お誕生日おめでとう
篠突く雨音がやたらと大袈裟に逃げ込んできて、窓も締め切っているというのに随分騒がしい。水無月の引き垂れた雲はじめっとした空気を孕んでいて食堂にまでどんよりと垂れ込んでいる。
美味しい食事も照明の所為で半減だな、なんて考えながら昼食をかき込んでいると同僚から訃報と共に調査指図書が入ったファイルが回ってきた。
ファインダーという職業の命はあまりに軽い。
大切なエクソシスト様達が御足労されないよう先に調査し、その予測がビンゴだと大抵の場合その情報と引き換えに誰かの命が失われることが多い。私が入団してからどれだけの人間が入れ替わっただろうか、もう数えてもいれない程だ。多くの場合、イノセンスがある所にAKUMAも居る。飴が土へ落ちると蟻が沸くのと同じ。
私が今生きているのは、たまたまAKUMAに遭遇しなかっただけ。いつぞやの任務でも現地にて東西に分かれて調査をすれば西へ向かった私達は生き延び、東へ向かった者は全員死んだ。年齢生まれ身分性別なんの贔屓も無い、ただのまぐれ。
いっその事的が外れて噂がただの噂だっただけの方が延命するなんて皮肉。たくさんの殉死した屍の山の上に教団は成り立っている。
特段それに対してなんら不満は無い、自ら進んで入団したのだ今更文句を言うこともなにも無い。ただ誰かと仲良くなろうとは思わなくなった。訃報の名前に懐かしさや思い出があると、失う悲しさが分かるから。ただそれだけ。
先程渡された調査書に目を通すと前回同じ場所へ調査が行われたらしく、それに関わった人間の名前が並び、その数と殉死した数は同じ数字が並んでいた。調査員全員死亡のため再調査ということらしい。
その再調査リストに私の名前も載っていた。ああ、また運試しの始まりだ。
時刻は14時発。あと二時間ほどしか無い。同僚の顔を見れば同じく疲れた顔をしておりそういえば隣に彼の名前もある。


「イノセンスの関連は深いと教団は判断している、緊急性が高いためもう出発するそうだ。お前でこの調査団の連絡票は最後だからとっとと準備しとくんだな」

「わかった、また後で」


再調査リストのコピーを1枚引き抜き、閲覧済のサインを済ませてファイルを返すと小走りに同僚は去ってゆく。彼はまたここに帰られるのだろうか。いやそれは私も同様か。
前回の調査との違いはエクソシスト様も同行するらしく、白く空いていたその欄には神田ユウの文字が並んでいた。教団も流石に二度も犬死させる気は無いらしい。御足労にならないと前回のファインダー達がその数で既に訴えている。

荷物の最終確認をしてアースカラーのバックパックを背負い、集合場所へ向かうと先程の同僚を含め見慣れたファインダー達3人が既に揃っていた。軽い挨拶をした後列車の時間や宿の手筈などの相談や連絡をし、地図を広げて前回の報告書と照らし合わせながらエクソシスト様を待つ。
かつん、ブーツの音が後ろから聞こえて振り返ると、細やかな装飾を為された団服を着た彼は現れた。面倒そうな表情の彼は噂通り端正な顔立ちをしていて身長も高く、随分迫力があった。
私は死ぬかも分からないから覚えられなくても良いのだが彼との任務は初めての為、右手を差し出し失礼の無いよう一応挨拶する。


「はじめまして、なまえです」

「お前……お前がなまえか」


…………驚いた。

こんないちファインダーの名前なんか知ってるのか。
アレンやリナリーならなんの違和感も無かったが、神田となるとそうはいかない。人でなしやら凶暴やらろくでもない噂ばかりきくので無視されるのがせいぜい山だと思っていたのに。
やはり異質だったのか同僚たち3人も驚きを隠せないらしく広げていた地図をぱらりと落としたり口々にまじか……と呟いている。残るひとりなんかに至っては体調が優れないのでは……なんて言っている。
そして仕舞いにはなんと握手まで返されたもんだから、先にこちらが差し出したはずなのに酷く吃驚した。その骨ばった手は固くて鍛錬を積んできたことが容易に想像出来る。その対比で私の何も持ち合わせていないちっぽけな手は貧相で隠れてしまい見えなくなる程に。
挨拶も一頻り、パッと手を緩め離そうとしたがなぜか中々離してくれない。ん?不審になりまた視線をあげると神田は此方の思惑に気付いていないのか面食らった表情でこちらをじっと見ていた。


