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人は飲み過ぎるとこんなに不調をきたすのかと初めて知った。俗に言う二日酔いだ。
飲んだのは既に昨日だというのに未だ頭もズキズキ痛いし視界が回転してやがる。
どうやって帰ったかさえも曖昧だが、あれだけ張り切っていたシュトレンのお陰なのは確かだろう。

あんの犬野郎に売り言葉に買い言葉で乗ったはいいものの結局杯数は互角で引き分けという、何とも中途半端な終わりを迎えてしまった。多分。……というのも最後の方はどっちも酔い過ぎて記憶すらはっきりとしておらず殆ど覚えていないからだ。
まあ口喧嘩しながら最後に見たのはあの金髪の突っ伏した姿だったからおそらく今頃アイツも同じように地獄を見ているはず。

鉛のように重たい身体を無理やり引き摺り起こすと、くらくらと一層目眩が色濃く主張する。喉の奥から焼けるような感覚が込み上げるが吐きたくないが為になんとか我慢し、やたら重い頭を抑えながらベッドから抜け出た。
名無しが用意してったのだろう、サイドテーブルに静かに置かれていたのはガラス製の涼やかな青い水差し。朝日に照らされ幾重にも眩く光が透けている。隣にあるコップへ少し零しながら乱雑に水を注ぎ、一気に飲み干した。

昨晩は足元も覚束無い程泥酔してたとはいえかなりはずいことを言った気がする。というか絶対言ったしやった。最悪だ。
今からでもボロ雑巾の頭ぶん殴ったら忘れさせられるか?あいつ能天気馬鹿だし、一発くらい入れたらなんとかなりそうな気がする。
とりあえずもう二度とあんな醜態曝け出すくらいまで飲まないと固く心に誓いつつ、ふらふらと風呂へ向かおうとすれば丁度ばったりと扉先で出会い頭に名無しと顔を合わせてしまった。……気まずい。

おはようございます、とにこやかに微笑む顔をみて勝手にほんの少しだけ心の真ん中で尖っていた棘が溶けるも今は返事する余裕も無く、気持ち悪さを押し飲み黙ったまま俯き頷いた。その動作だけでもう頭がかち割れそうな程ガンガンしやがる。


「昨日はおつかれさまでした。今からお風呂ですか?」

「……ああ」

「ちゃんと朝から神田さまの元まで来ましたのでどうか寂しがらず安心してくださいね」

「オイ面貸せ、今からその馬鹿な頭かち割ってやるから忘れろ」

「ごめんなさい本当ごめんなさい」


メイド服の胸倉を引っ掴んで握りこんだ拳をゆっくり振り上げつつわざとにんまり笑いかければ、ボロ雑巾はブンブンと両手の平を振りながらさあーっと音を立てて血の気を引かせてゆき、みるみるうちに青い顔をしてゆく。これでちょっとはお灸を据えれたか。
パッと手を離せば大袈裟なくらい肩で息をしながら「へろへろなのにどこにあんな力が……」なんてほざいてるのを背に退室した。ふざけんな、次言ったらマジで絞めてやるからな覚えとけ。


よろよろと風呂場へ向かい熱い湯に肩まで浸かり、蟠りと共に泡を立てて一気に流すと幾分か気分の悪さも一緒に流れて行った気がする。
改めて気合を入れる為にその辺に掛けてあった適当な組紐で髪を高く結い上げ着替えると、1番嫌いな国務である積み上がった書類を捌くことに専念する。判子を捺すだけだろうに暫く見ないとすぐに山のように積み上がってて辟易とする。こういう仕事ホント向いてねえんだよ。身体を動かす方が性に合う。


以前余計なことするくらいなら此処に居ろとは言ったものの、隣ではボロ雑巾が呑気に鼻歌交じりに編物なんかしていやがる。初めて聴いたが無駄に上手い歌に何故かなんとなく腹が立つ。暇かよ代われ。……いややっぱりいい、こいつにさせたら無駄に仕事が増えそうだ。
やがて、あれ?と何度も言いながら編んだり解いたりを繰り返してるうちに次第に自分自身にも絡まってでかい毛玉になっており、そのどん臭さにしばし呆気に取られて見ていたら不意にばちりと目が合ってしまった。名無しはしょんぼりと小動物さながらに明眸をうるうると潤ませて助けを乞う目線を寄越して来たので咄嗟に顔を背けて無視をする。んな顔しても手伝うわけねえだろ、わかっててしやがって。お前のは趣味だろ自分でなんとかしろ。


解けない〜!と嘆く声をBGMに、捲れども捲れども終わりの見えない作業にだんだんと苛つきながら、もはや半ば力任せにボムボムと勢い良く盲判を着いてゆく。もう百回くらい捺した気がするというのににまだ書類は捌けず目の前には未だにうずたかくさながら塔のように積まれている。これどんだけあるんだよと舌打ちと共にイライラしていると、名無しがおずおずと不安げに視線を寄越しているのに気がついた。


