人を呪わばなんとやら
(!)グロい描写有り










その瞳を見たものは呪われる。

実際に少女が目を合わせた者は目の前で弾け飛んで死んでしまったらしい。
イノセンスに関わりがあるのじゃないかと踏んだ教団は、早速調査が行われた。

なんとも辺鄙ななんにも無いようなクソ田舎、バス停も終点を迎えそこからさらに道無き道を歩んでゆく。もはや獣道をくぐり抜け、なんとか小さな限界集落に辿り着いた。
既に夕刻を回り、この土地で云われる逢魔時という時間にさしかかる。昼夜の曖昧な輪郭の時刻を人と化け物の交わる時間だとこの土地の人らは恐れているそうだ。

田畑だらけで人を探すのにも苦労したが、もういっそ藪から棒にひたすら歩き回り気付けば人気の無い聖堂らしき廃墟に踏み入れる。調査書と照らし合わせ、やっと見つけたと安堵の息が零れた。

なんとなく気味の悪い、まるでここから空間を切り分けるかのように異質な門が現れた。粗悪なボロい木材で取って付けたような大きな門をくぐり抜ける。
誰も手入れもしていないのだろう、鬱蒼と生い茂る木々が邪魔で歩きづらい。
しばらく落木などを掻き分け進めば、なんともお粗末な小屋の前に出た。
修繕もされておらず今にも屋根が落ちそうだ。その割に丈夫そうな太い閂がなにかを封印しているかのように、それだけが真新しく定期的に新しいものにされているようだ。
小屋の回りにはなにやら御札みたいなのがびっしり貼られていて気持ちが悪い。正直これ以上関わりたく無かった。しかし任務だ、下手にこのまま帰ればしっぽを巻いて逃げたと言われかねない、それだけは勘弁だ。

刹那、近付こうと踏みしめた小枝がパキリと立てた音がやたらと大袈裟に響いた。途端、何かが動く気配がする。
息を止めて咄嗟に刀に手を置く。もし勘が外れて獣かなんかだったら其奴には悪いが殺すつもりだ。空気に集中し、意識をピンと張り巡らす。


「だっ誰かいるのですか……?」


それは掠れた少女の声だった。
声の元を目で辿ればどうやらこの小屋の中に閉じ込められて居るらしい。
窓も何も無いので中は見えないが、衣服かなにかが擦れる音がする。


「……お前が呪われた女か?」

「村の方にはそう言われております。
なのでどうか私には関わらないでください」


そんな訳にはいかないので無視する。
こちらも仕事でやってる、本音は関わりたくないに決まってる。

やたら太い閂を外すとすぐに女はだめ!!来ないで!!と必死に叫んだ。
恐らく普段使っていない声帯は耐えきれず掠れてただの息のようになっていたが、それだけ切羽詰まった勢いだった。
建付け悪い扉を無理くり開くと、薄暮に染まる小屋内は荒れて汚く、音光に驚いた虫や鼠やらが一斉に散り散りに逃げていった。
その奥の方で、ぶるぶると震え上がりながら膝に顔を埋めた女が小さく屈んで座り込んでいた。
なにも食べていないのか黒いワンピースから出たやせ細った脚は全く肉も着いておらずひょろ長い。
近付かないでと叫びながら狂乱しているが、絶対に顔は見られまいと後ろを向いたまま逃げる女の腕を掴むと、驚き息を飲んだのちに、離しなさい!と腕を振った。この痩せっぽちはまあどう見ても栄養失調だろう、全く力のない抵抗は意味なんて皆無で。
1度もこっちを見ていないから悪戯をしに来た子供だと思っていたのだろうが、掴んだ手の大きさでようやく理解したのか観念したように力を抜く。


「ああ、とうとう神の元へ還る刻が来たのですか……?」

「何言ってんだかわからんが違う、俺は教団の者だ。お前を連れにきた」

「きょうだん……?」


聞き慣れない言葉を聞き返そうと初めて顔を上げた女を見て今度はこちらが驚き一瞬声を失った。

女の双眸は包帯でぐるぐるに巻かれており、その包帯は乾いた血で赤く染まっていた。
よく見たらワンピースもぼろぼろで、青白い細い手足は打撲痕や火傷の跡、刺傷などが所狭しと付いていた。まだ赤い濡れた血の滴った跡もあり、真新しい傷もたくさんある。こんなに満遍なく全身にある怪我は尤も自分でやったわけでは無いだろう、想像に容易い。
恐らく定期的に村の奴らに激しく拷問でもされているのだろうか。その新旧の怪我はあまりに痛々しくて、聖戦の渦中にいる俺でさえ目を逸らしてしまうほどだった。あまりにえげつない。
人間は本当に恐ろしい生き物ということを改めて見せ付けられ、思わず吐き気が込み上げて口元を手で押さえた。
今にも吐きそうになってる俺の事が見えていない女はそのまま続ける。