「えっと、以前何かございましたか……?」

「……いや、わかりやすい報告書を見たらいつも報告者にお前の名前が書かれてたから」

「ありがとうございます」


ようやく手が解放され少し安心するも、報告書読むんだ、という同僚の小さい声が聞こえるや否やバカにすんなと愛刀を携え思いっきり睨まれていた。(命知らずだな)
なんともまあちぐはぐな空気のまま出発時刻を迎えた私達は教団を後にした。

地図をみやると随分と都会の地名が指定されており、列車でのアクセスの方が速く且つ利便性も良いと判断した私達は目立たないよう別々の車両に乗り込んだ。顔が割れないように目深くフードを被り各々が喧騒に馴染む。
真昼間の列車内は大雨だというのになんだか明るく随分賑やかで、子供たちの声が愉しそうに弾んでいる。私はというと仲良くしろよなんて他のメンバーに言われ、神田の真隣で同行する係になってしまった。
彼はつまらなそうに窓の外の景色を見やり、片肘を着いたまま何も話そうともしない。こんなに周りは楽しそうなのにこの空間だけ切り離されたかのように気まずい。まだあと二時間も掛かるのかと懐中時計の針を睨んだ。ああ、やはりじゃんけんに持ち込めば良かった、なんて今更後悔。


「えっと……前回の報告書はもう読まれましたか?」

「ああ」

「全員殉死されたそうですが教団もイノセンス回収の期待が高いそうで」


教団の期待なんかどうでもいい、そう吐き捨てる彼の完璧な横顔を見つめながら以前談話室できゃいきゃいと騒いでいた彼女たちの事を思い出した。ファインダーの中にも彼を見つけるなり黄色い声を出すファンは他にもたくさんいたがなるほど今なら理解出来る。改めて見るとすごく綺麗な顔をしているものだからまじまじと見てしまうと怪訝そうに眉根を顰め、んだよと不機嫌にまたそっぽを向かれてしまった。


「……お前いつも同じモン食べてるだろ」

「えっ!?よくご存知でしたね。てっきり他人に興味が無いものかと」

「は?そんなんじゃねえよ、たまたまいつも飯食うときにお前がいるから」

「ふふ、近くに居るなんて知らなかったです」


孤高の彼が周りをみてこんな私みたいな他人を観察していたのが意外で思わず少し笑みが溢れた。すると身長差により自ずと伏せがちになった瞳と一瞬絡まったがすぐに居心地悪そうに逸らされて賑やかな騒ぐ子供たちの方へ向いた。これから雨の中どこか行くのだろうか、その背にしては大きいリュックが色とりどりに揺れている。


「最後の晩餐はこれっていつも決めてるんです、だから同じものばかり食べてしまって……ほら、ファインダーなんていつ死んでもおかしくないですし」

「……お前らはそうならねえよ」


俺がいる限りな、と言い切れ長の双眸はこちらを見もせずにこつりと呟く。散々な言われような彼だが実力もその強さも実際皆が口を揃えて畏敬の念を含むのは確かで。彼の自信は強がりなんかではないと知っていた。


「ありがとうございます」

「いちいち当たり前なこと言ってくんじゃねえ」


そういう面映ゆいことも言える所が鬱陶しがっている癖にたくさんの人を魅了してしまう彼の魅力なのかもしれないな、そう思いながら退屈と窮屈さに身を委ねるはずの乗車時間はゆるゆると溶けてゆき、列車は真っ直ぐ都会へ結ばれたレールを轟々と走ってゆく。濡れたブレーキがいつもより劈くように鳴く不快音を聴きながらも、一定に揺られると危うく眠気が襲う。思ったよりリラックスしている自分に苦笑し、重い瞼をなんとかこじ開けながら浮き足立った声に耳を欹てた。


