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「おい、これ邪魔だから外せ!」

「外せるわけないでしょ!馬鹿なんですか君は!?」


朝から理不尽にイライラしている神田に対して、当の本人への着付けという自分の職務を終えてクワッと額に沢山怒りマークをこさえてキレ返すアレン。
言い返したそのままの勢いで彼の仕事道具である服飾関係の一式が詰まった革製のトランクを感情任せにバタン!と音を立てて閉じると、ゴソゴソと荒い手つきでスーツのポケットから懐中時計を取り出した。
凱旋パレードまであと一時間。


今日は凱旋した我が軍をお祝いするパレードと、次いでに婚姻発表も重ねたハレノヒ。
名無しより先に用意が終わり、高級生地で織られたロイヤルブルーの自国の正装スーツをぴっしりと着せられた神田は、動きにくいのと伝統として受け継がれているこの宝石装飾が鬱陶しいのとで、こんな晴れやかな日だというのに大層機嫌が悪かった。
まあそもそもこういった浮かれハッピーイベントも、人前に立つのも大がつくほど嫌いというのもかなりあるが。
本来なら分けたほうが良い祝祭だが、纏めて行うのは二回もやるくらいならいっそ同時に終わらせたいという彼らしい理由だった。


妃となった彼女の着付けの方には、自らやりたい!と志願した大人数の仕女達が携わることになった。
今朝より二人から祝言の報告を受けて、本人達よりもキャッキャと喜び舞い上がった彼女らがあれやこれやと名無しに似合うような可愛い装飾を用意する様は、もはやお祭りが始まっているかのような盛り上がりようだった。

本来なら王族直属の服飾役のアレンの仕事でもあるが女性だしなと悩んでいたところ、私達がするから要らないと彼女たちにバッサリ言われてしまい、ズカズカとクロスの営む自分の服飾店にやって来るとあるだけのレディースを物色されたのちにめぼしい物を見繕うや盗賊の如くごっそりとかっさらっていかれた次第である。

うわあすごい、バーゲンみたくなってる……後で師匠になんて言おう……と、ただひたすら抜け殻のようにその髪色も相俟って白くなったまま呆然と見つめているしか無かった。
そしてふと隣を見やると、当事者のはずの名無しもまた僕と同じ表情をしたままぼんやりと立ち尽くしていた。え?

すっかり周囲の熱意に置いてきぼりでオロオロとしながら、あれよあれよと次々色んなドレスを合わされてはマネキンにされている。
なんだかこれはこれでほんのちょっと不憫だったが、まあ彼女なら放っておいたら何時ものメイド服で行くなんて言いかねないのでちょうどいいか、と思考を止めて放っておくことにした。
ただ問題は片付けだ。とりあえず職務もあるし時間も無いし放置してここまで来たが正直帰りたくない。クリーニング代も請求してやろうかこの単細胞野郎。


「君がいけしゃあしゃあと明日婚姻するなんて突然言ったせいで今店がどんなことなってるか分かります!?」

「知らねえよ」

「さながら強盗の犯行現場みたいになってるんですからね!ドレスや装飾、修繕代やクリーニング費用その他諸経費も払ってくださいよ!?」


ちゃっかり請求の上乗せもしてやろうと適当な文言で色々消し掛けたが、神田は特に何も気にしてないのか眉ひとつ動かさずに淡々と返事を寄越した。この人が馬鹿で良かった。


「適当に請求書切って財務に渡せばいいだろ。
それよりボロ雑巾はちゃんとした格好してたのか?」

「よっしゃあ!ありがとうございます!
ってか君わざわざそんな事訊いて、可愛いお嫁さんのことになるとそんな甘くなるんですね」

「うるせえ、出すっつってんだから余計な口挟むな」

「ハイハイわかりましたよ!
名無しの方は僕がやってないので分からないですけど大丈夫なんじゃないですか?皆随分張り切ってましたし」

「チッあいつら……」


今朝の仕女達の事を思い返しイライラする彼にちょっと笑いそうになる。実際にあの現場みたら卒倒するかも。
バ神田、いまなら桁違いくらい請求書ちょろまかしまくっても全然気にしなさそうなくらい名無しのことで頭がいっぱいなんだろうな。


