仄暗く薄曇りなお茶会

本当に困った。

あれから、食堂でひとりで食事してたらあれが噂の彼女だーなんて後ろ指さされるし、明日出発する任務会議に出席しても同行する先輩がにやつきながら「明日は神田いねえぞー?」と指摘してくる。

なんだか中途半端に否定もしずらくって、とりあえず曖昧に笑って誤魔化してはいるものの、肝心の本人と意見の擦り合わせもしてないしそもそもそういった関係でもないし、どう振舞っていいのかも分からなくてただ悶々としている。
私がいま此処にいる理由そのものである、神に等しい彼のことを心から深く尊敬しているからこそ私みたいな人間ではあまりに不釣り合いなのだから。
好きだなんて、一目惚れしただなんて、そんな大それた事絶対に言えない。
その噂に乗じて図に乗って彼女面なんてするなんてことは決して言語道断なのだ。


元はといえばダズの意趣返しを自らの手で出来ず居合わせた彼に代理させてしまい、その上更に同じ過ちが繰り返されないようになんて気遣ってもらい、偶然にも誰かの勘違いで発生した噂に抑止力として乗っかっただけの話だったのに。

その頭に血が昇りやすい性格故に、大勢が集まる時間帯の食堂で売り言葉に買い言葉とはいえ神田さんが大声張って自ら宣伝してしまったような所為で、すっかり公認の仲になってしまった私達は終着点も見えないままに無自覚にお互いの首を絞め合ってしまい、周りの外堀だけをがっつりとさぞかし立派に舗装したかのように埋めてしまった。


彼は依然として興味も無いのか全く表情にも出さずいつも通り飄々としているし、尤も普段の態度やピリついた彼の雰囲気も相俟って誰からも茶化されたり直接聞かれたりもしていないようだった。
(でもただ一度だけ、廊下でジジさんにめっちゃ弄られてたのは遠目に見たのだけど)

ひとりすっかり窮地に陥った私は、こんなこと誰にも相談出来ずに『人の噂など大概2ヶ月半』という諺を頼りなく思いつつも唯一のお守りにして、波風も立てず大きな話題にもせず静かにフェードアウトするのを、ひたすら心から待ち侘びていた。


やっと昼食を終えて長い廊下をひとりで歩いていれば通りすがりの同僚からまた神田さんの事を訊かれて、内心少し辟易しながらも断定するような返答は避けつつ適当に相槌を打っていると、通りの向こうからカツカツと聞き慣れたヒールの音を立てて誰かが歩いてくるのが見えた。

首を伸ばして人混みを掻き分けるように探すとそこに居たのは、長期任務から帰還したとは思えないくらい麗しき可愛いリナリー。

にこやかに周りへ挨拶を交わしつつ歩くその姿はそれだけでもう眩くて、まるで美しき女神様のようだ。
その細く締まった背中には後光すら差してみえる。いやもはや差してる絶対に。
神に救いを求める愚かな民の如く、私は思わずなりふり構わずそのまま駆け寄った。
そして「リナリー!」と叫びながらどこぞの兄さながらに全力でがばっと抱き着くと、驚きつつも笑いながら受け止めてくれるその優しさが全身に沁みる。


「あはは!ちょっとどうしたのなまえ?」

「リナリィー!おかえりー!!今日もすごく可愛いね」

「相変わらずまともな返事になってないわ」

「えへへ」


相談する人を見付けた安堵で、あの日からずっと張っていた緊張がほろほろと解れてしまい、すっかり溶けきる私の頭をぽんぽんと撫でてリナリーは嫣然を浮かべる。
本当はもう少しこのまま癒されたいが、多忙な彼女にとってホームで過ごせるかけがえの無い時間を無駄に奪うのは良くないと「少し時間があればどこか座れる所で話でもしない?」と提案してみるとにっこりと微笑んでくれて、用意が済み次第のちのち談話室で落ち合う約束を交わし、惜しみながら彼女から離れた。










***









ホンットーに呆れた!

