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ようやく長いコンサートも終わり拍手喝采の中、静かに幕は降りた。しかし当然パーティは終わることもなく、というより寧ろ此方がメインなのかも知れない。昔オヤジが言っていた気がする、こういう社交会は貴族にとっての出会いの場だと。
ざわざわと浮き足立った連中がその辺でたむろって喋っていやがるのをみて本当にそれが目的なのかとそのキモい因循に辟易した。

もう先程のようにうざい奴らに絡まれたくないのですぐに席を立ち、名無しをちらと一瞥すると行くぞと声をかけた。
さっき無理やりだがボロ雑巾に言わせた言葉の有言実行もしたいしさっさと帰りたい。


「えっ、リンク様に少し挨拶だけでも……」

「はぁ!?わざわざここまで来てやったんだ、充分だろうが。面倒くせえ」

「そんなあ……」


まだ何か言いたげにぐずつくボロ雑巾を強制的に引き摺りながら退室して長い廊下に出れば、直帰する筈だったというのによりによってあの金髪野郎とばったり出会してしまった。
本当ならすぐに無視して立ち去りたかったが後ろで「あっ!リンク様!」なんて名無しがその高い声で嬉しそうにコイツの名前を呼ぶもんだから途端にブチッと頭の奥でキレる音がした。後で覚えとけ。
リンクは突然現れた俺達に対してしばし瞠目していたが、ふっと直ぐに仮面を被ったように鹿爪顔に戻り謹厳実直な口調で続けた。


「急な誘いだと言うのに足をお運びいただきありがとうございました。お楽しみ頂けましたか?」

「生憎こういうのは嫌いなもんで」

「でしょうね」

「あ?」

「失礼。うちの臣下より神田殿は妃を連れてお越し下さったと聞いていたのですが、やはり名無し様でしたか」

「えっ!思い違いさせてしまい申し訳ありません……!」

「ちなみに、」


リンクの赤茶の瞳が戦意を孕んだ視線を寄越してくるものだからこちらも負けじといがみ合うも、するりと躱して今にもキレそうな神田から名無しへ視線を移した。その視線はまるで貫くかのようにどこまでも真っ直ぐでいて、名無しも思わず緊張感が走って生唾を呑んだ。リンクは名無しの所作ひとつ見落とすまいと真意を探るように、敢えてゆっくりと言葉を紡ぐ。


「名無し様は、王様にとってどのような立場のおつもりですか?」

「へっ!?……た、ただの側近ですが……」

「ただの……ほう?」


その言葉を確認した途端、なるほどなんて尤もらしい肯定をして頷いていたが再び神田へ戻した視線はどこか勝ち誇ったかのようにわずかに口角を上げていた。挑発的に浮かべる意味深なその笑みを見やると、神田は自分でも何故か理由がわからないが忽ち頭に血が上って半ば反射のように静かに愛刀に手を掛けて、リンクへ冷酷に睨み付けた。


「テメェ何訊いてんだよ、一体何が言いたい?」

「てっきり寵愛されているのかと慮っておりましたが、ただの臣下ということですね。じゃあ隙がある」

「はっ?何言ってやがんだ、刻むぞ」

「何時でも臨むところですね。
名無し様、今度また落ち着いてパイの作り方教えて差し上げますので」

「へっ?あ、ありがとうございます……」


名無しはぼんやりとしたままリンクのことを見つめているものだから、すらりとした指先が彼女の手を取ろうとしたのを気付いた刹那、神田は咄嗟にそのメイド服の首根っこを掴んで自らの方へ引き寄せた。
えふっ!と呑気になにやら呻いているが無視して、ジリジリと何となく厭に騒ぐこの胸のざわつきを落ち着かせようとしていた。
目の前で白々しい態度をとるリンクもこちらの思惑に気付いてんのかバチと睨み合う。


「もういいだろ、俺達は帰る」

「そうですか。お見送りは「要らない」

「では、それではここで」

「あっリンク様!あの、」

「また連絡差し上げますよ、それでは」


神田はこれ以上二人が話しているのを何も見たくないあまり、名無しの手首を掴むや無理やり引き上げた。

まだなにか話したそうなボロ雑巾の顔すら見れずにひたすら突き進み馬車の待つ方向へ歩んでゆく。
人が集まる庭先に出ればまた絡んできやがる女達を邪魔だと乱暴に振り払いながら、喧騒に揉まれて離れないようにボロ雑巾の手をしっかり繋ぎ直した。
本音を言えばこの手を離したくなかった。自分とずっと一緒にいるものだと思って疑いもしなかったから。

やっと自国の馬車に辿り着いたが御者が乗車の用意をちんたらやってやがるのすら待って居られなくて、勝手にキャビンの入口を先に開くと名無しを自分の肩に担いで中へ押し込んだ。
そして御者へ「すぐに出せ」と口早に伝えると、即バタン!と大きな音を立てて扉を閉めた。
そしてどさりと適当に下ろして座らせたが未だ驚いて目を丸くした名無しの両肩を掴み、その双眸を睨んだまま馬鹿でもわかるようにはっきりと低い声で伝える。