「どなたか存じ上げませんが大丈夫です、貴方の姿は見えてはおりません。
何のことかわかりませんが、どうかご自分の為に私に関わらないようこの手をお離し下さい」

「……そんな訳にはいかない、引き摺ってでも連れて行く」

「もう何処へも行きたくは無いのです!誰も死なせたくない!!いっそ神の元へ還してくだされば!!一思いに殺して下されば!!」


急に女が狂い叫んだ。
しんと静まった森にその決死の慟哭は突き抜けるように響き渡り、今まで何処にいやがったのか村の男達がガヤガヤと騒ぎを聞きつけ集まってきたようだ、複数の足音がこちらに向かってくるのが聞こえる。暗がりの獣道を今までも何度も通って来たのだろう、慣れた足取りが提灯で照らしながらのこのこと群がってきやがる。こいつらが人間の皮を被った化け物共か。ふつふつとぶっ殺してやりたい衝動に駆られる。
1番手前にいた間抜けそうな男がにちゃりと気持ち悪い笑顔を浮かべて、女を指差し黄ばんだ歯を見せながら話した。


「おーい、お兄ちゃん、困るっちゃ。そいつは忌み子やがね、目が合うと殺されっぞ」

「テメェら、人の血通ってんのかよ、これが人間のすることか?」

「忌み子は人じゃなかとよ、殺さんだけましやがね。まあ存外村人の捌け口の役にはたっとるから置いてやっとるがね」

「ふざけんな」


六幻に手を掛け抜刀すると、おお、と男達が1歩下がり慌てて怯んだ。その隙を見計らいひょろい女を抱え上げると一気に土を蹴って村人達の頭上を飛び越え、思いっきり駆け出した。後ろでおーいと間延びした声が聞こえるが追ってくる気配は無い。
1秒でも長くこんな所の空気を吸いたくない、全速力で走りながらすぐに胸元から飛び出した無線ゴーレムを呼びつけコムイに繋げさせる。


「ッオイ、適合者と思われる女を確保したぞ」

「そうか良かったよ神田くん、お疲れ様。もうバスも無いだろうし今日はゆっくりしていいよ」

「無理だ、こんなクソ集落に泊まりたくねえ。っはぁ、それにコイツこのままなら多分死ぬぞ」

「えっ!ならすぐに迎えを手配するよ」


腕の中の女は小さな声でごめんなさいと何度も何度も繰り返し呟きながら両手で顔を隠して震えていた。
どこまで走っただろうか、かなり来た道を戻ってきただろう少しずつ灯りが点る道に繋がってきた頃、ようやく女を下ろした。

本当はあの時、全員殺してやりたいくらいムカついていた。
しかし刀を抜いた瞬間蚊の鳴くような声で聞こえたのだ、女のお辞め下さいという懇願を。代わりにやってやろうっつうのになんで殺らない、仇討ちになるはずなのに。だがあまりに切望した必死な声音に、言うことを聞かざるを得なかった。溜息がこぼれた。温い女の馬鹿な決断にクソ野郎共は命拾いしたらしい。まあただの人間をイノセンスで怪我させたらこっちも重い処分が下るだろうが。