まあ神田が職権乱用も甚だしいくらい彼女を贔屓していたのも、自覚が無いくらい溺愛しているのも誰の目から見ても明らかで、残念なことに皮肉にもずっとそれに気付いていないのは当の名無しだけだった。
なので報告の際も名無しは申し訳なさそうに実は……というニュアンスで一言だけ話したが、相反して隣に立つ王さまは至極当たり前と言わんばかりに堂々としていてなんならちょっと自慢げだったのがむしろ癪に障った。クソッ皆の目さえ無ければ。

こっちからしてみればようやくゴールインしたのかとやれやれと言った風に笑ったが、名無しだけは拍子抜けしたらしく暫しぽかんと目を丸くして驚きようやく緊張がほぐれたのか、ふわりと花が開くようにはにかんでいた。

彼女と仲の良いお姉さん使用人は「やっと?もう王さまの背中押そうかって何回思ったことか!」と言い、
たまに職務が重なる男性使用人は「名無しのせいでこっちにまで手出さないかピリピリされてたから、これでちょっとは王さまも丸くなるといいなあ」とぼやき(全く同感ですよねホント)、
配膳人からは「ボロ雑巾ちゃんに俺達が給仕する側になんのか!なんか気持ち悪いな!わはは!」とあっけらかんと笑い飛ばした。
ちなみにティエドール前国王には昨日先に伝えたらしく「娘が出来て嬉しいよ」と微笑まれましたなんて、面映ゆそうな表情で名無しが教えてくれた。すごく可愛いけどそれを全部帳消しにするくらいには男の趣味が悪過ぎる。


何度目か分からない溜息をつこうとした時、この悪い空気の中澄み渡るように響くのはコンコンと扉をノックする音。
入れ、と吐くように神田が許可をすると、さぞ良い仕事しましたと顔に書いてある達成感でホクホクとした仕女達が現れた。
そのうちのひとりが妃様の準備が整いました、とお辞儀をして彼女がすっと身を引くと、後ろからひょこりと見えたのは恥ずかしそうにいかにもモジモジとしている名無しの姿。

名無しは神田とお揃いになるよう、深いロイヤルブルーに染められたふんわりとしたラインのドレスを身に纏っていた。そこには星屑が瞬く流星群のように沢山の宝石が細かくあしらわれている。
髪は華やかに巻かれてアップしており、そこには彼女の雰囲気に似合うよう可愛らしいデザインの花のコサージュが色鮮やかに咲き乱れていた。

……最近やっと僕が新調したものの、普段は神田がボロ雑巾と呼ぶのも無理はないくらいにかなり拠れたメイド服姿をずっと見慣れていたものだから、あまりのその変貌にすっかり魅入られてしまい、言葉を失ったままじっと見つめてしまった。
それは隣で佇む神田も同じだったらしく、動揺したのか何故か突然すっくと立ち上がるし、呆気に取られているのか何も声を発しない。

異様な僕達の反応を見て不安になったのか段々と「やっぱり変ですよね……」と今にも泣きそうになりながら俯く彼女にハッとして咄嗟になにか弁明しようとしたら、先に神田が独白を呟くように唖然としたままやっとその口を開いた。


「綺麗だな……見違えるくらい」

「えっそんな!わ、私なんかにこんな良いお召し物を着せて頂いて、本当にありがとうございます……」


神田のそのぼそりと零した言葉を聞いた途端にびっくりするくらい一瞬で林檎のように頬を赤く染め上げて、そっぽを向いて恥ずかしがるその姿は僕からみても可愛くってまるで小さな妖精のようだった。というかコレ、何を見せられてるんだ。
やってられないなと呆れ眼でもう一度その妖精さんにくるりと一周回ってもらい、とくに不備など無いことを確認するとアレンは自分のトランクを掴んだ。