「お前は誰に遣えてるんだ?」

「かっ神田さま……です……」

「お前、俺どう思ってるっつってた?」

「心からお慕いしておりますと申し上げました……」

「それどういう意味だよ?」

「えっ……そ、それは…………」


名無しは目を泳がせて何か紡ごうと口を開いたがこれ以上声になることはなかった。
その瞬間ふつふつと一気に苛立ちが沸き上がってゆき、怒りのあまり目の前がちかちかと閃く。
余程キレた顔してるんだろう、名無しの瞳が忽ち恐怖の色に染まってゆくがそんなこといまの俺には気にする余裕も無かった。

なに言い淀んでんだよ、ふざけんな。

でっでもだとか慌てて何か言い訳しようとする生意気な唇を奪い、縋ってきた小さな手も掴んで壁に押し付けた。今更何言っても絶対許さない。お前の甘くやわらかい唇も細い手首だって全部自分の物だというのに。

自分でも理由のわからない怒りに支配されたが、既視感が糞兎にけしかけられた時のことを頭によぎった。
そうか、これは独占欲。
俺の下僕という契りを交わしてわざわざ隣に置いてやったのに何があろうが他の奴になんか渡す訳にはいかない。あんなに何度も確かめるように抱いても決して手離したくないのだから。

ただ、何処かでリンクにやたら拘泥するのも本当は無辜なフリをして自分が逢瀬したいが為なのかとまで懐疑すらしてしまっていた。


「お前がそんな態度ならもういい、勝手にさせてもらう」

「えっとあの、そんなつもりじゃなくて、」


行きよりも急ぎ足で駆け抜けて行く馬車は随分大袈裟に揺れた。

唇を離してからもあたふたとしている名無しは座っていてもよろけるので、なんとも見ていられなくて強く肩を抱き寄せた。
ガタガタと地面に車輪を取られる五月蝿い音だけが響き渡る。
もう何を話しても無駄だと判断した神田は、そこからずっと沈黙を守っていた。
静かに窓に目をやる横顔は凛としていて、完璧な姿を月が曖昧に照らしている。

無意識なのか肩を抱く手にはわずかに力が籠っていて、名無しは無言を貫かれる事もギリギリと締まる肩が痛いのも分かってるな?と言われているようですごく恐ろしくって今にも泣き出しそうになるのをなんとか堪える。


やっと窓には国内の見慣れた景色が流れだしてほんの少しだけ安心するも、不意にパッと手を離されたものだから肩透かしにあったように名無しは瞠目した。見上げるも神田は全く此方を視界にすら入れずに片肘を着き景色を睨んでいるものだから、凍てつくような突き放された態度に肩の痛みは無くなったが次は心がジクジクと震えてゆく。

名無しは何故神田がこんなに怒っているのかが分からなかった。先程の質問に言い淀んだのも下手に好意を示すといつの日かこの先妃を迎え入れる時に側近を外されてしまう気がしたからだし、今手元に置かれていることだって王さまのただの気まぐれだとばかり思っていたからで。
自分なんてこのお方からすれば取って代われる存在だと認識しているのが、そもそも大きくズレているのだから。


急ぎ足の馬車は当初の予定よりもかなり時間を短縮して到着し、静かに停車した。
御者が迎え入れるより先に神田はすっくと立ち上がりキャビンから降り立つと振り返り、無言のまま名無しへ手を差し出したものだから吃驚してその温度差にくらくらする程だった。
小さくお礼を伝えてその手を取ると、今までこんな事一度だって無かったというのに壊れ物に触れるかのような優しい手つきでキャビンから下ろしてもらい、まるでお姫様のように扱いを受けるのがむしろ怖くなり顔を見れずに深々と頭を下げた。

玄関口で待機していた使用人も今までの傍若無人な神田の振る舞いを散々目撃している為、突然の態度の急変に驚きすぎて誰も開口しない。
しんとした空気の中で彼は「食事は済ませたから持ち場に戻れ」と涼しい顔して嘯き、名無しの方をちらりと見やるとわざとらしく口角を上げて厭に優しい声を掛ける。


「行くぞ、約束したよな?」

「っは、はい……」


傍から見れば臣下にまで気遣いが出来る優しく微笑む完璧な王子様だ。
しかしいままでの人でなしな傍若無人を加味すれば、あまりに恐ろしい異変だ。

怖くてメイド服のスカートの裾をぎゅっと皺が出来るほど掴む。
何時も隣で見つめていた彼が、今何を思慮なさられているのか全く検討付かない。
ただただ怖くて小走りに向かえば、ふっと無表情になり顔を寄せて名無しにしか聞こえない声量で脅すように低く呟く。


「随分甘やかし過ぎたみたいだな。お前がなんで側近になったか思い出させてやるよ」

「っひ!」