リナリーはさっきまで笑顔でうんうんと相槌を打ちながら丁寧に淹れてくれた香り高い紅茶だったのだが、聞き終える頃にはもう感情を抑えられずソーサーにゴツッ!と思いっきり音を立ててカップを置いていた。
最初こそ談話室で落ち合い顔を合わすや、久々の女子会だねーなんて花を咲かせてすごく楽しそうだったのだが、なまえがここ最近酷い目にあった様々な出来事をしどろもどろに話してゆくうちに少しずつ徐々に頬や額に怒りマークを沢山こさえてゆき、最後の方になると口角こそ上がったままだったがもう誰がどう見ても完全に怒っていた。
その変貌が怖すぎて何度もやっぱ止めようか?と打診したが、その都度「いいの、続けて?」とどす黒く目が座ったまま手の平を差し出してくるので、なけなしのブレーキも掛けさせて頂けずに後ろで操縦桿を握られた暴走機関車の如く、なんとか最後まで話し切り終点を迎える頃にはなまえは全身に変な汗をびっしょりかいていたのだった。

初めて見るリナリーはもはやただならぬ雰囲気でいて、暫くの間は静かに黙っていたが遅効性で堪忍袋の緒が切れたのか急に大きな声を出したので、つられて小さくヒィ!と思わず少し身を縮めて恐怖に慄く。


「なによそれ!?
ダズはサイテー過ぎて後で制裁してくるとして!
神田って!もう!いっつも!ホンットーに!デリカシーが!無い!!」

「ちっ違うのリナリー!神田さんの方は元はといえば私がわるくて、「それはさっきも聞いた!」


ダズはもう最悪最低過ぎて論外として!!
と珍しく刺々しくブチ切れた声音で、怒りの余りわなわなと震えさせて右手に持つ蝶があしらわれたティースプーンを手首のスナップを効かせて振り回しながらキレるリナリーを、なまえは若干引き気味でまあまあと必死で窘める。

そのあまりのキレっぷりたるや、有言実行で今にもこの怒りのパワーのままにダズを引き摺り出してとっ捕まえるや、ありったけの感情を乗せて往復ビンタだけに留まらずダークブーツでもお構い無しに思いっきりフルスイングで蹴り上げそうな勢いだ。

ほっ、ほらっリナリー!いつもの可愛い笑顔!ねっ!?と、何度も必死になまえは自分の口角を指で押し上げて見せながら繰り返すが残念ながら今のリナリーには到底聞こえちゃいない。


「そもそも神田も神田よ!
食堂なんかで大声上げてそんな内容言ったらそうなるに決まってるじゃない!みんなゴシップに飢えてるのよ!」

「そうなの?」

「そんなこと今はどうでもいいの!」

「ええー……」


解せぬと言った顔をしながらもやもやと紅茶を流し込むなまえを横目に、とりあえず済んでしまった事はどうしようもないとこのやり場の無い怒りをクッキーの糖分と一緒になんとか飲み込む。


兄さんにダズの事を相談した後、長期での任務に駆られていてどうなったのか事の顛末を聞けてなかったのだが、大丈夫かとずっと気にはなっていた。

でもまさかあの神田が、最初になまえのことを気に掛けていたし注意した日からもこっちからお願いせずとも何度もなまえと手合わせしてるのを何度か見かけて、珍しく人の面倒なんかみていたものだから、あれっもしや?とは薄々思っていたものの、まさか少し目を離した隙にこんな事になっていたとは。

まあ尤も無頓着な彼のことだから、自分が噂を肯定したことで事態が急転直下で重くなるのはよく理解してはいなさそうだけど。というか、そもそもするつもりも全く無さそう。自分の思考内で堂々巡りしてまた全身の血が沸きたって腹が立ちそうになる。





……実は、なまえ本人にこうして聞くよりも前に、本当は帰還してすぐにその噂は耳に入っていた。
そしてこれはもしや訊ねなさいという神の思し召しかなんかかと思えるくらいタイミング良く、話し終えてからすぐに神田本人にもばったりと出くわした。

まあそんな噂なんて種明かしすればただの噂でしか無いだろうとは思いつつも何気なく「なまえとの噂、聞いちゃったんだけどホント?」と神田に訊ねると、一瞬ピクリとすごい嫌な顔をしつつも無視を決め込んだのかそのまま踵を返そうとしたから、すぐに逃がさないと咄嗟にその手首を取った。

長い仲の私達は厭でもお互い理解してしまっている面がある。
この空気は絶対に私が折れないということを知っている神田は、盛大に眉根を顰めた後に大きな大きな溜息をひとつ付き、観念したように嫌々ながら開口した。


「……どっちでも良いだろ」

「(ん?)そうなの!?じゃあ近々お祝いするからね」

「いらねえよ。……いいから離せ」


これ以上は流石に突っ込んだ質問は出来ないなと思った矢先、神田は乱雑に腕を振りほどくと此処にもう1秒も居たくないというスタンスを貫きスタスタとあっさり立ち去ってしまった。

神田ったら否定しなかった。
……と、いうことはこれはきっと、ちょっと私の希望的観測だけど、つまりそういう仲ってこと!?

