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「少し度が過ぎるのでは無いですか、トクサ」

「申し訳ありません。つい」

「ついじゃねえよ!ふざけんな!!」

「まっまあまあ!とにかく当てる気も無かったらしいしさ!」


ぺったりと貼り付けたような笑顔を浮かべるトクサと呼ばれた男はラビの言葉に頷いたのちにぺこりと軽く頭を下げた。冗談半分、といった所だろうか。だとしたらもう半分は……と考え血の気が引くが慌ててそれをかき消した。
どうやら本当に身内にもサプライズだったらしく、無表情で隣に佇む可愛らしい女の子もトクサは何時も短気すぎます、と静かに窘めていた。
まあ尤も彼等にまでさっきのユウの言葉が聞こえていたんだろうななんて、ラビは示唆して溜め息をひとつ。
しかしそれにしてもあの札のようなもの、一体どんな仕掛けがあるのだろうか。ほんの一瞬しか目視してはいないがただの紙切れのようにしか見えなかったのに。
彼らは鴉と名付けられた少数先鋭の戦闘部隊だそうだ。リンクはこちらへ感情を乗せることも無く冷淡に説明した。


「まあご覧の通りです。それに、勿論我が国にはルベリエ王もいらっしゃいますので心配ご無用です」

「……さっきからルベリエばっかだな。お前の意見はねえのかよ」


ついに敬語も辞めてしまったらしい。
何時もの調子でぶっきらぼうに話しながら抱えたままになっていた名無しを足先からそっと下ろすと、冷笑し再びドカッと席に着いた。そしてその目は酷く冷たく、リンクの方を睨んでいる。
名無しはすみませんと小さく謝り、どうしたらいいのか分からずキョロキョロとリンクと神田の顔を交互に見やる。
見かねたアレンがその華奢な肩を叩き、一緒に戻りましょうと誘い共に後ろへ下がった。最後に机の上に残る焼菓子を服の中へ詰め込んでしっかりかっ攫いながら。

ラビの目の前ではめちゃくちゃキレてるユウと、淡々と返事するリンク王子。
そのよく分からん札はもう少し調べたかったが、現状の状況だけでも記録したし、このままユウを引き摺ってでも帰りたい。
今更まあまあと宥めても2人には聞こえないだろうが、刀を取り上げたマリの賢明な判断のお陰で血は見ることなく済みそうなことだけが唯一の救いである。
始まる前から一抹の不安を抱えていたが悪い勘というのは当たってしまうものだ。というか予測出来ていた未来かも知れない。
リンクは口元をナプキンで拭いしれっとしたまま神田に負けず劣らず睨み返していた。なんかバチバチ火花すら見えるし俺もうやだこの二人。


「勿論、ルベリエ王のことは自らの意思で尊敬しております。
寧ろあなたはティエドール前国王様への敬意がいまいち感じられない」

「だったらなんだよ?」

「神田国王様はティエドール様の養子だと伺いました。何処の馬の骨だか分からない人間に国家の全権を渡すなど、ティエドール様は幾分無責任なように思いますが」

「ああ!?もっぺん言ってみろ!」

「風の噂でも貴方のことを伺っております。そういう短気で品が無い所も申しつけているんですよ」

「ッ!!」

「ちょっと待った待ったぁー!!!」


もう語彙が無いのか一気に頭に血が昇ったのか無言のまま、ガッシャン!と大きな音を立てテーブルへ片脚を乗せリンクの胸倉を掴もうとする神田をすんでのところで羽交い締めにして引き剥がした。
あっぶねえー!国交交渉は元より関係無いはずだが事の発端は自分という責任感からか、冷や汗がどっと出た。

ワンテンポ遅れて、御者や運びの為に同行していた男性使用人達も一人でなんとか確保しているラビに次いで慌てて取り押さえる。

テメェ表出ろ!とキレて暴れる神田をなんとか数人がかりで運びながらラビは繕った笑顔を浮かべるももうこれ以上続行するのは無理だと判断し、じゃあまた〜なんてのんびり間延びした声をリンクへ向ける。

