微睡む夢は蒼穹に投げ込んで!

春の陽気と程良い満腹感に充たされた五時間目、眠りを誘うのに持って来いの子守歌は生物。
見渡せばもう机に突っ伏しダウンして夢の世界へ羽ばたいている者数知れず。黒板までの視界は有り得ないくらいすっきりと明瞭だ。しかし黒板の文字を写す私のペン先も先程から何重にも重なり増えて覚束ない軌跡を綴っていた。かくん、と机に仕舞った足元から堕ちていく感覚に何度も身を委ねてしまいたくなったがぐっと堪えて重い瞼を持ち上げる。今回の授業の板書は多過ぎて少しも隙が無いし、誰かにノートを借りようにも余りに生存者が少な過ぎる、きっと明日私のノートは教室中にぐるぐると回されるだろう。

プリント配るぞー、という先生の震えた声に幾つかの頭がふらふらと起き上がった。疎らに上がった頭はプリントを後ろに回すという作業を全うすればまた元の少し温めた枕と呼ぶには余りに乏しい小さな寝床へ帰ってゆく。
私も後ろへプリントを回そうと振り返れば狭く固い机にさらさらと漆黒の髪を流す神田の姿。彼もまた睡眠欲には打ち勝てなかったらしく、淡麗な顔を少しだけ見せて眠りに付いていた。僅かに机に頭の先を預け、綺麗な長い睫毛が影を落とすその姿はまるで絵になり見とれてしまった。しかし生存者は数人、しかも意識を保つのがやっとの世界、大丈夫バレちゃいない。普段あんなに眉根を顰め不機嫌なように鋭光を放つ瞳も眠っているときまで存在するわけじゃなくて、すうすうと一定に呼吸し幸せそうに寝るその姿はまるで子供。起こしてやったら悪いし、このままそっとして置こうと最後尾に突っ伏すラビの分のプリントをそのまま渡そう……にも彼もまた屍と化していた。ラビまで眠るとは珍しい限り。
しかし立ち上がるのは面倒で、怠慢な性格がこんな時も発揮されて神田がささやかに身体を預ける机に左手を付いてそのままラビがだれる机の申し訳程度の空白にふたつ折りしてそっと乗せようと指先までぴんと伸ばす。……やはり一人分の距離は短い腕には限界があったらしく、ふるふると震えながら心中で死闘を繰り広げる。もう少し、あと少し。
ぱらり、と漸くラビの元にプリントを届けることが出来た!よっし、内心小さなガッツポーズひとつして神田から離れようと支えになった左手を離そうとすればいきなりがし、と強い力が桎梏となり動きが制圧された。ぎゃ、と思わず潰れた悲鳴を上げて見やれば神田が眠気眼で私の腕を掴んでいる。まだ睡いのか手首から繋がる手のひらは平温より少し温かい。何時もの人を寄せ付けない孤高を貫く瞳も今は迫力が無くて愛しく感じてしまった、言ったら血を見るだろうから言わないけど。とろんとした夜のような瞳はただただ私を映していて、何も発言しないのに不信感を抱いて「神田?」と問い掛けるも未だ覚醒していない脳に届かなかったのか反応無し。
暫時、漸く彼の端正な唇が「見えてたぞ」と麗しい掠れた声が紡いだ。……見えた?何が?聞き返そうと口を開いた途端柔く繋ぎ止められていた腕に力が入り、ぐんと一気に彼の方へ引かれて反応出来ず素直に身体ごと神田へ飛び込んでしまえば空いた手のひらが私の頬を掴んで、

ちゅ、と小さな接吻。

「!!?」言葉に成らない叫びとなった断末魔が喉から横溢して身を捩れども中々解放されない唇。柔らかい其処に、感じれないくらいの距離に、唇の体温に、どろどろに溶けて心臓が壊れてしまいそうになり何も聞こえなくなる。
漸く気が済んだのか両手をゆっくりと離し私は一瞬の高鳴りをただ脳が反芻するのをただ呆然と聞き流す。真っ赤に紅潮した頬を隠して神田に避難囂々の視線を突き刺すも彼は何か?と言わんばかりの涼しい顔のまま表情すら変えず私を見詰めた。なんだよその悪ぶく様子皆無な平静な態度!「だ、誰か見てたらどうすんの!?」やや声が上擦ってしまったがこの際関係無い、今詰問すべきは先程の神田の挙止だ!授業中というのに、な、なんというはしたない……!
「誰かが見てたらも何もねえよ、お前屈んだときブラウスから中見えたぞ。それこそ糞兎に見られたらどうすんだよ馬鹿が」
凛とした覇気のある声が私を貫いてぴん、と額を指先で弾かれた。結構な痛みに自然と涙目になるも「誰にも見せるなよ、分かったな?」と言ったものだから思わず肯定の意味でこくりと頷くと、彼が滅多に見せないような優しく細めた瞳で見詰めてぐりぐりと私の頭を撫でてそれから面倒そうに白で埋まった黒板の文字をノートに板書を始めた。私はと言えば今日の下着何だっけ、から始まり先程の眠気は何処へやら身体中を駈け巡る愛しさに緩む頬を抑えるのに苦労した!









←back