孤高を貫いた彼の独白

馬鹿な奴だな、と思った。


見覚えのある顔だと、本当は一目見てすぐに気付いたが敢えて言わなかった。
言う義理も無いし、珍しい女のファインダーなんて任務に出なくってもどうせすぐに音を吐いて逃げ出すと思っていたからだ。しかし予想に反して、何時もずっとヘラヘラ愛想笑いばっかして何に媚び諂ってんのか知らないがひたすら食いしばっているようだった。


なまえの噂は厭でも勝手に耳に入った。

男共が口ばっかで弱い癖してそういう事だけは一丁前に妙に浮き足立って騒ぎ、こぞってアイツの名前を口にしていたからだ。
やれ可愛い、近付きたい、手合わせしたい、付き合いたい、ヤりたい。
んな事ばっか考えてるから弱いままなんだよ彼奴ら。


確かにはっとするような明眸だった。
人の顔を覚えるのが苦手な俺ですらすぐに思い出す程だからきっとそうなのだろう。

だがそれでちっさくてか弱いなんて誰かにずっと守られるような奴なら教団には要らない、むしろ任務の足でまといだ。だからわざわざ直接忠告してやった。

ただ意外と芯のある奴だと思ったから、少しだけ手を貸したまでだ。あとはもう知らん。

それからなんか妙に懐かれたのか、あの日からアイツは鍛錬場に向かう度にこっちの顔を見たらすぐにトコトコやって来ては頭を下げ手合わせを願いに来た。
正直面倒だったが筋は悪くなかったし、飲み込みも割と良かったから毎回適当に組手した。あとはリナにちゃんとしっかり教えろとしつこく注意されたからもある。


長期任務が重なり、蜻蛉返りして束の間だけ帰団した時にたまたまなまえと廊下で出くわした。
嫌いな癖してずっと一緒に居るゴツい奴の隣を歩いていたが、此方の姿を見つけるやパッと満面の笑みを浮かべ燦然とした瞳で小走りでやって来る姿はさながら子犬のようだった。その後ろであからさまに肩を落とす男へ、ほんの少しだけ優越感が込み上げる。


「神田さんお疲れ様です!これからまた任務です?」

「ああ、二時間後すぐに発つ」

「そうですか、ご武運を。実は私も明日初任務に行くんです」

「……精々犬死しねえようにするんだな」

「ありがとうございます」


突然まじまじ見てきたり饒舌になったり倉皇したりよく分からない奴だったが、慕われているのには悪い気はしなかったし適当にあしらっていた。

アイツの姿を見なくなってからも、短期で何度か任務があったがすれ違っているのか中々会うことは無かった。誰かに聞けば不要な詮索をされかねないし大して興味ある訳でも無いから気にもしていなかったが、生きてんのかもわからないのはどことなく落ち着かなかった。

















何週間ぶりかも覚えていない程の久しぶりの非番。団服を着ないのも久々だがのんびり過ごすと余計な事に思考を取られるし、誰かに絡まれるのもウザいからとりあえずラフな服へ着替えて体を動かそうと森へ足を運ぶ。
どこまでも突き抜けるような蒼穹が眩くて目を細めた。あっけらかんとした青空は鬱陶しくて嫌になる。鬱蒼と生い茂った木々を揺らす風は静かに凪いていた。
閑静な空気を肺いっぱい吸い込んで、煩い喧騒から離れる為にどんどんとひたすら森の奥へ突き進んだ。
急に景色が一転して一気に視界が開けて大きな湖へと出ると、珍しく先客が居たらしい。舌打ちしそうになったが、しゃがみこむ小さい背中が見慣れたその姿で一瞬驚いたもののすぐに能面を貼り付けて隣に並んだ。


「何してんだよ」

「っわ!!!あ、あっ神田さん!お久しぶりです」


そんなに大きい声掛けをしたわけでも無いのに、大袈裟なくらい双肩を跳ねさせてかなり吃驚したらしく、なまえはただでさえ大きな瞳をより見開いたまま固まっている。
真下にはこのチビが入れそうなくらい大きな桶があり、細っこい手を浸している中で揺蕩う泥水には見慣れた白い団服が浮かんでいた。しかし本人が着るには随分と大きいし、桶の近くにはまだたくさん泥だらけのファインダーの団服が積まれている。
どうやら一人で洗濯しているらしく、なまえの白い頬にも泥が乾いた跡がいくつも着いていた。帰団してまだ間も無いのかいつも綺麗な髪も乱れてボサボサだ。かなり過酷な任務地だったのだろう。
汚れが酷くてそのまま洗濯に出せないと判断したんだろうが自分のだけやればいいものを。コイツつくづくお人好し馬鹿なのかと関係ないこっちまでイラついて溜息が出た。


