとした瞬間彼の親切とぶつかり彼が私の指先を握る。



「わあ!!ち、違うんです本当に!私はきききの為に、」

『ちんく焦りすぎ。なんなの私のこと好きなの?』

「う、わ……」



機械的な彼の焦燥感が指先から伝わる。
本日二度目の私の半ば本気の冗談は否定されること無く春風に浚われて消えた。




ット、


否定しなきゃ肯定ととっちゃうよ?



fin