「じゃあ僕もパレード参加するんで先に行きますからね。
言っときますがもう服が乱れるようなこと何もしないでくださいよ!分かってます!?君に言ってるんですよ神田!」

「キャンキャンうるせえな、とっとと出てけバカモヤシ」

「アレンって言ってるでしょいい加減覚えたらどうですか!?この馬鹿単細胞!」

「あ?んだとこのクソモヤシ野郎」


例のごとくバチバチと睨み合い今にも戦火の火蓋が切って落とされそうな一触即発の空気を敢えて壊さねばと名無しは使命感に駆られて、慌てて咄嗟にいつもより声を張りながら間に割って入った。


「あの!!あ、ありがとうアレン……!
あと、お店ごめんなさい……あとで片付けに行きますから……」

「君は気にしなくていいんですよ、今日は楽しんでください」


さっきまで牙を剥いて神田を睨んでたことが嘘のように、名無しへにっこりとやわらかく微笑んだアレンは紳士にお辞儀をするとそのまま退室してそっと扉を閉めた。

パタンと静かに閉まった途端にしんとした静寂に包まれる。
そういえば神田さまと久しぶりにふたりきりになったなと気付いた途端、確か最後に二人になったのはあの夜噴水まで連れ出して下さった以来だと改めてはっきりと意識してしまい、時を巻き戻したように再びドキンと拍動が高鳴ってきてぎこちなく緊張してしまう。
あれは、あの小説とかで見るぷ、プロポーズ……というやつですよね?あれがこんなにも恥ずかしいなんて。

昨日からずっと地に足が着いていなくてふわふわとしたままで、なんだかまだ全部夢のようで全然実感が湧かない。
ぎこちなく慣れないドレスを踏まないようにそっと彼から少し離れたところに隣に座ると、一連の動作をじっと見ていたらしい神田さまがムスッとして無言で自分の真隣をピッと軽く指さす。分かっている、わざわざ距離を空けなくてもいいだろと言っているとは。


「えっと、いまなんだかすごく恥ずかしくって……」

「これから夫婦になるっつうのに今頃何言ってんだよ?」

「まだイマイチ実感が無くて……。
あの……神田さまはかっこいいし王様だし引く手数多だろうのに、どうして私なんかにしようと思って下さったんです?
私、あの大切な花瓶も割ってしまったのに」


しどろもどろに伝えた名無しの言葉に虚をつかれたのか固まってしまった彼は、ぴしゃりと水を打ったように長い沈黙が広がる。
これって聞いてはいけなかったのでしょうか?と後悔の念が段々ふつふつと湧き上がるも、神田さまは顔に手を置いてハーッと長い溜息を着いた後に仕方ないかと、なにか諦めたかのように目を逸らして言いづらそうに口を開いた。


「……俺の部屋から一番良く見えるのは中庭だろ。お前が何時も花の世話をしてる庭。
だからずっと前から知ってたし、次いでに言うと花瓶なんかもどうでも良かった 」

「え、じ、じゃあ……最初からってこと?」

「ハッそうかもな」


鼻で笑うと彼の長い指先が言葉足らずを補うようにゆっくりと愛おしそうに名無しの頬を滑り優しく撫でた。
まるで所有物を確認するかのような繊細な扱いに、頭では理解してはいたつもりなのにこれから本当に自分はこの人の元へ嫁ぐのだと改めて分からされてしまい、再び忙しなく拍動がうるさくなる。
絶対に幸せにするという覚悟を彼からヒシヒシと熱いくらい伝わってきて、胸がいっぱいでなんだか今すごく一緒に居たくなってしまい当初彼が指していた隣に腰を下ろす。
膨らんだドレスのせいであまりいつものようには触れ合うことは出来ないが、ぱっと見上げると整ったお顔が長い睫毛を伏せて愛おしそうにまじまじと見つめられていて、妙に照れてしまう。

