紆余曲折ありながらも晴れてやっと夫婦となったふたりだったが、名無しには意外にも国交の才能があったようで益々とその友好を広げてゆくので日中は他国に足を運ぶ事も多かった。
本人も、折角こんな私なんぞを妃にして頂いたのだからなにか役に立たねば!と躍起になっていただけなのだが。

神田がこういった他人と馴れ合うなんて行事を忌み嫌っているのは側近時代にもう散々知らしめられたので、最低限夫婦で出席しなければならない場所以外では基本的に名無しは1人で向かっていた。
せめて王さまの重荷にならぬよう、やれ今日は西に明日は北へ、なんて神田に向かいニコニコとしながら告げてはそそくさと侍女らを連れて馬車でどこかへ行ってしまう。

そうなると必然的になかなかふたりの時間を作れず、神田は名無しを枯渇しているものの口下手故に言葉にはしないがずっとどことなく荒れていてイライラとしていた。
(なんなら側近に置いてた頃の方が自由に手出し出来てたんじゃねえか?)

確かに今まで国交が嫌いだと放置していた自分に非があるし、怠りでもある。尤も実際問題血を流すことなく友好を結ぶのは国民にとっても間違い無く正しいことだ。
だから余計に、引き留めたいと思っている自分が矮小に感じて心中を言えなかった。
そして隣国での諍いを名無しに見られている分なのか円滑に進めたいのか知らんが、一緒に行こうと誘われる機会も少なかった。



あともうひとつ時間が減った理由として、まあこれは名無しが悪いし本人にも再三注意したことだが、身分が変わり妃になったというのに自覚も無いのかなんとなく臣下の感覚が抜け切らず、以前と同様に勝手に業務に携わりにくるので激務だし周りもどう扱っていいのかも分かり倦ねて使用人達を困らせているらしい。

……どうりで早朝からムクッとひとりで起きては先にベッドを抜け出して勝手にどっか行ってるなとは思っていたが、まさか廊下の掃除とか庭の手入れをしてやがったとは。
自分の身分弁えろよ馬鹿。

仕舞いには戴冠式の次の日から、当然の職務なのだが元同僚達にいきなり敬語で話されたのだが、それがなんだか皆から距離を置かれたようでかなりショックを受けたらしい。

何時ものあの狡い瞳でうるうると涙を潤ませながら「寂しいから前と同じように話して欲しいです……」と開口一番に無茶な懇願をされて一同困り果ててしまい、使用人達でどうしようかと相談した結果、揃って神田の元へぞろぞろ集まって来くるや至極言いづらそうに敬語を外しても良いものかなんてしょうもない許可を取りに来たもんだからもう、呆れて溜息しか出なかった。
だから身の程を弁えろって。


今朝もまた、カーテンの隙間から僅かに覗く外は未だ空気が青い時間だというのに、ゴソゴソと名無しが眠そうに目を擦りながら起きようとしていたので待機していた甲斐もあり、その細っこい手首を折らない程度に掴むとガバッと再びベッドへ引き摺り込んだ。
まだ名無し自身も夢現に微睡んでいたのもあり、ぱちくりと驚いたまま刮目して固まっているのもお構い無しに、無言で覆いかぶさる。


「どこ行く気だ?もう使用人の仕事はすんなっつったろ」

「すみません……でっでも今日は違くて、」

「それともなんだ?またどっかにお茶会でも行きやがんのか?」

「いえっ!あ、あの……お忘れでしょうか?」

「は?」

「今日はリンク様が結婚のお祝いをしに来賓して頂けるとと仰っておられました」

「…………」


……そうだった。
また無駄にあのお高くとまった犬野郎の面を拝まなきゃ行けねぇのかよ、ムカつく。

最初にこの話を聞いた時イラッとしてすぐ様断ろうとしたが、友好を大切にする名無しの「じゃあ私が一人で向かいます」という言葉を聞くや頭に血が上り、咄嗟に自分も出席すると言ってしまった。
まあもっとも、そもそも祝いに妻を一人で行かす訳にはいかないなんてことは流石に理解もしているが。
……そういえばアイツ、こないだ寄越してきた手紙に祝いで来賓するのすげー早い時間指定して記載してやがったな。
だからこんな早くにコソコソ用意してやがんのか。

