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首筋へつつ、と這わされた唇にいちいち身体が反応して、わざとなのか時たま気まぐれにリップ音を立てて付けられる甘い痛みに、大袈裟なくらい縋る指先が震える。
どろどろに溶かされたようにぼんやりした脳はもう何も考えることが出来なくって、名無しは無意識下できゅっと神田の服を摘んだままそっと俯きやだやだと首を振るがそんなことで神田が許してやるわけなんて無くて、寧ろ逆撫でしてしまったらしい。恥ずかしくって背けていた真っ赤な顔を人差し指でくいと上げられて切れ長の綺麗な瞳とぶつかった。妖艶な涼しい視線に捕らえられて、濡れるような漆黒に溺れる錯覚に陥ったまま怒ったような表情がぐいと近付かれて視界が暗くなってゆく。
キスされるのかとどきまぎ緊張して瞳を閉じると、ふわりと両頬を包まれ「ばーか」とからかったような声の後、こつんと音をたて額がぶつかった。
びっくりして瞼を開けるとそこには屈託無く真意を孕んだ双眸。
神田は少しムッとしたまま「二度と言わねえからよく聞けよ」と、ぶっきらぼうな言葉なのだけど、まるで子供をあやすような優しい声でそっと丁寧に言葉を綴られた。
神田さまのほうが少し体温が低いのか、ぴたりと引っ付いた額がひんやりする。



「いいか、不用心に他の男へ近付くな。命令だ」

「はい」

「それにすぐ謝る癖は治せ」

「っごめんなさい」

「それだ馬鹿」

「あっ!は、はい」

「あと鈍臭いくせに暖炉を触るな、国を焼き払うつもりか」

「そっそんなんじゃないですよっ!」



そんなこと言われなくても暖炉の番くらい出来ますよ!ただ私は、朝は冷えますし何時も他の臣下さまたちがやられるからちょっとだけでもやってみたかっただけなのに!

頬を膨らまして神田の胸元をぽかすかと殴るも相手にすらされずにあしらわれて、しかもメイド服のポケットに隠していた(はずなんだけど思いっきりはみ出ている)薪をひょいと取り出されるとそれで軽く頭を小突かれた。どっ道具を使うなんて狡いです!

痛い!と手で抑えて避難囂々の目線をやるも神田さまは私の反応が可笑しいのか、にいっと意地悪に口端を吊り上げて笑った。



「はっ、なんにも出来ないくせに生意気な奴」

「ぱっパイくらいなら焼けますもん!」

「はあ!?あんなもん作れたって言えるかよ!舌痺れるくれェ不味かったぞ!」



「へ?」

「!」



あら?あらら?

未だ怒られているにもかかわらず思わずきょとんとして瞳を丸くすれば、神田さまもはっとして整った口元を手で隠すと、一瞬図星を射抜かれたような顔をしてからこれ以上こちらが過干渉する暇も与えずにつんとそっぽを向かれた。
しかし目の前に見えるその小さく乳白色の耳はみるみる柘榴のように染まっていって、あっという間にそれはもう真っ赤になってゆく。

あっこれはもしや、やっぱり……?



「神田さま、あんなに嫌がってらっしゃったのに食べて下さったんですか?」

「……う、うるせェ黙れ」

「私が駄々こねてしまったから?」

「はあっ!?馬鹿言え!お前の為なんかじゃねえよ!」

「へ?じゃあどうしてですか?」

「う……」



名無しはこてんと小首を傾げて見上げると、神田は赤い耳朶をもっと赤くして気まずそうにばっと瞳を逸らした。最初こそ眉根を寄せて背けていたが、暫く頬に刺さる無垢な視線にとうとう根負けしたのか大きな溜め息をひとつ漏らして漆黒の瞳をゆっくり流れるようにこちらへやり、



「お前がっ、……あんな顔して言ったからだろ!」

「!」



わ、あ……!

あんなもの食えたもんじゃないというのは自他共に理解していて、使用人の皆様も見た目だけであんなにも嫌そうな顔していらしたのに!

相変わらず居心地悪そうにぷいっとむこうを向いたままの神田に名無しはぱああ、ときらきら燦然と星が瞬くような瞳を向けた。
神田はぶっきらぼうに舌打ちをするもなんだか全く迫力が無くて、ふんわり完爾に微笑む名無しをちらと一瞥すると所在なさげに視線を斜め下に落として人差し指でぽりぽりと頬を掻いた。

どうしようどうしよう、すごく嬉しい……!



「かっ神田さま、」

「んだよ」

「お料理、勉強してもっと上手になりますから!」

「はっ、勝手に言ってろ」

「ひどい」



ああっちょっと舞い上がってしまった……!

しょんぼりと伏し目がちに俯くと神田はゆっくり名無しの顔を覗き込んで「まあ頑張れよ」と言うと、そっと優しく唇を重ねた。