羨望するあなたの強さ

新人は当然最初からは使い物にならないので当分訓練として先輩と行動を共にするよう、先輩である彼からタイムスケジュール表を配布された。
その紙を頂戴するといきなりバシッと背中を叩かれて、身長差からなのか無粋にも当然のようになまえの肩に肘を置いてきた。生理的嫌悪なのか肩からぞわぞわと全身へ鳥肌が立ってゆく。

これから自分の上司に当たるらしい彼は、自らをダズと名乗った。
大柄で腕も太く無精髭が生えており、ガハハと大口を開けて笑う姿はなんだか山賊のようで少し怖かったが、そんなことで怯えていちゃきっとここで務まるはずも無い。

なまえはダズに負けじと大きな声で今日からよろしくお願いします!と叫ぶように挨拶してしっかりお辞儀した。それを見てどうやら気に入ってくれたらしく、「これから頼むぜなまえ!」と無遠慮にでっかい手のひらでワシワシと頭を撫でられた。
すっかり乱れた髪を手櫛で整えながら、事ある毎にどこかしら触れてくる彼が苦手だなんて心の中でこっそり毒を吐く。


「お前の事はこれから俺が張り付いてみっちり扱いてやるからな!覚悟しとけよ!!」

「はい!」


自分の手元の紙を見る方が早いだろうに何度もなまえの手を掴んでスケジュールを確認するダズに早くも辟易としていた。その触れられる手に下心があるのもまざまざと分かるのだ。

舐められやすい容姿をしている自覚はある。背も低いし、ツンとしたクールな美女でも無い。
だから昔から異性からこういう目にあうことは散々経験して来た。
ダズは今までの気持ち悪い男達を纏めて捏ねて造形したその集大成みたいな男だった。

しかし残念ながらチェンジ!なんて叫べるわけもないし、此処で培った人徳も彼の方が当然上だ。ここでごねると只の面倒な新人というレッテルを貼られてしまう。
早くこの仕事に慣れて、彼なんかより強くならねば。そして願うことなら何らかの機会におもいっきりしばき回してやるのだ。
そんな汚い野望をはやくも抱きながら、昨日ひと目見れた神田の凛乎とした背中を思い出して自らの煤けた気持ちを無理やり浄化した。













「おつかれ!じゃあ今日は終わりだ!夕食は何を食べる?」

「すみませんお腹が減ってなくて……」

「ガハハ!そんなんじゃ保たないぞ!こんな細っこい身体では食わないとな!」


男のまとわりつくような視線がなまえの身体を頭のてっぺんから舐め回すように絡みつき、胸元で止まったと思いきやじっとりと突き刺さる。隠す気も無いのだろうその目線は痛いほど露骨で、気持ち悪くって思わず顔を顰めた。この先で任務同行したら後ろからこっそり仇討ちでもしてやりたい。

本当はお腹が減って仕方がないがダズと食べたくないがあまり嘯き、指導という名目の監視からなんとか抜け出した。
なまえは1秒でもはやくアイツをボコボコにしたいという一心で鍛錬場へ駆け出してゆく。
リナリー、居たらいいな。
一目散に駆け下りて扉を開けると、矢張り食事時だからかリナリーは居なかった。
だがまず目に飛び込んだのは、部屋の中央でど派手に次々とファインダーを薙ぎ倒して屍の山を築く神田の背中。
ふっとダズが無惨にやられて一層この山を高くすることを一瞬想像したが、それでは気が済まない。私がこの手で殴ってやりたい。こんな強さが欲しい。

日中ひたすらあのセクハラに我慢して奥歯が割れそうな程噛み締めて練りに練りこんだ怒りの余り、私は完全に理性を失っていた。


「すみません神田さん!私も手合わせして頂けませんか!」


気付けば叫んでいた。
屍達が顔を上げて一斉に此方を見る。あれ今朝の新人だよな、なんて声がボソボソ囁かれる中で、彼は面倒そうに一瞥すると大きな溜息をついた。ただ息を吐いただけなのにそれすら絵になるのだから凄い。


「お前みたいな貧弱、どうせまともにやった事もねえクセに怪我でもしたら面倒なんだよ」

「でしたらどうやったらそんなふうに強くなれますか……?」

「自分で考えろ」


歯に衣着せぬ物言いにバッサリと斬られてあえなく撃沈する。まあそりゃそうだ。
練習もしていないのに試合に出れるはずも無い。
仮にプロの選手にプレイ方法を訊ねても真似が出来るわけもないのだからその返答は当たり前だ。
さすればまず鍛えてから出直すのが筋なのだろう、なまえは神田へ「ご教示ありがとうございました!」と深々と頭を下げて誰の邪魔にもならないように部屋の隅へパタパタ走ってゆくと、下手くそなりに拙く筋トレを始めた。アイツ馬鹿だな……とざわめくファインダー達を神田はキッと睨み黙らせると、その自分が負かした山達も放置したままひとりさっさと鍛錬場から立ち去ってしまった。


まず兎に角鍛えねばと躍起になり、がむしゃらに頑張るなまえが次の日筋肉痛で泣く羽目になるのは想像に容易いことだが、本人だけはまだ知らない。
壁に掛かってある時計を確認すると、2時間ほど経っていたのでダズに見つからないようにコソコソと食堂へ向かう。
夕食時の繁忙期を越えた食堂は先程よりも閑散としていて、落ち着いた空気に包まれていた。胸を撫で下ろしこんな時間でも元気に挨拶してくれるジェリーさんに癒される。