面倒で仕方ないが、来ても良いと言ってしまったのだからしょうがない。
さっきまで纏っていたピリピリとした空気が途切れたと感じ取った名無しは、少し安堵したように口角を上げて躊躇いなく神田へぎゅむと抱きついた。
それを当たり前のように受け止めて、そのままの勢いで上体を起こし足先からそっと下へ降ろしてやると、莞爾に微笑むやその場で踊るようにくるりと回ると頭を下げれば甘く優しい香りがふわりと漂う。そして侍女の元へと駆け足で向かい、軽やかに朝の挨拶を交わしながら退室していった。

本当はもっと二人で過ごしたいというのに、無常にも約束の時間まで淡々と迫ってゆく。

……以前糞兎が勝手に開きやがったお茶会のときに、あの犬野郎と名無しが二人でにこやかに話していた瞬間が鮮明にリフレーンする。
婚姻してからは名無しが顔になったおかげで益々盛んに国交を交わす仲になったのか、アイツと話した色んなことを嬉々として話す名無しから出てくる隣国との取り決め内容があんまり甘くて胡散臭いもんだから、ゼッタイ下心でもあんだろと怪しんではいた。だからこそ、尚更二人きりになんてさせてたまるか!と神田はひとり悶々としていたのだった。


「神田さま!そろそろお時間みたいです!御出迎えのご準備を」

「チッ!面倒だな……」


いつの間にか支度を終えてこちらを呼びに来た名無しは珍しく少し薄化粧をしているらしく、いつもより美しくて華やかに見えた。

なんだかふんわりしているその笑顔すらも独り占めしたくなり、白い細腕を折れない程度に引っ張って手繰り寄せると深く重ねて唇を奪う。
キスしたまま驚き瞠目する名無しの表情をわざと目を開けて見つめると、目が合った途端恥ずかしくなったのかぎゅっと目を瞑り、無言で抱きついてくるその挙動すら愛おしくて丸ごと強く抱き寄せた。
ああいっそもう、このまま時が止まればいいのに。


古時計が、時を知らせる鐘をボーンと低く鳴らす。
それが響くと名無しがハッとして慌てて離れて、面映ゆい気持ちを隠すように微笑み「ゆ、行きましょうか」と慌てて応接間へ降りるよう促した。
(もっと続きがしたかったのに)

広い階段を嫌々ながらに降りてゆくと、準備をしていた臣下達もどことなくソワソワ落ち着きのない空気でいて、2人の靴音に惹かれて一斉に顔を上げた。それをみて名無しは深く頭を下げて手短に礼を言う。



まさに謹厳実直な彼らしく、定刻きっちりに針が指した瞬間にリンクは沢山の祝儀と共に馬車に乗ってやって来た。

あのときの先鋭メンツや侍女を連れてシワひとつないグレーのスーツ姿で静かに降り立つと、パンと胸元を手で払う所作をしてから神田の方を見やった。
その目線はもはやお祝い名目で来たとは思えない程の鋭い睨み合いで、火花を散らす駆け引きがお互いの間で一瞬だけ交わされる。後ろの臣下もウワァ……と引いてる中、名無しだけはほんわかとした笑顔のままで気付いていなかったが。


「遥々御足労頂きありがとうございます。
ようこそ!お待ちしておりましたリンク卿」

「これはこれは、おふたりお揃いですか。
神田殿、お久しぶりですね」

「用が済んだらとっとと帰れ」

「ちょっと!王さま!」


開口一番に喧嘩をふっかける神田をすぐにいなして、名無しは後ろで待機していた侍女達へ目配せし沢山の荷物を頂戴する。
隣国の名産品や陶磁器、お茶菓子など様々なものを頂きその一つ一つを確認しては嬉々としてリンクへ感謝する名無しと、なにか腹の底で変な事考えてんじゃねえだろうなと訝しむ神田はまさに明暗正反対の顔をしていた。


今日は、メインである結婚祝いと同時にリンクが焼いてくれたケーキへ舌鼓を受けようというお茶会も兼ねている。

春の空気はとても柔らかくポカポカと陽だまりが優しくて、名無しが懸命に世話している花達が丁度咲頃なのもあり、中庭へとお誘いすると快く引き受けてくれたので一緒に向かい、早速お茶会の準備を進めた。