裸足のままでふらふらと覚束無い足取りだというのに、女は手探りに彷徨いながらどこかへ歩き出そうとしたので、すぐにその折れそうな手首を掴んだ。


「どこ行く気だ、今の話聞いてただろ?迎えを待つっつってんだよ」

「貴方様に深く感謝しております故、生き長らえて頂きたいのです。私と居ると「死ぬんだろ?何遍も訊いた」

「じゃあ何故……?」

「とりあえずその包帯外せ」

「むっ無理です!!それだけは、っもう誰も死なせたくないのです!!」


叫ぶ女を無視して包帯をはらはらと外す。
此方の手を掴もうと無闇に手を振っているが力の差は歴然でいて、少し桎梏になったくらいで意図も簡単に全て外れた。慌てて両手で隠そうとするも手首を掴みそれを阻止する。
目を開けろ、じゃなきゃこの腕へし折るぞと脅したが女の意思は固く、構いませんと瞼を閉じたまま頷いた。その覚悟は痛みを知ってる人のそれであり、実際何度も折られたことがあるのであろう。胸糞悪い想像をしてしまい思わず舌打ちする。
しかし流石にそれは出来ないので、両手でその小さい顔を引っ掴んで瞼を無理やりこじ開けるとやっとの思いで瞳がこちらを向いた。
ごめんなさい!!大粒の涙を淋漓と流しながら女が叫ぶ。……が、なにも起こらないことに驚いて目を丸くした。

その瞳は、まさに虹色に輝いていた。何色とも形容しがたく幾重にも揺らぎ、そして薄らとぼんやり光を放っている。
初めて見るその燦然と瞬く宝石のような美しさに、思わず息を呑んだ。
しかし女はこちらの視線に気付くやすぐにぎゅっと強く目を瞑り、慌ててまたそっぽを向いた。


「見てはなりません!」

「お前、それ……」

「忌み子の目は呪いの目です、なりません。貴方に災いを齎したくないのです」

「忌み子じゃねえよ、おそらくそれは、」


暫時、不意に後ろから男から声を掛けられた。
薄気味悪いのっぺりとした声がお兄さん少し宜しいですか、と並べる。
振り返る刹那、目深く帽子を被る男を見やる前に男が姿を変えた。えくそしすと!と叫びながら黒い禍々しいその何度も見た姿。まさにAKUMAだ。斬り掛かろうと刀に手をかけた瞬間、女は声を掛けられ驚いたのか頑なに瞑っていたはずの目を見開きそちらへ視線を寄越した。するとぱん!と派手な爆発音が響く。一瞬なにが起きたか分からなかった。真っ暗な砂煙が風で吹き逃げた後、忽然とその姿は消えていた。
先程まで男だった奴がいた所から煙が立っている。
それが爆ぜたのだ、と気付くまで数秒かかった。


「っああ!また……!!」

「やっぱイノセンス、か」


見ただけで殲滅させられるのか。随分お強い眼力持ってやがるもんだな。
こりゃかなり戦力になるな、と神田は思うも女は腰を抜かして座り込み、青白い顔をさらに血相を変えてまたやってしまったと恐れおののき震え上がっていた。へたり込む女の隣に屈んで目を合わせると恐怖の色をした美しい瞳がこちらを一瞬見遣り、しまったと慌ててぎゅっと強く瞑られた。


「お前は殺したんじゃない、救ったんだ。あれはAKUMAだ」

「そ、そんな……都合が良過ぎる……」

「今までだって、お前がもしやってなかったら周りのヤツらは死んでただろうな。まああんな奴ら死んだ方がマシだろうが」

「いえそれは……私には当然の報いなので……恨んでなどおりません」


それから女は再び静かにはらはらと泣いたのちに、ぽつりぽつりと少しずつ話し出した。

女は産まれてすぐにその瞳の色を両親から気味悪がられ捨てられて奴隷同然の扱いで親類の家を転々としていたこと、そしてある時に村で両親を亡くした子どもを殺してしまったこと、次いで祭りの最中に村長を、それから若くして子供を亡くし落ち込んでいた母親のことも殺してしまったと話した。1度目はまだ誰にも見られていなかったのだが、2度3度とたくさんの人の目があり証言が揃ってしまい、恐れを為した村人達にああやって監禁されたそうだ。
村人は此奴を目さえ隠せば怖くないと思っていたのだろうか、専ら都合の良い傀儡だったのだろう。生かさず殺さずで嬲られ拷問され犯されストレスの発散口に散々使っていた。
しかしその瞳だけは釘で刺されようが焼かれようが次の日には治っており、それが尚更気味悪がられたらしい。


