22


ヤってしまった……!
ずっとずっと我慢してたのに。

重い溜め息が肺をすっからかんにするかのように一気に落ちる。
昨晩は結局使用人棟まで送り、予備のメイド服に着替えさせると大きめなものしか無かったのか華奢な身体には合わず、再び無防備な姿でワタワタとするボロ雑巾にもうこれ以上雑念が湧かないようにさっさと裏口から帰した。

今日ももし2人きりのこの空間であんな姿を見たときに昨晩吹っ飛んだ理性がちゃんと仕事するのか些か疑問だったので、朝の雑務もさせずに庭の手入れを命じて名無しには退室させている。

ひとり、書斎の机に両肘を乗せて指を絡めたまま額を預け視界を遮ると、無意識にもう一度大きなため息が出た。

アイツが馬鹿みたいな下着してやがったから、なんて言い訳が頭を回る。風呂でも行ってちょっと揶揄ってやろうと思っていただけなのに、あまりにいじらしくて止められなかった。
目を瞑ると瞼の裏に昨日の乱れた名無しの姿がまだ焼き付いて離れなくて思わず頭を掻いた。

大体なんであんな派手なの着けてやがんだ。前は白だったのに。まさか誰かに見せる為とかじゃねえだろうな……?
はたとその考えが浮かんだ途端、さっきまで懊悩していたというのに急にふつふつと怒りが沸く。


またごちゃごちゃ言われたらウザいから内密にしているが、実はアイツが村に帰らないよう病気の兄とやらにはこの国で可能な限りの医療を既に手筈している。
どうやら大方回復には向かっているらしい。アイツの親から大したことは出来ないがせめてお礼を用意したいやら金銭がどうやら何か色々言われたが全て断った。

バラされたら面倒なので、強いて言うなら変な気遣いをさせない為このことは彼女には口外しないようにと伝えたら、二つ返事で了承した上あんな娘でも宜しければしっかりと勤めを果たさせます!とか言ってたっけ。
そこの場で許嫁や想い人もとくにいないとかも訊いたはず。
じゃあなんなんだアレは。この城内の奴か?
どこのどいつだ、切り刻んでやろうか……。

思考よりも先に六幻を握る右手に徐々に力が込められる。

すると急にウォルナットの扉がノックを3回された後「チッ失礼します」とムカつく声が投げかけられた。アイツいま舌打ちしただろ。
こちらが返事するよりも早く乱雑にノブが回り、こんな苛立ってるときに1番見たくないイラつく白髪頭が現れた。


「テメェ丁度斬られるためにわざわざ来やがったのか」

「は?いきなりなに言ってるんですか貴方が呼んだんでしょう、喧嘩なら買いますが」

「呼んでねえよ馬鹿モヤシ」

「あ?やりますか?」

「臨むところだ」


まさに一触即発の空気の中、薄く開いたままになっていた扉越しに遠くで廊下の清掃中の御局ババアがこちらの様子を見つけたらしく、ちょっと貴方たち!!!!とデカい声で制止された。

ババアはズンズンとその剣幕のままモップとバケツを持ったまま立ち向かってくるものだからモヤシは慌てていつもの気持ち悪い紳士スマイルで何もありませんおば様なんて言いつつ絆ていた。
このままだとまた面倒なことが増えるだろうからそっぽを向いて白を切ることにする。
モヤシが貼り付けた笑顔のまま今度は扉をちゃんと閉め、こっちにギッと視線を寄越した。


「……だいたい、名無しの服見繕ってやれって言ったのは貴方でしょう!馬鹿な単細胞頭だから忘れてるんじゃないんですか?」


……そうだった。

前からボロい服ばかり着てるもんだから気にはなっていて暇な時にでもモヤシに直させろとは使用人に伝えてはいたが、まさか自分が破った次の日になるとは。

アレンはきょろきょろ辺りを見回すと名無しがいないということを確認するや否や直ぐにこの部屋にはついぞ3度目のため息をつき、そして意味有りげに嘲笑した。なんつうムカつく顔してやがる。