「なまえ!お通夜みたいな顔してるじゃない〜ちゃんと食べなさい!」

「ありがとうございますうう」


手早く用意されて目の前にチャンと置かれた盆には注文した美味しそうなみずみずしく輝くざる蕎麦の他に、飲むと体の色が変わりそうなくらい濃い色をしたドリンクが置かれていた。なぜ?と顔を上げたら此方の不信な視線にもめげずに可憐にウインクを返される。


「ここにはね、蕎麦ばっか頼む馬鹿もいるからつい癖で栄養ドリンク付けちゃうのよ」

「成程、その人変わってますね」

「そーなのよ!せっかく男前なのにねン」


まさかその変人が入団を決意するきっかけになった想い人だとまだまだなまえが気付くことは無かった。

折角の善意だ、仕方無く一気飲みをするがこりゃすごい。手元にある瓶を思わずまじまじと見つめながら瞠目する。ものすごく湧き出た元気と引き換えに目覚しいほどのビタミン感というか栄養の塊という感じが舌の上でどんちゃん騒ぎをしている。これを毎日飲んでまで意地でも蕎麦を食べる男前のどなたか、すごいです。
もう夜なのに血が音を立てて巡り、持て余す元気で眠れなくなりそうだ。

食器を返してきてから入浴してさっさと眠ろうと思っていたのに、燃料投下されたせいかバクバク拍動して活動準備が出来ていると身体中が漲っている。もう寝る時間なのに勘弁して欲しい。
こんな時に夜が開けるまで話耽る友人もまだ居ないし、談話室に行けば却って誰かに気を使われてしまいそうだから辞めておこう。それに第一ダズが居れば最悪過ぎる。
昂る神経も落ち着けたいしここはマイナスイオンを吸う為、癒しを求めて森へ向かい散歩することにした。

教団から一歩出ればザアアと葉が擦れる音が夜に響き、大きな黒い影達が風にそよぎうねりゆき、もうもうとした真っ暗な木々が此方を追い込むように騒ぐ。いや、思っていたより夜の森って怖いな。
夜目も効かない私は、人を攫ってしまいそうなどうしようもなく荘厳な恐ろしい森の雰囲気に呑まれていた。しかし静かなことに変わりは無い。背中がゾッと寒いと言うのに怖いもの見たさなのか、勇ましく足だけは止まらず中へ進んでゆく。

すると急にオイと何処かから男の声が聞こえてビクッ!と大きく肩が跳ね上がった。
昔親から山で此方を呼びかける人の声がしても返事をしてはいけないと言い聞かされたことがある。もし返答してしまったら黄泉に連れていかれるとか人ならざる者に食べられるとか。
まあ本当は大きな動物の咆哮だったり何かしらに異常をきたして幻聴があったりするだけだろうが、今の状況では正気でいれるはずも無くて聞こえなかった事にして足を止めてくるりと踵を返すことにする。
しかし声は追い立てるように「新人のくせに無視かよ」となんだか自分の事を見知っているかのような返答が来た。何故森が知っているのだろうか。
いやこれは本当は私の幻聴で、いまの置かれてる自分の近況を適当に脳内で組み合わせて聞こえたように思っただけかも知れない。……なら気が触れてるじゃないか、それはそれでまずいぞ。
帰る為の歩みを早めようとした途端いきなり目の前にドサッと大きな黒い影が落ちてきたから、なんとか平静を保とうと勤めていたがいよいよ我慢ならず驚き過ぎて思いっきり叫んでしまった。


「キャアアア!!!!」

「チッうるせーな」


その塊は着地と同時にすっと立ち上がり見上げる程の高さになった。どうやら本当に人間が声を掛けてきていたらしい。鳥目なので誰か全く見えないが声の通りおそらく男性だろう。
今の咄嗟の叫び声めちゃ女の子らしかったなと思ったのと同時に他人の目が無いこの状況、不味いのでは?とハッとする。ゆらァと揺れた影は何か長い棒のようなものを肩に担いでいるシルエットが朧気に見えた。えっ武器も持ってる!死ぬ!
どっと汗が背中を伝って倉皇する私に相反して、男は此方の姿が見えているのだろう、余裕げに言葉を紡ぐ。


「何ふらふらほつき歩いてんだよ、鍛錬の邪魔だ」


その声。はたとようやく気付いた。
神田さんだ。よく見れば結った長い髪が風に煽られてはためいている。
美しき信仰の対象が突如舞い降りても人は顔色を伺ってしまいすぐに膝を着いたりは出来ないらしい。

彼怒りっぽいの、リナリーもそう言ってた。
確かに優しそうには見えないしそういう対応を求めるつもりも無いが散歩しているだけで上から降ってきて通るなと怒られるのか。怖いな、この人。
でも暗くてはっきり見えなくて良かった、2人きりで昼間のようにあんな怖い顔と向き合えば土下座しか出来ないかもしれない。


「わっ神田さん!夜目が効かず全く姿が見えなくて、」

「お前が迷子にでもなったら探さなきゃなんねえんだからさっさと帰れチビが」

「すみません帰ります」


急に木々をざわつかせる風向きが変わり、彼のものだろう花のような芳しい色香がふっと掠めた。
子供の時以来ぶりにチビなんてシンプルな罵倒をされたが、そんなサプライズご褒美があったのでどうでも良くなりありがとうございますと言いかけて、危ないそれは気持ち悪過ぎるだろとすんでの所で飲み込んだ。

森を訪れるのは昼間だけにしよう、そう心に誓いつつ神田に頭を下げて教団へと歩みを進めた。

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