「くり抜こうともされたのですが、みなさん呪いに怯えてそれは出来なかったみたいです」

「…………」


凄惨過ぎて何も言えなかった。


ようやく迎えが来て、女は教団内に運び込まれるや医療班により早急に治療が開始された。食事も最初は用意された皿に乗った物を食べ物と理解出来ずに誰かの残飯の方を食べようとしたり、やっと分かったとしても急には食べられず何度も嘔吐し、相当苦労したらしい。モヤシのように寄生型の適合者は人一倍飯を食らうというのに、辛うじて生命を維持していた女はその胃が飯を受け付けるまで暫くかかった。

リナが任務の合間を縫って何度も何度も献身的に足を運び、たくさん話し掛けているのはちらほら見た。かつての自分と重なってしまいつい放っておけないんだと笑っていた。まあ女はずっと顔を伏せたまま返答していたらしいが。
女はまだ自分が人を殺める瞳を持つ呪いがあると刷り込まれているのを忘れられていなかった。

唯一その瞳をみたのは俺だけだとコムイから聞かされた。見たというかこじ開けただけなんだが、話が拗れると面倒なので言わなかった。


「もう一度なまえちゃんに声を掛けてあげて欲しいんだよ」

「面倒くせえな」

「教団命令だよ、新人教育も担って欲しいし」

「チッ」


そんなものまで引き受けた謂れは無い。
元はただの適合者疑いの人間の回収だったはずだ。
こんな面倒事とっとと終わらそうとノックもせずに扉を開き医務室に入ると、女はビクッと体を震わせたのちにこんにちはと控え目に頭を下げた。相変わらず目は閉じたままで、恐らく医療班の人間かリナだと思っているのだろう。
村で保護した時より随分と血色が良くなった顔をみて、少しだけ安心した。上半身を起こしベッドからはみ出た腕はまだうっすらと傷跡はあるものの、あの時よりも遥かに回復している。


「よお、久しぶりだな」

「!か、神田さんですね……あの時はありがとうございました」


目を閉じたまま女はやわらかく微笑んだ。
長い睫毛が影になり落ちている。あんなに痛々しかった怪我が治り、腫れが引いて明るいところで見る女の顔は思っていたより美しくて蛾眉だった。


「お前まだ自分が殺したとかごちゃごちゃ言ってんのかよ」

「それは何度も説明を受けました……でもどうしても怖くて。こんなに親切にして下さる方々を失望させたくないのです」

「むしろ今の方が迷惑だっつーんだよ」


ズカズカと女の方へ近付き、無遠慮に両手で顔を掴むとまたその瞼を指で無理やりこじ開けた。二度目の事態と驚きで抵抗出来ず開かれた瞳は、やはり眩く輝いており7色に瞬いていた。
たくさんの光を集め燦然と照る瞳を見開いている女を今度は離さないように改めてぎゅむと両手で頬を掴んだ。


「そんな目を持ってんだから、誰かを守るために使え。ここは戦地だ、守られてばかり居るんじゃねえよ、戦え」

「!!」


するといきなり扉が勢いよく開き、そこにはリナが立っていた。笑顔を貼り付けているがこの顔はキレてるときの顔だ。
女の顔を掴んだままの俺を見て、なになまえを苛めてんのよ……なんて言いながら、ズンズン大腕を振るいこちらに来たかと思いきやイノセンスが着いたままの脚で回し蹴りされた。その威力を持ったままに膝を着く。とんだ言いがかりだ、なんつう兄妹だよコイツら。
女の方はリナの暴力を初めて目にしたのだろう、いつもの様に拒絶し瞑ることも忘れて呆然と見つめていたものだから、リナはやっとその瞳を見遣り駆け寄って細っこい両手を取り嬉しそうにはしゃいでいた。


「なまえなんて綺麗な瞳なの!」

「えっ気持ち悪くないんですか……?」

「とんでもないわ、とても素敵……神田が今まで独り占めしてたなんて許せないくらい」

「いきなり人を蹴っておいてそれはねえだろ!」


ふふ、初めて女が声を出して笑った。
三日月に細められた輝く瞳は見るものを魅了する魔性が秘められているのかもしれない、ハッとする美しさは隣にいるリナも同様に押し黙った。


「ありがとうございます、こんなに世界は美しいのですね。目を逸らさずに歩みます」

「やっとかよ」


神田が手を差し出せば、今度は少し力強くなまえが掴みその手を握り返した。細っこいが温かいその手は改めて生きてると実感できる。
ようやく光を受け入れた女の瞳は一層強く輝いていた。


fin