名無しが香り高い紅茶を注いで1人ずつに配ると、リンクが大きな箱を持ち上げるとそこからケーキをスっと取り出しテーブルの上に置く。
それはそれは驚く程大きくって、繊細な花細工の散りばめられたチョコレートのデコレーションをたんまり施された、なんともいかにも甘そうなケーキに隣でぼーっとしてた神田は見ただけで胃もたれしてしまい、反射的にウッと身動ぎ一歩後退りしてしまった。
相反して名無しはまるで子どもが宝箱でも開けたのかと思うくらい燦然と目を輝かせて素直に感嘆の声を漏らした。

それを愛おしげに見詰めた後にこやかに微笑み懇切丁寧にケーキの説明をするリンクと、ふむふむとひたすら感動しながら聞く名無しの仲がなんだかお似合いに見えてしまい、神田は気に入らずイライラとしてドカッと乱雑に席に着くと、名無しが注いだ淹れたての紅茶を一気に仰いだ。
カツン!と大袈裟な音を立ててソーサーへ置くと、冷たい瞳でギロリとリンクを睨み付ける。


「オイ、いつまでも長居すんなよ犬野郎が」

「君、相変わらず素養も無ければ器量も無いんですね。
婚姻されたんですからもう少し余裕を持ったらどうです?みっともない」

「は?テメェみたいなんが一番信用ならねえんだよ」

「かっ神田さま、せっかくのお祝いなんですからそんなこと仰らなくとも……」

「名無し様の仰る通りです。
そんな醜い所ばかり見せていたらいまに愛想尽かされますよ」

「んだとテメェ!」


やっぱり予想は出来てはいたが案の定ツンケンした空気になってしまい、名無しは咄嗟に自分がクッション役にならねば!と躍起になったもののこの空気で何と言えばいいのか悩んでしまい、しどろもどろ二人の顔を交互に見つめていれば、突然草木を踏む足音が慌てた様子で縺れ込むように走ってきた。

そして「失礼します!」と額に汗をかきながら臣下のひとりが入ってくるや、三人の目線が一斉にそちらへ向いた。


「王様に会われたいとお客様がこられています!」

「はぁ?知らねえよ追い出せそんな奴」

「しっしかし、なんだか商人だそうで『ジジだと言えば分かる』と……」

「チッ!あんのクソ野郎……」

「ジジさま?どなたですか?」

「……古い付き合いの奴だ。
また面倒なことになるから名無しは会わなくていい」


ジジは薬売りの旅商人だ。
ガキの頃からなんか妙に好かれてるというか兎に角鬱陶しいくらい絡ん
できやがるが、ムカつくけど腕だけは確かだ。誰かの下に着くのが嫌いだと組織に着かずにこうしてたまにふらっとやって来て気まぐれに屋台を開いては、行列が出来るほどしっかり稼いだらいつの間にかどっか消えてやがる。

会うのも面倒だし、何よりもいま名無しとコイツをふたりにしたくない。

追い返して来いと使用人に伝えどもしどろもどろに「その……それがすごくしつこくって帰って頂けず……」と言いづらそうに何度も頭を下げられるとこっちもだんだんイライラと虫の居所が悪くなるし、名無しも「行って差し上げては?」としょんぼりした瞳で見上げてくるもんだから、ほんっとーに!名無しから離れたくねえのに!なんならあの犬野郎なんかこっち見ながら勝ち誇った顔してちょっと笑ってやがるような気もするが!


「神田さま、此処は私がなんとかしますからご心配なさらず……」

「そうですよ、是非行って差し上げてください。日が暮れるまで昔噺に花を咲かせて下さって構いませんし、もういっそ戻ってこなくても大丈夫ですよ」

「俺が構わねーんだよ!!
いいかクソ犬野郎!ゼッテー俺の妻に余計な手出しすんじゃねえよ、わかったな!?」

「はいはいさっさと行きなさい」

「それと名無し!お前もだからな!」

「はっはい!!きちんとこなします!」


名無しの方に至ってはあんまり意味も分かってなさそうな気がするがもういい、問題はアイツだ。もし何かしやがったらあの金髪澄まし顔切り刻んでやる。

神田は今にも噛みつきそうなくらいキレた顔をしたまま使用人の方に振り向けば、その勢いのまま「分かったから連れてけ!!」と怒鳴るものだから、気の毒なほど大袈裟に縮み上がりながら臣下は大汗かいて小走りで走っていってしまった。