「馬鹿かよ、なんで人のまでやってんだ」

「えっと、私が断ったからです……」

「何を」

「い、言いたくありません」

「……ならいい」


ただでさえチビな癖にしゃがみこむその姿はもっと小さくて、何時もよりどこか萎んで見えた。
そして再び長い睫毛を伏せてまた手元に集中し、必死に身体ごと桶に体重を掛けるようにして押し洗いをする。
切羽詰まった横顔がこれ以上探らないでという緊張の糸を拙く一生懸命張っているようで、もう何も言えそうになかった。
しかしなまえから離れる刹那、その瞳がやけに赤く零れ落ちそうなほどに潤んでいて堪えているかのように見えたものだから、一瞬どきりと拍動が大きく鳴り、思わず瞠目してしまった。すぐに目を逸らし敢えて気付かないフリをする。
泣くくらいなら断ればいいのにくだらねえ。愛想笑いして人の仕事までやって善意を振り撒いて、本当馬鹿な奴。

その小さい背中を置いてきぼりにして、ここへ来た理由も忘れたまま踵を返しさっさと歩いた。
さっき見てしまった涙の記憶を振り解くように。




未だあまり気分は良くないが、とりあえず食堂に向かい何時ものように蕎麦を注文する。
時間を気にもしていなかったが壁に掛けられた時計に目をやればちょうど真昼間らしく、食堂には沢山の人で賑わっていた。最悪だ。

出来上がるまで受取口で待っていれば、がやついた喧騒の中でも一際目立つ喧しい連中がいた。汚ねえ笑い声を上げてギャーギャー騒ぐ奴らの方を睨みつけるも、皆一様に喋るのに夢中なのか気付きもしていない。次第にピキと青筋が額に浮かぶ程苛立ってくるも、目の前で用意をしているジェリーがこちらの顔を見て「神田、食堂ではあばれないでねン」と先に釘を刺されてしまい舌打ちをした。んだよあいつら飯くらい静かに食えよ、うぜえ。
その迷惑な5、6人のたむろの中にはあのチビと共にずっと行動していたごつい奴も居たが、その体並みにデカい声があまりに五月蝿すぎて聞きたくもないのに嫌でも耳に入ってきた。


「だがそれにしても今回の任務は疲れたな!!泥の中を4日もひたすら歩いたのにハズレだった」

「たしかに!でもよ、あれは最高だったな!
なまえにヤらせろって襲ったときの逃げ惑う必死の顔!」

「ワハハ!!でもダズは羽交い締めにしてちゅーしてたじゃねえか!」

「そのためだけにあんなに教え込んでやったんだからあれ位でバチは当たんねえだろ!!」

「ギャハハ!!!今も洗いもんしてくれてるし次はヤれんじゃねえか!?」




…………。

ふらふらと足が勝手に騒音を立てやがるゴミ共の方へ引き寄せられてゆき、そいつらの目の前までゆっくりと歩み行きゆらりと影を落とす。やっと無駄なお喋りを辞めた愚かな野郎共が一斉にこちらを見上げた。その顔はどれも真っ青で、各々が恐怖の色に染まっていた。
そして一番騒いでいたゴツい奴の胸倉を掴み上へ持ち上げると、今更わなわなと震えながら先程と打って変わって蚊の鳴くような声で止めろなんて情けねえ笑える事を言う。

さっきからずっと力を入れ過ぎて白くなる程握り込んでいた拳を無言で少し後ろに引くと、渾身の力を込めてそのムカつく顔面目掛けて一気に突き出した。ドゴッ!!と派手な音を立てて拳がめり込み、肉へ骨へ到達する感触と共に二、三本汚ねぇ歯が飛んでゆく。その反動で巨体は回転しながら遥か後ろの柱まで吹っ飛んでいった。

正直そこからは記憶が無い。








「神田!やめろ!!」



ジョニーの叫び声が聞こえてはっと我に返ると、ジジやタップ、周りの奴らになんとか押さえられていた。
ふと気付けば足元でさっきの男が血まみれで気絶している。
周りを見渡せば何度も殴り倒したのかさっきまで騒いでいた奴ら全員倒れ込んでるし、人相も分からないほどボコボコに腫れ上がっていた。
ズキズキと痛む右手を見やれば、拳がアイツらの血で真っ赤に染まっている。
先程まであんなに人が多かったというのに水を打ったように静まる空気の中、まだ苛立ちは収まらずさっきから取り押さえている奴らの腕を乱暴に振りほどいた。

どうやらアイツらはまだ死んでないらしい。
待ってろ、お前ら全員殺ってやる。

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