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さっき神田に背中が痛いくらい扉へぶつけられたものだから、その大きな音を聞きつけた臣下たちにより一気に部屋の外がざわめき賑やかになってゆく。
大丈夫ですか神田さま!という声に名無しは内心で(私めが追突しただけなんですごめんなさい)と使用人さんたちに今すぐにでも土下座したい衝動に駆られた。が、当の神田は涼しい顔して「面倒くせ」と小さく呟いた。



「みんな今の音と、いつも早い神田さまが今日は朝遅いから心配してるんですよきっと……」

「どうでも良い」

「良くないです!どうやって説明なされるんですか」



神田は一瞬答えを探すように顎に手を当て、



「ん…俺がお前にキ「ちょっとー!だだだ駄目ですそんなこと言ったら!」



名無しはほわほわとさっき接吻を反芻してしまい再び頬を真っ赤にしてゆくも、言葉を紡ごうとしている神田の唇を必死で手のひらで押さえた。
しぃーっと人差し指を神田の唇に当てればギッと不機嫌な顔をして睨まれる。視線だけで殺されそうですが今のはだって不可抗力なような……ごにょごにょ。

しかし神田はそんなことに聞く耳を持つことなく、「良い度胸じゃねーか」と言うと名無しの手首を掴んで自らの唇に添えられた指を根元からつつ、と舌がなぞらえて滑らせた。



「な、……」

「指先にも性感帯があるって、知ってたか?」



じとっと楽しそうに反応を窺う切れ長の双眸から逃れたくて顔を逸らせば、神田の気に障ったのか意識を無理矢理惹きつけるように爪の間まで悪戯に舌先で弄ばれた。名無しは言いようのないもどかしい一閃に貫かれ身体を大きく震わせる。



「んっ…ふぁ、」

「声、外に聞こえるぞ?」

「っ!」



呆然とする名無しをにぃ、と子供のように意地悪く口端を上げて見つめ笑う。

……またやられたっ!

自分の背中にある扉を一枚挟んでおられる使用人たちにまで聞こえていたら。
羞恥心を煽られてどんどん体温が上昇し、やり場ない腹立たしさが込み上げる。

この人本当職権乱用し過ぎですよっ。なんでこんな鬼畜が一国の上に立つ王なんでしょうか!教育係はなにしてたんでしょう!



「神田さまの馬鹿、すけこまし!」

「そりゃどーも」

「もう絶対全部バレてますよぅ!私破廉恥な軽い女と思われちゃいます……!」

「んな困るんならお前が寝ぼけて頭ぶつけたって言えばいいだろ。ちょうど良い所にたんこぶもある」

「いっ痛い!」



名無しが何か言い返す前に面倒になったらしい神田はからかいと出来心半々で腫れた額を指でぷしっと押した。すると過剰反応して大袈裟なくらい全身が跳ね上がる。
(おぉ……)神田のなかで、この小さなたんこぶが新たな鬱憤発散材料に決定された瞬間である。

名無しもそれに気付いたのか唇を尖らせて「さては楽しんでますね?」と図星を刺されるも全く関係ないというように神田はまた指先で軽く額を押した。
力の入ってなかった名無しは、言葉にならない声を上げて人形のように後ろへ首をもたげてしまいゴツッと大きな音をたて扉に頭をぶつける。(……そんなに強くしてないが)



「いっ痛い!やっぱり楽しんでます!」

「はいはいそうだな」

「むきー!」



外の様子はわからないが痛がる名無しよりもっとわあっと一層大きなざわめきが広がったようで、様子見だった臣下たちもついには「大丈夫ですかー!」とどんどんと扉を叩く。

うるせえな、とだるそうに首を傾けてぽりぽり掻く神田と裏腹に、名無しは振り返り困ったように振動する扉を見て、こちらを見上げる。
……コイツって本当に心配屋。しかも鈍臭いし。生きるのが大変そうだとつくづく思う。

いっそう激しくなった音に名無しが恥ずかしそうに俯いた。うるせえ!と怒鳴ろうとしたら口を塞がれて名無しがいやいやと首を振る。

仕方なく言葉を飲み込めば、外の声が一層鮮明に聞こえてきた。



「王さま!いらっしゃるならお返事をください!」

「倒れてるんじゃ……」

「とにかくティエドールさまをお呼びしたほうが」

「いまこの国にはいらした?」

「前は南の方へいかれてたけどこないだ帰られたばかりだからいるかも」

「じゃあ僕呼んできますね!」



……最後の聞き慣れた声はまさか。
神田がはっとするもすぐにそいつの足音とおぼしきものはフェードアウトしていった。



「あ、今のアレンくんじゃ?」

「やっぱりか。あんのモヤシ……!」



余計なことしやがって……!アイツ俺がオヤジ嫌いなの知っててわざとやってやがんな絶対!
見なくたってあの小面憎い顔が瞼の裏に浮かぶ。
しかも名無しには良い人ぶりやがるし、コイツも馬鹿正直だからひょいひょい着いてきやがるからな。

前髪から覗く額にぴきりと青筋を立てて今からでもモヤシを追い掛けて切り刻んでやる、と怒り心頭して刀に手を添えれば、不意にむぎゅうと強く腰に抱きつかれた。そして必然的に当たるやわらかいふたつの感触。珍しい積極的な行動に、思わず目を丸くして名無しのほうを見やればうるうると涙を溜めた瞳。
(……この状況じゃなかったら確実に襲ってたな。)



「神田さま、駄目です」

「んだよ、邪魔すんのか?」

「ひっ!で、でもみなさま心配してのことですし、それに時間も時間ですし……」



懐中時計を取り出して見やるとボロ雑巾の言う通りとっくに朝食が始まる時間で。
もしこのままモヤシに言いくるめられてのこのこオヤジがやって来たら面倒だ。
神田は小さな舌打ちをひとつすると、いきなり名無しの目の前で片膝をついて跪いた。

すると「なっ何ですか!死刑宣告!?」などとわけのわからないことをほざく名無しをさっくり無視して、細っこい腰を掴むと肩に乗せて担ぎ上げる。
二度目なのだがやはりひょいと予想以上に簡単に持ち上がったものだから一瞬驚くも、それより、



「ぎゃー!神田さま怖いです降ろして!高いよー地面遠いよー!」

「いちいち喚くな」

「だって、」

「いいから大人しくしとけ。もし俺が邪魔だと判断したら、」

「したら……?」

「投げ落とす」

「ひぃ!黙ります!」



そして大きくとられた窓を開く。ギィ、と古い音をたてた後爽やかな風が舞い込んだ。下には充分広い名無しが植物の世話をしている中庭があり、この二階からでも見晴らしは良い。それに、高さも低い。ここから飛んでも大丈夫なくらいに。
するとやっと状況を理解したらしい名無しが「まさか、」と小さな声を漏らす。

残念だな、そのまさかだ。



「えっ神田さま嫌ですよ。私心の準備が……」

「じゃあ今しろ。行くぞ」

「だめだめだめだめ!」

「黙、れっ!」

「ひゃぁぁあああ!」



情けなく縋る声も有無を言わさずに無視して、名無しを抱く腕に(折れない程度に)力を入れると、片手で支えるようにして桟を飛び越える。



「ひっ…………!」



一瞬ふわりとした浮遊感ののち、一気に重力のまま落ちてゆく身体。……それとつんざく断末魔。

ふわりとメイド服が空気を含んで膨らむ。一応手で抑えたつもりだったのだが、自然と内側に施されたレースまでもが風に捲れてばっちりと下着が見えた。



「なんだ、白か」

「っえええええ!」