漸くアナウンスが目的の駅名を告げると私達は列車を後にした。
扉が開いた途端不愉快な湿気と喧騒が滑り込む。
外は雨だというのに、想像よりも賑やかな駅で人気の多いこの街は活気に溢れていて、押し流される他の同僚を探すのに少しだけ苦労した。
目的地はそう遠くない、フードを被り直しざあざあと雨の降る中駅を出て、暫く歩みを進めれば大通りを抜けたのか少しずつ人気が疎らになってきた。たしかこの辺だ、ファインダーのひとりが呟く。地図に大きく赤で丸印をつけられたところ、私達の予測では此処が彼らの巣だ。私達は予め計画していた通りに分かれそれぞれ探索することになった。
被害が甚大でこれ以上ポイントを絞れず単独で探索するには骨が折れる広さと甚大な人手不足により今回はエクソシスト様だけでなく私達も同行していた。だから、ここからが本当の運試しってこと。
無線を飛ばしながらゆっくり慎重に踏み進める。
するとテナント募集が目立つ雑居ビルの隙間を通り過ぎた刹那、不意にひやりと厭な予感が背中を走る。
何度も丸腰で死の間際へ立つ、ロシアンルーレットばかりしている人間にはそういう器官が発達するのかもしれない。私は災厄が降り注ぐ前暫しこういう悪寒が襲うことがあった。
その気配に振り返れば、筋肉の収縮の仕方が有り得ないようなにやりという顔つきの紳士が此方を覗き込んでいた。そして皮が一気に張り裂けて真っ黒な塊が奇声を発しながら顔出す。
咄嗟に結界発生装置を取り出すより速く、後ろからいきなり現れた黒い影が忽然と消えたと思いきや一閃の光と共にそれは真っ二つになり落ちた。
刮目していたはずなのに、あまりの速さに見えなかった。刀を仕舞いながら涼しい顔をしているその凛乎とした姿を呆然と見つめながら、エクソシストへの羨望が一層強まる。ああ、私にもそんな力があればあの時もあの時だって皆死ぬことなんてなかったのに。しかし彼は此方へ恩着せがましい態度をとることすらなく、寧ろ少し怒った表情でこちらへ戻ってきた。


「自分ひとりで何とかしようとすんじゃねえよ、なんの為に俺がいるんだ」

「すっすみません」


謝ろうと頭を下げた瞬間、大きな爆発音と共に砂煙を上げて空が一層暗く落ちた。
見上げれば何が面白いのかギャハハという醜い嗤い声が響く。目視だけで軽く20体は確認できる、AKUMAだ。
無線が音割れしながらけたたましい声で響く。そっちに移動したぞ!!という息を切らした言葉は同時に3人は無事ということを示していてほんの少し安心した。
曰く、目の前に現れたAKUMAが急旋回しいきなり皆一様にこちらへ向かったらしい。これは確実だ、隣を見やると意思疎通が出来たのか既に刀を構えて立ち向かう彼と一瞬目があった、


「イノセンスを探索します!」

「さっさと見つけろ!」


そう言うや否や今日1番愉快そうに口角を上げながらぬかるんだ地面を蹴り上げると、人ってこんなに高く飛べるのかと驚く程空を駆け上がり刀を振るう彼を一瞥して、私はそそくさとフードを被り直し走り出した。
しかし卒然、一筋の眩い光に視界を奪われてぶつかり足元を取られたものだから勢いそのままでぐちゃぐちゃの地面に顔から叩きつけられた。一体なに、驚いて顔をあげると、


「……イノセンス?」


どうやら血眼で探すつもりのお尋ね者が向こうからやってきたらしい。
それは浮かんだまま何か語りかけるように此方へ来ると、おずおず差し出した私の手のひらの上でゆっくりと回転していた。あまりの神聖な美しさに周りの刻が止まり静かに息を呑む。そしてふわりと浮き上がるといきなり勢いよく私の服の中に飛び込んだ。
えっ!!慌ててバサバサと胸元を掴みながら振るが出てこない、どうしよう!盗んだと思われるのでは!?焦る私に相反して、やっと合流したファインダーの3人はこちらの焦りなどまるで気にしていないように神々しい聖母でも見るような慈しむ瞳をしていた。


「適合したのか……」


誰かが零したその言葉に共鳴するようにイノセンスはより強く光を放ち、私の首にぶら下がるネックレスへと逃げ込んだ。
バチッという強い衝撃が鎖骨に走り急に熱くなり、やがて安寧の地に辿り着いたのかその光は消え入った。おずおずとさっきと様子の違うネックレスを見やる。


「ねえ、私なんかを選んでいいの……?」


もちろん返事なんかあるはずもない。
しかし神となる存在がこんな欺瞞に満ちた矮小な人間を選び、救済者になんて果たして務まるのか甚だ疑問なのだ。
まだいまいち頭が整理出来ずに驚きでへなへなと座り込む私の両肩へファインダー達が滑り込み、いまはとにかく逃げろ!と人が隠れられそうな瓦礫の隙間へ一気に走った。頭上からは神田によって無惨に斬られたAKUMAの残骸が次々と雨と共に降り注ぐ。


どのくらいの時が経ったろうか。漸く静かになった外をそっと覗くと砂利を踏みにじる音と共に彼の姿が見えた。彼は汚れた頬を団服の裾で拭うと、ハッと悪い顔で笑いなまえに手を差し出した。