「名無しいないんですね。職権乱用セクハラ野郎だから逃げられたんじゃないですか?」

「ふざけんな、今日は来るなって言っただけだ殺すぞ」

「へえ、でも彼女中庭で泣いてましたよ」

「はっ!!?」


神田は形相を変えたまま急いでガララと窓を開き見下ろすと、芳しい香りが風に乗って一気に舞い込み、彼の前髪を弄んだ。

ここから良く見える中庭には、満開にさせた花の近くに座り込む名無しの姿が見えた。その横顔は少し綻んでいて、はにかみながら作業しているようにみえる。
再び腹黒野郎の方をバッと見やるとにやにやと天才的に此方を苛立たせる笑顔を貼り付けていた。


「嘘です、泣かせるようなことしたっていう図星だから焦ってるんですね?」

「うっうるせえ!今すぐ出てけクソモヤシ!!」


ブチッと堪忍袋の緒が切れる音が頭の奥で聞こえ、モヤシの首根っこを掴み部屋から追い出しすぐさま扉を閉めた。
何しやがるんですかバ神田禿げろ!とか扉にヒビ入るくらいの勢いでドンドン叩かれ何やらほざいてるのが聞こえるが無視する。


「良いです、僕は名無しに用事があっただけなんで!!」

「うるせえ勝手にしろ!!」


コラ!!とまたでかいババアの声が聞こえ、扉の奥ではなんでもありませんなんて繕う言葉を紡いだのちに怒りに任せたようなブーツを鳴らす足音がやがて遠くなっていく。
やっとイラつく顔を見なくてよくなり清々した。


静かになった空間で再び窓の桟に片肘をつきながら外を覗けば、ボロ雑巾がなにやら重たそうな肥料袋をよろけながら運んでいた。
その後ろには自分が用意したのであろう台車があるというのに。馬鹿か。
あまりの一生懸命さに少ーしだけ同情してしまい、手伝ってやるかと向かおうとすると先程の白い頭が名無しへひょこひょこ近付いていくのが見えた。

刹那、何となく黒いモヤが衷心に広がりイライラする。
見繕えと言った手前、邪魔するわけにはいかねえし、ボロ雑巾もなんか笑ってて楽しそうにしてやがるし。
チッやってらんねえ。

机に戻って仕事なんかする気にもならねえしこのどうしようも無い苛立ちを引き摺って鍛錬場に向かうことにした。
















久しぶりの午前からの庭いじりは朝露に濡れた花たちが喜び応えてくれているかのようでいつもならとても楽しいはずで、夢中になって時間さえも忘れてしまうというのに。

ところが私の頭の中は昨夜のことでいっぱいで、肌と肌の触れ合う感触や初めて聞く艶かしい息遣い、まだ残る痛みがあの出来事を忘れさせてくれなくて反芻する度に沸騰しそう。


ノースポールの花たちが一斉に咲き乱れ、こちらを見あげている。透き通るように白く愛らしい丸みのあるフォルムがとても可愛くて大好きだ。

頬を撫でる風はまだ張り詰めた冷たさを孕んでいるが、もうすぐ季節が変わるであろう色も含まれていた。ごめんね、と心の中で呟きながら雑草を毟り、そこに次は何を植えようかなんて考えながら、考え……ふわふわとまた頭がぼーっとする。
や、違う違う、とりあえず肥料撒かなきゃ、うんうん。パンパンに膨らむ肥料袋を両手でなんとか持ち上げていると急に声が落ちてきた。