まさか本当に引き摺って退散することになるとはなんて考えつつ疲れのあまり再び白目を剥いた。

リンクはというとすっくと立ち上がりラビの方へ向きやると、深々と丁寧に頭を下げた。
そのお辞儀は肯定の意味だろうか、このまま決裂する事なく仕切り直しになれば良いけどな、なんて考えつつキャビンへ向かう。


名無しはさながら御神輿の如く引き摺られてゆく自分の主の後をトコトコ追うも、モヤモヤと懊悩していた。
このまま終わっていいものなんだろうか……。ラビ様の計らいでせっかく1歩近付けたというのに。

自分が心から慕っている彼は、権力者としての立場がありながらも自らが出向いて戦場の第一線で立ち向かう姿を何度も見聞きしてきた。
本心では心配で堪らなくてそんな危険な事に身を置いて欲しくなどいなかった。なるべくなら会談だけで穏便に進んでほしかった、ただそれだけだった。なので隣国であるリンクとも同様にこんな形でお別れなんてしてほしくなかったのだ。……やはりいてもたってもいられなくて、震える手をぐっと握り込んで、凛と佇むリンクへ声を掛けた。


「あの……美味しいケーキまでよばれて、本当にありがとうございました」

「いえ、構いません」

「こんな立場で申し上げることでは無いのですが、きっともっと良く話し合えばより良い関係になれると思うのです……」

「まあ私も不測の事態でしたが、貴方達を危険に晒してしまったのは申し訳ないと思っております」

「いえ!わっ私はそういうのは不慣れなもので、1種のパフォーマンスだとばかり……。あの、大変申し上げづらいのですが……」

「なんです?」


一瞬言い憚ったが決意し、顔を上げるときりっと真面目な表情をしたリンクの赤茶色の瞳を見つめた。


「またお会い出来ますかね……?」


名無しが不安そうに見上げれば、暫時しかと真面目に聞き入っていたリンクはふっと何か意味ありげにほんの少しだけ口角を上げた。


「あなたが望めば、きっと」

「……ありがとうございます」


その思惑は名無しにはよくわからないが、兎に角その言葉に安心して頬が緩みこくりと頷く。
すると彼は少し考える素振りをしたかと思いきや懐からペンと封筒を取り出し、ササッとそこへ書き込むと名無しに手渡した。


「でしたら、こちらの手紙を彼が正気に戻ったらお渡しください」

「……畏まりました。ありがとうございます」


それは分厚くて夜のような紺色の封筒。
名無しは改めて背筋を伸ばししっかりと受け取ると、感謝の意を込めて深々とお辞儀をした。そして顔を上げるとやわらかく細められた瞳と視線がぶつかった。きっと大丈夫、こんなに優しいお顔されているんですもの。名無しは嬉しくってにこりと微笑み返した。
これは解決の糸口かもしれないから絶対に無くしちゃいけないぞとその汗ばんだ手のひらへしかと力を込めた。


小走りで列へ追いつくと、先を歩いていたアレンはにんまりと悪い顔で微笑みながら「これでバ神田も廃位ですかね、うふふ」と呟きピエロ服の袖の隙間から器用にマカロンを取り出し齧っていた。専らティエドールにでもチクるつもりなのだろう。何時もと違う様子で黒く笑うアレンに、名無しは心の中でこっそり怖い!と背筋を凍らせていた。


鴉の部隊の方々より見送りを申し出られたが、これ以上ユウの神経を逆撫でしてはいけないので遠慮した。次にトクサの顔をみたら、折角なんとかかんとか必死で乗せたっていうのにキャビンからまた飛び出してでもユウってば手が出そうだしな。
乗車を確認した御者が馬を扱い、再び馬車は緩やかに走り出す。
腹が立つ程の突き抜けるような蒼穹を睨み付けながら神田はもはや何度目か分からない舌打ちをした。