「これでお前も道連れだな」

「……私なんかに勤まるのか不安です」

「やるしかねえんだよ、じゃなきゃ死んだ奴の餞別にもならねえだろ」

「……」

「アイツらの死を無駄にさせんな」

「はい……ありがとうございます。今までもこれからも、よろしくお願いします」

「当たり前だ」


そうか、彼らには私達の死という重みを背負う覚悟があった。じくじくとした蟠りを振り払うかのようにその頼もしい手を取れば一気に引き上げられ、明るい世界に飛び出す。あの陰鬱で鬱陶しかった雨もいつの間にか止んでいて、しんと静まった空間は洗われて澄んだ空気に包まれていた。はじめまして、新しい世界。僥倖なのかはたまた悲運なのか、選ばれてしまった私の星霜の線路は大きく進路を変えた音がした。















無事任務完了し教団へ連絡した後、ファインダー達は後処理班の到着を待機するため、先にエクソシスト様は宿泊地へお戻りくださいと言うのを聞きながらシートを準備しているとお前もだろ、と皆の声が重なった。終了にして今更一体感が出来たらしい。ああそうか、適合したのかと改めて思い出す。
はたと顔をあげると仏頂面の神田がちらりとこちらを一瞥し、さっさと行くぞとぶっきらぼうに投げやるとスタスタと歩き出した。
先輩達に仕事を押し付けてしまうのに少し罪悪感を胸にうしろ髪ひかれながらせめてもの償いに深々お辞儀をしてその場を後にする。
足の長さの差なのかその距離はぐんぐん離れてゆく。すっかり夜も更け、繁華街は昼を忘れたかのように色を変えて夜の街へ姿を変えていた。大通りには随分とバーやレストランが多いらしい、次々と赤い顔をした愉しそうな人たちとすれ違う。酔っているのか皆の声が大きく愉快そうにガヤガヤと揺れている中、濡れた地面が灯りを映して一層目映く輝いている。
美味しそうな異国料理の匂いや甘いシーシャの香り、瀟洒なピアノのメロディーが遠くから聞こえる中流れゆく看板の光に照らされた黒髪が揺れている背中を追いかけていると、不意に彼が振り返った。妖艶な横顔がこちらを見やりしれっとした表情のまま、


「お前、酒は飲む口か?」

「えっ?まあ嗜む程度ですが」

「なら付き合え」


こちらの返事など関係無いのか有無を言わさず近くの店へ勝手に入ってしまい、慌てて着いてゆく。
中へ入るとさっきまでの喧騒が嘘みたいに遠のき優しいトランペットが奏でるジャズと共にふわりと煙草やエキゾチックなお香が鼻をかすめた。いらっしゃいどうぞ、と声を掛けてくれたのはどうやら一人で店を切り盛りしているマスター。小さなカウンター席のみの薄暗い店内はたくさんの種類のお酒があることがウリらしく、彼の後ろには様々な色形をした小粋な瓶がずらりと並んでいた。仄暗い空間に引き垂れるモロッカンランプがきらきらと客達の愛飲しているグラスを複雑な光で照らしている。
キョロキョロしていると神田は少し奥の席で座っていて、テーブルに頬杖を着いたままオイこっちだ、とこちらを呼んだ。さすが眉目秀麗、すっかり洒落た空間に馴染んでいるものだからその隣に座るプレッシャーが居心地の悪さを助長する。致し方ないので隣の椅子に腰掛けると思ったより席の間隔が狭く肩がぶつかりそうな距離に緊張する。これ、いまファンの方々にみられたら殺されるのでは……?しかし神田はそんな思考なんてつゆ知らず、こちらへぶっきらぼうに言葉を紡いだ。


「なにか頼めよ」

「う、うーん……じゃあモスコミュールでお願いします」


ビール以外で唯一わかる酒の名前を伝えるとマスターは慣れた手つきでウォッカとジンジャーエールを混ぜ合わせマドラーで掻き回すと切ったライムをそっと添えて美しい所作でコトンと目の前に置いた。神田の手元には透明な液体が入った小さいショットグラスがあり、何を頼んだのか分からないが恐らく度数の高いものだろうと安易に想像出来る。


「こうやってよく人と飲んだりされるんですね、意外」

「んなわけねえだろ」

「じゃあ適合のお祝いですか?ありがとうございます」


ふふっと思わず笑みが溢れると、端正な顔が何も言わずにじっと見つめてくるものだから面映ゆい気持ちになりまだ酔ってもいないのに頬が紅潮していくのが自分でもわかる。あまりの恥ずかしさに脳内で必死に天気や近況や日付など当たり障りない話題をぐるぐる探し回り、あっ今日って、と思い出し慌てて声をあげた。