「手伝いましょうか?」

「わっわあ!!」


ぬっと突然現れたアレンの顔に驚きのあまり重心を崩し倒れ込みそうになるも、彼の腕の方が一足早く名無しを掬い上げた。

にこりと美しく微笑まれ思わずつられてこちらまで笑顔になる。いつもムスッとしてる誰かさんとは大違い。

アレンはこれ開けるんですか?なんて言いながら欣然と腕捲りして肥料袋をペチペチと叩いてるので慌てて止めた。 


「いやいやそんな!せっかくの綺麗なお洋服なのに汚れてしまうから!」

「そんなの洗えば大丈夫ですよ!
それより、これが終わったら少し時間頂けますか?」

「えっ!私なんかで出来ることならなんなり……」

「ならさっさと終わらせましょう!」


その細腕からは想像出来ない力で肥料袋を一気に抱えるとなんだか張り切っているその背中が頼もしく見える。この優しさに甘えてしまおう、どうせ今日は神田さまには呼ばれないだろうし。なんだか避けられているような気がしますし。
もやもやと物思いに耽っていると、ふと使用人友達のお姉様の言葉が頭を過ぎった。男はやることをやるとクリアした気になり疎かになる、と。
ん?ということはとうとう身体を許してしまったから放置されているのでは……!?ではこのまま会えないのでは……!?

一旦悪い方向に舵を切った思考は留まることを知らずにどんどん大きくなってゆく。さーっと血の気が引き、急にわなわなと震える指先を押さえつけながらなんとか平静を保ち、スコップで春を待つ苗を持ち込むと1つずつ苦しくないようにそっと埋めて柔らかい土を掛けた。


そんな様子を見たアレンが名無しの垂れた髪を耳にそっと掛けて顔を覗き込めば、今にも泣き出しそうな潤んだ瞳を見てギョッと驚き狼狽した。(えっ!本当に泣いてるじゃないですか!)


「えっ!!ど、どうしたんですか!??」

「あれっごめんなさ、」


眼窩から溢れる前に服の裾でごしごしと拭いて慌てて笑顔を作るとアレンは目を細めて頭をぽんぽんと撫でた。優しい手のひらの温かさが手袋越しにも伝わる。

穏やかな冬の陽の光に照らされた白髪は透けて燦然と輝いていた。


「無理に笑わなくていいんです、泣いても大丈夫ですから」

「わっ私、どこ行っても誰に対しても迷惑ばっかで、本当にごめんなさい、」

「そんなこと誰も思ってませんよ」


ほら、と手渡されたハンカチをもうこれ以上何も汚すまいと断るもいいからなんて言われながらゴシゴシと意外に強い力で顔を拭かれ、思わずぎゅっと目を瞑る私に優しい声がゆっくりと言葉を紡ぐ。


「どうせバ神田の所為でしょ?」

「なっなんで」

「そんなのわかりますよ。今僕がわざわざここに居るのもあの人に頼まれたからですし」

「へっ……!?」


きょとんとする名無しに、アレンは首から下げたメジャーを指先で摘み、ほんと馬鹿ですよねあの人なんて言いながら肩を窄めて苦笑した。


「名無しの新しいメイド服見繕えって言われたんで、採寸させて頂きにきたんです」

「えっ!わざわざありがとう……」

「いえいえ、でもね普通使用人の服なんてわざわざ仕立てたりしませんよね?」

「そうだよね!だからびっくりしちゃった」

「それはあのバ神田が言ってきたんですよ?」

「えっ神田さまが……」


今まで適当にあるメイド服の中からサイズの近いものを勝手に選んで着ていたが、それがあまりに数が少ないが為に必然的にボロ雑巾になっていた。
使用人且つ人目に出る仕事でも無い雑用係の裏方の為気にもしていなかったのだが。
本人直属で遣えるようになったからやはりこんな見窄らしい格好じゃあ務まらないですよね。
しかしそれなら測らずともまたそのサイズの服を受注すれば良いだけのはず。


「名無しの為に用意したいんでしょうね、ムカつきますが」

「……」

「さ、一段落しましたしそろそろ一旦休憩でもしませんか?」


しんと静まり返った中庭をまるで駆け回るかのように肌寒い風がまた吹き込む。
アレンはほら冷える前に、と言いながらパンパンと手を叩き軽く砂を落とすと、優しい銀灰の瞳を少し細めて手を差し出す。
その手を取るとぐんと引っ張られ立ち上がればより距離が近くなり、急に綺麗な顔が近くなり恥ずかしくなって顔を伏せた。