「そんな力で捺されると彫り面が潰れませんか……?」

「知るか」

「これなんてもうただの四角になってますよ?」

「うるせーな」


いつの間にか毛玉から解放されたのか自由の身でトコトコと机前までやってきて、摘み上げてこちらへ指差す書類を見遣ればたしかに文字がつぶれてただのインクの塊になっているがんなこと今更知ったこっちゃない。そもそも一々判子求めんな、面倒くせえんだよ。自分で決めろ。

放って置いたらまたこの塔が益々高くなるだけだし再びバンバンと苛立ちを込めて叩き付ける作業に戻れば、突然ジリリと電話が鳴り響いた。

また用事かよと舌打ちするも、パッとすぐ様名無しが振り向いて受話器を取ろうとするのを否して、上からひょいと奪い取る。あの犬野郎だったら挑発でもしてやろうかと思っていたのだが耳に入ったのは「久しぶりー」と謹厳実直なんて欠片もないなんとも腑抜けたうるさい声で、思わず電話越しにあのヘラヘラしてる顔を思い出してしまい肩の力が抜ける。


「用がねえなら切るぞ」

「早すぎじゃない!?俺が居ない間の積もる話とか無いんか!」

「無い。じゃあな」

「ちょっ待って!俺はあるからかけてんのに!ユウちゃん冷た過ぎるさ!」

「名前呼ぶんじゃねえ。殺すぞ」


居候さながら長らく住み込んでたというのにいつの間にかふらりと居なくなっていた呑気な声の主に、今し方電話を掛けて来たとこだが切ってやろうかと受話器を離そうとすれば、見ていたかのように聞き捨てならない話題を慌てた様子で口走り思わず手が止まった。


「……今なんつった?」

「だから、南国がそろそろ動くっぽいって言ってんの。このままじゃ多分先に隣国の方に行くと思うさ」

「…………」


昨日嫌というほど散々見たあのクソ真面目な澄ました顔が頭にチラついた。
そりゃ他国が先に攻め入られんならその間些かでも時間稼ぎにもなるとは思うが、このまま放っておくのも夢見が悪いし、いっそ来るなら戦地になるのは物資が届く範囲内且つ南国側の土地で落とすほうがいいだろう。待ち侘びるくらいならいっそ四面楚歌になる前に手を打つしかない。
しかしこの状況をわざわざ言う為に連絡をしてくる糞兎に少し違和感がある。


「お前いま何処に居るんだよ?どういうつもりだ?」

「それはナイショ。もちろん傍観者としてそっちに潜入させてもらうさ」

「ならなんでわざわざ忠告しにきたんだ?この電話だってリスクあんじゃねえのか?」

「オレ意外と義理堅いから世話になったからには恩返しするんさ」

「そりゃどーも。間違えて斬られねえように隠れとけよ」

「またまたぁー!支援兵足りんくて困んだろうし男手はある方がいいっしょ」

「ハッ!なら死なねえようにせいぜい戦うんだな」

「仰せのままに〜」


アイツはいつも飄々としていて本気を出さないが動ける奴だし実際戦力にはなるだろう。一度どういう経緯か覚えていないが鍛錬場でやり合ったとき案外腕っ節もあったしすっと躱されて何時もわざと殴られてんのかと思う面もあった。それにコイツが謀反することも無いだろう。尤も変な動きしたら先に叩き斬ってやる。
そうですかと言われるがまま急いでドタバタとあまり派手に動けば南国に勘づかれるだろうがまあ用意は早いに越したことはないその辺は後でマリに言うとして。
飄々とした声音がそういえば、と続けて


「ところでユウのお姫様はいま何してんの?」

「なんかひとりで毛玉と遊んでる」

「はは!やっぱ否定しないなんて愛だな〜羨ましいさ!」

「てめェ揶揄ってんなら斬るぞ」


苛立って舌打ちをすると再びせっせと編み物をしていた名無しが顔を上げて、こちらを見つめる不安げな視線が突き刺さった。心配性過ぎんだよ。
おずおずした潤む瞳とぱちと絡まったまま、何度目か分からない程のガチャ切りしてやりたい衝動とイライラ葛藤しながら渋々耳をそばだてる。


「ごめんて。でも大事なんはホントさ?」

「当たり前だ」


また妙に愉快そうな声で何か言いかけているのが聞こえ、プチッと頭の奥で聞こえて本能で受話器を置く。次顔みたらあの花畑な頭綺麗に丸刈りにでもしてやる。
来る日にどう始末してやろうかなんて眉間に皺を寄せ脳内で練っていれば、名無しが不思議そうに小首を傾げて言葉を紡ぐ。


「先程のお電話はラビさまからですか?」

「ああ」

「なにが当たり前なんです?」

「……探ってくんじゃねえよ」


お前が大事っつうこと、なんてこの目の前でぼーっとしてるボロ雑巾になんて口が裂けても絶対に言いたくない。