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朝早く目覚めたので鍛錬へいく用意でもしようと起き上がれば、まだ早朝というのに何時もより少し何やら騒がしい事に気づいた。
適当に掛けてあった上着を羽織り、見に行こうかと扉に手を掛けた刹那耳慣れた足音がパタパタと慌ただしく此方に向かってきているのが聞こえる。
そして扉の前で待ちノブが回った瞬間わざと先に引いてやると、勢い余ってボロ雑巾が間抜けな声を出しながら転がり込んできた。何時もトロいのに走ってきたからか珍しく速度を持って飛び込んできたのでそのまま受け止めると吃驚した表情のままで固まっていやがる。


「わ!!自動ドア!!!」

「んな訳ねえだろ。なんだそんな急いで」

「あ!!おっおはようございます!あの!はぁ、こっ、こちらっ、ゼェ、」

「落ち着け」


いつもならもっと赤い顔して狼狽えるはずなのに、すっぽり腕の中に収まり抱き締めていても気付かないほど、名無しは朝だというのに興奮していた。体力が無いのがまざまざと分かる程未だ肩で息をしたまま手に持っていた何かを必死に此方へ渡すと、早く早く!と燦然とした瞳が期待に輝いていた。 

それはシンプルな白い手紙。
しかし裏返して送り主の住所をみて思わず瞠目する。


それは、隣国からだった。


早く開けましょう!とわくわく欣然するボロ雑巾を否し、とりあえず無防備に名無しの動きに合わせてゆらゆらとするだらしない襟を無言で指さした。
するとハッとした顔をしたのちに自分の胸元へ視線を落とし、申し訳なさそうに今日もお願いしますと平身低頭し深々と頭を下げた。

あれからも毎日毎日よくもまあ進歩もせずに滅茶苦茶なまま来るもんだから、俺が着せてやる事の違和感もいつの間にか無くなってしまった。たまに完璧な時は同室の使用人のボロ雑巾が慕ってるお姉さんとやらにやって貰ってるらしいがそいつは非番も多くあまり居なくて、こっちには住込み目的で雇われているのか夜殆ど居ない。
よって大体はボロ雑巾の胸元の装飾を仕上げて身嗜みを整えてやるのが完全にここ最近の日課となっている。これじゃあどちらが臣下かわからない。

見たか馬鹿モヤシ、このややこしい服を毎日着せてやってるのは俺だ。


「先にそれ貸せ」

「す、すみません……」


神田の長い指が馴れた手つきで細いリボンを通してゆく。切れ長の瞳を縁取る長い睫毛が伏せがちになり、真剣な目付きで指先に集中している。するすると通す布の擦れる音だけが部屋に響いた。時折肌にほんの少しだけ触れるも神田は気にも止めていないようで。器用に進めるその手を名無しはドキドキと息を止めてじっと見つめていた。

毎日やってもらっているのに、もっと触れ合ったことだって何度もあるのに、この瞬間の静かな空気は恥ずかしくって慣れない。自分で出来るようになればと毎日部屋に戻ってからも練習しているが日進月歩。
今日こそ出来た!と思っても、朝を迎えればやはり神田に滅茶苦茶じゃねえかと呆れられていた。

悶々と懊悩してるうちにいつの間にか完成していて、その目線はリボンから外れて名無しの双眸へと移った。目の前にある端正な顔がほら、と零し絡まった視線に思わず頬が熱くなる。


「あ、ありがとうございます……」

「却って戻すのが面倒だから明日からそのまま持ってこいボロ雑巾」

「うっ!でも……」


いつもなら叱られるかデコピンも逃れられないような面倒事なのに、この作業だけはいつも二つ返事でやって貰えることが名無しにとっては甚だ疑問だった。その代わりに朝1番に必ず部屋に来るようには命じられていたのでそれだけは守っていたけど。
不思議そうな顔をして何か言いたげな名無しの幼気な目線に気付いた神田が、先に言わせまいと手紙を指差し少し大きい声で遮った。


「てっ手紙!開けるんだろ!」

「あっそうでした!!開けましょう!!」


まあ簡単に言えば支配欲だ。
あとは朝からこんな煩いんだからおそらく誰かやってくるに違いないのでコイツのはだけた素肌なんて絶対に誰にも見せたくないから先に服をきちんと着せた、それまでの話だ。言ってやらねえけど。

ようやく一段落し、再び手紙を取り開封しようと書斎机の引き出しからペーパーナイフを取り出して封へ刺した。

その途端にやはり予想通り、先程までのどこぞの誰かと同様にドタバタと騒がしい足音とともに今度は赤と白の並ぶとめでたい色したうるせえ奴らがノックも無しにいきなりドッタンバッタン入って来やがった。


「ユウおはよ!!!っあ、名無しちゃん!久しぶり!返信あったってきいてすぐ来たんさ!」

「おはようございます名無し!んでバ神田はさっさと勿体ぶらずに開けてください」

「今やろうとしてんだろうが!お前ら朝からうるせえよ」

「おっおふたりともおはようございます!」


広いはずの部屋なのに、お目当ての手紙を見ようと4人肩がぶつかるくらいぎゅうぎゅうに狭まっていてうざい。
これ以上暑苦しくて鬱陶しいのは勘弁なのでさっさと開けてやると、ふわりと凛としたお香の匂いが微かに広がり高級感のある固い紙が入っていた。広げると達筆な黒いインクが綴られている。

そこには格式ばった丁寧な文章で拝啓から始まり、時候の挨拶の後になんと会おうという旨が書かれていた。まじか。
そしてお茶会と銘打って日時とハワード・リンクという男の名前と結びの挨拶で締められていた。
しかしひとつ、流せない内容があった。


「…………オイ」

「なっ、なにさ!?えへへ」

「心当たりあるよな?」

「や、そういうの出来るとか書いたらワンチャン見たいって返事来るかなって」

「もし来たとしてその後考えてねえだろ!!テメェ!!殺す!!」


そこには『俺が大道芸が得意なんだ』と書いたであろう文章への返事があった。是非芸を見せてほしいなんて書いてある。
まあそんなこと突然書かれたら専らそう返すだろうな。だが誰がやるっつうんだよふざけんな馬鹿兎!
イライラが一気に噴き上がり鞘に手を伸ばして斬りかかってやろうと刀を抜いた瞬間、あわあわと真っ青な顔したラビが必死の形相で慌てて叫んだ。


「あっ!!!アレン!アレンにやってもらお!!」

「「は?」」

「だっだってアレン、休日城下町で稼ぎに大道芸やってたじゃん!頼む!」

「えっ見てたんですか!見たんならちゃんと払ってくださいよお金持ちのくせに!」

「ごめんて!人多くて近くまで行けんかったんさ!
今回はお代は俺がたんまり払うから!な!」

「……ならいいですみたらしも全奢りでお願いしますね」

「…………チッ」


なんかもう色々むちゃくちゃだがもはや返事もする気も起きなかった。
俺がやるって書いてたから辻褄合わんだろうがもういい、責任持ってコイツらになんとかさせよう、面倒だ。

かくしてモヤシまでも同行することに決まってしまった。
ボロ雑巾もワンテンポ遅れて締結したのかと安心し、此方の顔を見てぱっと表情を明るくしてみんなで行くんですね!お気を付けて行ってきてください!なんてニコニコしてやがったので、むんずとその平和ボケした首根っこを掴み上げてオメーも行くんだよと言うと、コクコク何度も頷きながらふるふる小さくなって震え上がっていた。

ただでさえお茶会なんかストレスが溜まるというのに、お前が居なくてどうするんだよ。