「あ!あああの、今日お誕生日ですよね!折角なのに私なんかが隣で申し訳ないです」

「そういえばそうだったな」

「科学班の方々が準備する!と息巻いてました、教団に戻ればまずお祝い会ですね」

「お前は?」

「えっ」


想定していなかった質問に驚き見つめ返すと、彼は此方を見据えたまま探るような声音で続ける。


「お前は来んのか?」

「わ、私は……」


ただのファインダーですので、と言いかけてやめた。もう違うのか。 しかし呼ばれても無い会にひょこひょこ顔を出すほどの度胸も厚顔無恥でも無い。
笑ってはぐらかそうとするも凜然とした彼の視線には誤魔化せそうも無いのは歴然で、ああダメだな話題を間違えた。私は意を決し、力を借りるために目の前のグラスを一気に飲み干して乾ききった喉を潤わせた。


「すみません気が回らず何も用意してなくて……」

「なら今でいい」


なるほどそういうことか、良かった!
なんとか話題の解決口が見つかり私は嬉々としながらバッグから小さい財布を取り出してじゃあ今日は好きなものを好きなだけ飲み食いしてくださいと笑顔で言うと彼は首を振りながら私の財布を手で押さえ、其れを否した。


「奢らせる為に誘ったんじゃねえよやめろ」

「えっ!あ、でしたら今からでも何か買いにでも行きますか?都会なので百貨店などもありますし」

「いらねえ」


……まじか。
なんとしてでもお祝い会に来て欲しいのか?んなわけない、彼は大勢に祝ってもらいたいような性格じゃあ無さそうだ。なのになんでこんな食い下がるのか疑問でほとほと参ってしまった。何したら許してもらえる?1発芸?いやいやそんな面白い人間でも無い。
さっき一気飲みなんてした所為かはたまた頭を使いすぎた所為か急にくらくらと酔いが回る。神田は空いたグラスを差しながら同じのでいいか?とこちらへ訊くともう酒の種類の引き出しの無い私は頷くしかなく、くるっと前を向きコイツに同じ奴をとマスターに伝えていた。
もう止めておけばいいのにすぐに作って頂いたグラスに気まずさを流し込むように口を附け、ふわふわとしたままええいままよと開き直ることにした。


「じゃあもう私でいいですか!」


なんちゃって、と続けようと顔を上げれば、彼は頬杖を着いたまま狡猾な笑みを浮かべ漆黒の双眸で射抜くようにこちらを見詰めていた。あまりに絵になる格好良さに言葉が出てこなくって息が止まる。
彼はこちらの胸中を知ってか知らずか悪戯な声で、


「へえ、いいのか?」

「こんなんで良ければ、あはは……えっ!?」


やっとその詰問を終えれたと安心したのも束の間、ん?いやそれって、と酔ってぼんやりした脳がようやく動きだす。
その目鼻立ちの整った顔をつけているのが原因で痴情のもつれやらの面倒事に人一倍巻き込まれやすそうなのに、そんな判断しづらい冗談をいうのか。
しかし彼のその瞳は真摯で余りにもまっすぐなものだから嘘じゃないということは確かなようで、かっかと熱くなってゆく身体を手で扇ぎながら恥ずかしさのあまり思わず俯いた。


「ま、まさか口説いてるんですか……?」

「だったらどうする?」

「!」


……どうやら彼は狡い人だったらしい。そしてかくいう私はまんまと罠に嵌ってしまったらしい。



後々訊けば神田が初めてファインダーのことを誰だと質問し、機転を利かせたコムイが急遽なまえを任務に同行させたことが偶然今回適合者となり功を奏したそう。
昔は食堂でファインダーの胸倉掴んで喧嘩してたあの神田くんがさあー、初めて興味持ったみたいだったから、なんて屈託の無い笑顔で並べられてこれ以上何も言い返せなかった。もし彼も同席していたら恐らく愛刀の餌食になっていただろう。
結局帰団後のお祝い会は神田がやっぱり行かねえとボイコットしようとした為無理やり背中を押し連れて行くと私まで不本意ながらなし崩し的に参加することになってしまった。科学班の皆さんは新しいイノセンスのことよりもどうやってあの仏頂面神田を落としたのかばかり気になるらしく何度もうきうきとした眼で訊かれたが、そんなのこっちが聞きたいくらいだから何も言うことも無く言い淀んでいる間に彼にしばかれていた。
来るんじゃ無かった!と苛立つ彼へふと思い出しこっそりと耳打ちすると、彼は馬鹿なまえと言いながらその眉間の皺をゆるめてふっと少しだけ微笑んだ気がした。


「お誕生日おめでとう、私を選んでくれてありがとう」


fin