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「なんか朝から賑やかなってっけどどーかしたんさ?」

「なんもねーよ」



よくもまあ飄々と……!

名無しはあまりに普段通りの神田へこっそり驚くも神田はとりわけ表情を崩すことなく席に着いているラビを一瞥した。彼は食事よりも周りに気をとられているのか大して味わうこともなくそぞろに片肘をついてスープを啜っているようだ。
朝食の減っている量からみてもどうやらまだそんなに時間は経っていないらしい。
さらりと下で結った髪を揺らして長い指で椅子を引きラビの対岸に着く。も、


ガタン!

いきなり神田が焦燥感を露呈して立ち上がったと思いきや派手な音をたてて食堂をぐるりと見渡す。

(しまった!もしオヤジに騒ぎを聞かれたら余計な模索される!)
……が、神田の不安も杞憂に、どうやらティエドールはまた此処を空けているらしく姿は見えなかった。
内心ほっと胸を撫で下ろしそこでやっとこそ目の前に並び始めた朝食を摂り出す。

すると無関心にサラダをつつく神田へ、へにゃりとラビが馴れ馴れしい笑顔を浮かべて覗き込んだ。するとばちっと目が合った途端に神田の柳眉はもっと深く顰められてしまい、ラビは一瞬身体が硬直して怖じ気づくも再びにへらと頬を緩める。



「なになに、どーかしたんか?」

「お前今日オヤジ見てないな?」

「あーなんか朝逢ったけどゆっくりしてってねーっつってちっちゃいトランク持って出掛けたさ」

「は!?」

「あーそれとなんかよくわかんねー画材っぽいのいっぱい持ってったさ」

「チッ!あんのオヤジまた勝手に放浪しやがって……!」

「放浪?」



神田は面倒なのであっさり無視して怒りの侭にパンへ思いっきりフォークを突き立てた。
かちゃん!という食器のぶつかる音と只ならぬ雰囲気にラビと名無しがほぼ同時に肩を跳ねさす。

あんのクソ親父め……!どうせまた絵でも描きにいきたいなんて突然閃いて思いつきだけでそのまま出掛けたというところだな。
こういうことは少なくなくって、こんな放浪は半日も経たずにすぐに帰ってくることもあれば長いときは一年くらい帰ってこないときもあった。……しかも突然帰ってきたと思ったら、阿呆みたいにでかい花瓶持ち帰ってみたり、(あ、そういやボロ雑巾が割ったのはこれだったような気がする、多分。)あとは鳥や亀やらの生物とか、みたことないようなおどろおどろしい果物やら、いつもお土産というのは名目上だけのほとほと迷惑なおまけが付くのだ。まあ要はなんとも周りにまで面倒を掛ける小旅行で。
ったく、これじゃ隣国訪問の間誰がこの国を指揮し納めんだよ。いつも肝心なときにふらつきやがって……!

神田は一層大きな舌打ちをひとつしてぶっきらぼうにパンを千切り口に放り込むと、未だに賑やかな廊下の奥のほうを見やった。どんどん面倒臭いことになっているらしい。すると大して強くもない暖炉の炎へ怖がりながらおずおずと薪を放り投げている名無しへ振り返り、



「おいボロ雑巾、お前騒いでるアイツらに説明してこい」

「っえ!はっはい」



思わず慌て過ぎて落としてしまいそうになった薪を置くと、名無しはぱたぱたとメイド服の裾で木片が付いた手のひらを拭いて(わっ今汚ねっ!みたいな目ですっごい睨まれましたよ!)食堂の入り口へ向かって走り出した。その刹那、

(……あれっ?ラビさまの服、なんかおかしい)

ふと視線をやったラビの首元がなんだか少しよれている。どうやらボタンをひとつだけ掛け違えているようだ。
名無しは神田に申しつけられた使用人さんたちのことよりもそちらに意識を奪われ、自然と足がそちらへ向かいほぼ無意識にゆっくりとラビの元へ歩みを進めた。
昨夜眠っている姿を一度見ただけのラビは名無しが突然ふらふら歩み寄ってくるのでスープスプーンを握ったままおずおずと見上げる。



「え?なになにいきなり?」

「あの、ちょっと止まってください。その、ボタンが……」

「はっ?ボ、ボタン?」

「それです、そこ」

「うっわ本当だ」



名無しの指先がそのボタンに触れる手前、神田が制するよりも先にラビがにっこり莞爾に微笑んだままぱっと手のひらを向けて名無しを止めた。
「あっ……ご、ごめんなさい」とでしゃばってしまったと落ち込む名無しへラビはぶんぶんと首を振って否定すると、するりとさりげなくその白魚の手を掬い上げた。あまりに違和感のない自然な出来事に名無しは瞠目したままラビを見つめていると、



「んなことしちゃダメさあ」

「でっでも……」

「いいから」



困ったように眉を下げる名無しの後頭部に大きな手を添えると、卒然ふわりと優しく引き寄せた。王さまと全く違う慣れない甘い香水の香りが鼻腔を擽る。

なっ!わ、なんなんですか!

遠くで神田さまの怒声が聞こえるし、突然の出来事にパニックになり咄嗟に身体を引こうとすれば「あーあ怒られるさあ」と軽い口調でおどけて、ラビが笑いをかみ殺すようにし耳元へ唇を寄せる。



「名無しはユウのお姫様だからさ」

「えっ!?……ちっ違いますよう!私はただの側近で、」

「違くないさ」

「っ!」



なっなに言ってんですかこの人!

未だ放す気配なくぎゅむっと強くラビと手を取り合ったまま名無しは一気に頬を紅潮させて俯く。


全然違いますよ。

私がどう足掻いたって私はただの使用人で、神田さまは一国を担う王さまだというのに……。

同じ立場になれることなんて、有り得ないのに。