軽く背中を押されつつ使用人棟へ戻り、給湯室に辿り着くと、以前何回も練習したので上手になった温かいコーヒーを淹れて目の前にカップを置けば手短に感謝の言葉が返ってくる。

アレンはなにやら作業しているみたいで、いつもと雰囲気の違う真剣な横顔をまじまじと見ていると此方の視線に気付いたのかはたと目が合うとわぁッ!と小さい声を上げぷいとそっぽを向いてしまった。
やわらかそうな髪から覗く耳朶は白髪に強調されるように目立ち赤く染まっている。


「なっなんですか!そんな見てもなにも出てきませんよ!」

「いや器用だなって見てただけなの!邪魔してごめんね」

「邪魔ではないですけど……」


けど?

瞳を逸らしたまま人差し指で頬を掻いて何やら言い淀む彼を見詰めていると暫時居心地悪そうにしていたが痺れを切らしたのか、そっそんなことより!と不意に大きい声を出すものだからこっちまで吃驚して肩が跳ねた。

この棟の何処かには非番で眠ってる人も居る為、名無しは慌ててしーっと口元で指を立てれば、申し訳なさそうにしょんぼりする彼の犬っころらしさがとても可愛らしくて思わず頬が緩んだ。


「つっ、繕うとしたら日が掛かるので、今着られてるものを調整しましょうか?」

「えっいいの!?ありがとう!!じゃあどうしたらいいかな?」


確かに服に着られているような今の状態はすごく活動しづらい。なんなら朝から裾を踏んで2回転んだ。(見られてたら馬鹿にされてたろうな、誰にとは言いませんが!)

アレンはそのままで居て、と言いながらジャケットからピンを取り出し、名無しの背中側へ回ると後ろから服を手繰り寄せ軽く絞って何ヶ所か止めると、再び前を向かせるや微調整して何度か留め直すと満足したのか、よし!と頷いた。

そしてそのまま彼女の手を取って裾も折りピンを止め、名無しの足元に屈み込んでスカートを測り裁断出来る長さを確認すると下から見上げる形で着替えはありますか?と訊いたら。


「あ!あるよ!」

「わっ今動かないで!!」


このまま動こうとする彼女を慌てて止める。僕が足元にいるんだから見えるなんてそれは不慮の事故というか予測出来ることなのにあまりに無防備。
ドロワーズも着用していないのか少しだけ肌着が見えた気もする。

ああこういうことか、なんだか少しだけ神田へご愁傷様だなと同情した。


「ごめんなさい!!早くしなきゃアレンの手間ばかりとってしまうって焦っちゃって」

「そんなのいいですから落ち着いてください」

「これじゃあただの痴女だよー!」

「今に始まったことじゃないでしょう」

「ちっ違うのに!!」


漸く予備の服を着るも、真っ赤な顔を小さな両手で隠してわあわあ喚く彼女を宥めながらさっき迄着ていた服へ躊躇無く裁断鋏をジャキジャキ入れる。
気持ち良いくらい断ち切れる快活な音が給湯室に響く。

突貫工事にはなるが裏から縫い合わせれば先程までのブカブカよりは随分マシには見えるだろう。
彼女の華奢なサイズへ縮めた分の余計になった布を回収して改めて広げると、取り急ぎ感は否めないがまあまあの出来にはなった。


今度はちゃんと退室して改めて袖を通して貰うとぴったりで彼女の身体のしなやかなラインが美しく浮かび上がった。
というかなんなら少し使用人という立場にしてはその蛾眉が際立ってしまうような。もう少しいじったら綺麗になる気がするって前々から思ってたけど、今更だがやり過ぎたかもしれない……。

くるりと1周して嬉しそうにどうかな、なんて言ってこちらを伺う名無しに対してとても似合いますよと笑いかけるしか出来なかった。



next