すると二度のノックのあと、使用人の方が入室して「王さま、まもなくお時間ですのでご準備を」
とだけ告げてそそくさと退室された。
神田さまが其方に視線を外してわかったすぐ行く、と頷き返事をすると再びこちらを見やり視線が絡まった。
すっと静かに手を差し伸べられて促され、その手に重ねるとぎゅっと力が入り繋がれて引き寄せられて二人で立ち上がる。
ああ、本当にこれから……。

なんだかこんな直前になって急に震えるくらい緊張してきて、落ち着こうと昨晩眠る前に何度も行ったイメトレを思い出す。
親や使用人さん達はすごく喜んでくれたけど、こんなの傍から見たらこんなの完全に貴賤結婚なんだからきっと国民の方も良い顔されないに決まってる。
もしかしたら罵詈雑言の他にも唾をかけられたり卵をぶつけられたりするかもしれない。でも全て受け入れるって決めたから。大丈夫よ私。

小難しく眉間に皺を寄せて俯く彼女のそんな表情は初めてで、神田は名無しの様子を伺うように小首を傾げて覗き込んだ。ぱちりとあった瞳は真っ直ぐ探るようにいて、黒い艶やかな髪がさらさらと流れ落ちる。


「どうした?気分が悪いのか?」

「いっいえ、これから批難されるのかと思うと緊張してきて……」

「あ?んなこと絶対させるわけねえだろ。
もし万が一やらかした奴がいたら俺がそいつら纏めて全員潰す」

「それは怖過ぎますからお止め下さい……」

「愛する奴が隣でそんな目に合って黙って見てる男なんかいる訳ねえよ」

「あ、あう……」


顔色ひとつ変えずにしれっと言ってのけた『愛する』という単語のあまりに高い破壊力にすっかりやられてしまい、これ以上なにか悪い方向に想像する余裕も全て奪われてただただ美しい彼を見つめ返すことしか出来なかった。
ふっといつものようなふわりとした笑顔を浮かべた名無しに安心したのか、神田はどこか遠くを見て軽く嘲笑しながら続ける。


「それに前も言ったが、そもそもオヤジと血の繋がりもない孤児院上がりの俺に、血統がどうとか立場がどうとか今更言っても無駄だろ」

「それはそうかもしれないですけど……
でっでも、あの、本当に私なんかで良いんですか……?後悔とかしません?」


まだなんか言ってら……と神田は面倒そうに呆れ顔をした後に大きな溜息を着いた。
その表情に慌てて名無しがすぐ謝ろうとするよりも早く、彼がすっと伸ばした手のひらが名無しの両頬を優しく包み込むと「当たり前だろ」と呟く。
そして突然ふっと狡猾に微笑んだかと思いきや名無しの小さな珊瑚のように赤い耳元へ自らの形の良い唇を寄せると、わざと吐息混じりに低く囁いた。


「Je te veux」

「えっ、どっどういう、」

「時間だ。行くぞ」

「ええー!」


いまなにが!?とドキマギしたままの名無しをこれ以上四の五の言わせまいとひょいと抱き上げて、使用人達が待つ扉前まで運ばれた。

そしてこちらの様子を確認した彼らが「開門します!」と告げて二人で両開きの扉を一気に開かれると、目がくらむ程にさんさんと眩い太陽の光が部屋の中まで差し込んだ。

思わず目を細めていると、こちらの姿を視認した国民達が皆一様に手を叩いて指笛を吹き、黄色い声援を上げて歓迎の空気が広がる。
おめでとうございます!と口々に騒ぐ人々を見つめてひたすら驚いていると、神田は何も言わずにすっと手を繋ぐと前へと導かれた。


「名無しは俺の隣に居るだけでいい。
さっさと終わらせるぞ」

「は、はい……!」


光り輝く道を歩む二人の後ろを、旗を振りかざして勇ましく歩む軍の方々が何処までも続く。祝福に飾られた通りは明るく希望に満ち溢れていた。



Je te veux
(お前が欲しい)

fin