彼自身嘘をつくのが嫌いな人だから、なまえとの仲を揶揄われた時も普段の彼なら大体真っ先に否定して怒るだろうのに。
なのに、あんな忌み嫌う色恋沙汰の噂をあの彼がわざわざ肯定したということは喩えそこに裏があったとて、好意が少なからず何処かにあるからだろう。

まあ神田のことだから自分自身でもその気持ちにイマイチ気が付いてなさそう。……いやでも、もしなまえを守ろうとして咄嗟に出た言葉だとしてもあまりに下手過ぎるけど!
というかそもそもなにも考えてないにしても悪質すぎ!ちょっとはなまえのこと考えて行動して欲しかったわ。
大体あの時の会話だってそう…………!

さっきまでキラキラと乙女検知器が反応して嬉々としていたのに、再び落ちると段々と不穏になっていたリナリーは、やっぱりちょっと一言でも言わなきゃ気が済まない!とバンと突然両手で机を叩いてついに立ち上がってしまった。これはどこかへ行く気だ。というか、絶対神田の所に行くに違いない。

それにやっと気付きワンテンポ遅れて、なまえがあわあわと慌てて制すると、急にパッと此方を射抜くような深い色の瞳と目が合った。
そこには怒りこそあれどもその彼女の双眸は真意を探るようになまえをじっと見つめる。いつもなら可愛い……と思考停止してしまう所なのだが今日のリナリーは怖過ぎてはたと息が止まる。


「ならなまえは神田の事どう思ってるわけ!?」

「どっ、どうっていうか……畏怖、のような敬愛のような気持ちですかね?
そういう恋愛的な意味なんか失礼って感じで」


その返答を聞いた途端、意味わからない……といった顔をしてフリーズしてしまったリナリーと、不覚ながら止めることが出来てしまったが何がおかしかったのか分からないなまえは、お互いに不思議な顔をしたまま妙な空気が流れていた。

そのままふたりで宇宙猫のような表情で時間が止まったように見つめあっていれば不意に後ろから声が掛けられた。


「なにしてんだよ」

「!」

「あっ神田!」


パッとふたり同時に声の方向へ顔を向けると、ラフな私服姿でローポニーをしている神田さんが眉根を顰めた仏頂面で突っ立っていた。

……最悪だ!
会えて嬉しいけど、でも絶対いまこのタイミングじゃない。
なまえは手で顔を覆ったまま、内心で大きな溜息を零す。

いまのリナリーなら絶対根掘り葉掘り聞く自信があるし、聞くにしても同席したくなかった!
でも今更じゃあ!またね!なんて印象悪すぎて離れれる訳でもない。

この修羅場どうやって丸く収めようかとなまえが慌てて口を開こうとすると、先に神田が訝しげな顔をしてなまえの胸ポケットに刺さるペンを指さした。


「……それ、誰のだよ?」

「へ?……っあ!さっきの任務会議でダニエルと入れ違ったみたい」


教団から配布されたシャーペンには金色で各自名前が刻印されているが、ただ本体の色など見た目は同じモノだから隣で話していた同じファインダーのダニエルと、いつの間にか入れ違ってしまっていたらしい。

よしこれだ!
やったーまさに渡りに船だ!
このまま返してくるね、とちゃっかり退席しようと画策するも、さきにスっと伸びてきた神田さんの手にあっさりとペンは奪われてしまった。
一瞬あの骨ばった大きな手が私の胸元へ触れたような気がしてしまい、どきりとしてしまった自分が恥ずかしくて顔を伏せる。
しかし実際当たってもいない神田はそんなこと気にもせず堂々としたまま、隣でムスッとしているリナリーへ顔を向けた。


「リナ、ソイツどこにいる?」

「……ダニエルならその奥の席で笑ってる茶髪の彼よ」


返事もせずスタスタと歩いてゆく背中を「ちょっと!」とリナリーが呼びかけるも既に遅く、ふたりでただひたすら見つめていれば、そのままダニエルの前に立つや早速なんだか不穏な空気で神田が先にシャーペンを押し付けると、半ばひったくるようになまえのだと思わしきペンを奪う。
そしてピリピリした空気を纏ったままズンズンと此方に向かってきた。
えっと待って、いやそれはもはや強奪した感じでない?角しか立ってなくない?

そんなこと毛頭関せず、「ちゃんと気を引き締めねえからこんなんなるんだよ」とパッと手渡されたシャーペンをなまえは唖然としたまま両手で受け取ると感謝の言葉を告げる前にそのまま神田はさっさとどこかへ行ってしまった。


えっと……神田さんが談話室になんて来るの珍しいね、と困り顔で笑うなまえに対して、リナリーにはそもそも他に気になることしか無くてただただ「そうね」と空返事した。

prev  top  next