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「いっ痛いですよう」

「当たり前だ。わざとそうしたんだからな」

「鬼畜王子!」

「好きに言え」



名無しは赤くなった(おー、面白いくらいみるみる腫れてく)額を抑えながら瞳を潤ませ、神田を睨んだ。が、そんな愛らしい表情じゃ全然迫力も何もない。神田ははっと鼻で笑うと、シンプルな木の机に置いてあった適当な髪紐を拾い上げ、さらさらと流れる髪をひとつに集めて手際良く髪紐で高くに結んだ。
長い髪が揺れる度に覗く綺麗なうなじを睨みながら名無しはぼそぼそと呟く。



「こんな痛いでこピン見たことないです……」

「そりゃそうだろ、自分の額だからな」

「むきーっ!見たかったわけじゃないですよ!」



むぅ。恨みのたんまり込められた熱視線がもはや無視出来ないくらいじとっと神田の背中に突き刺さる。
溜め息を零して仕方無く名無しのほうを向けば、額にはそれはもう立派なたんこぶとなったものをこさえて頬を膨らましていた。ぷんぷんと噛みつく勢いで怒っているが、今時そんな歳でこんなにたんこぶの似合う奴はいないだろうってくらい元からあったかのような顔をしてそれは白い額に鎮座している。……もうしっくりきすぎて治る度に作ってやりたいくらいだ。
しかしそうしたら毎回拗ねて余計に機嫌を損ね面倒なことになってしまうだろうからなんとか出掛かった言葉を飲み込んで我慢し、すりすりと痛そうにたんこぶをいたわって撫でる名無しへ見やった。



「……今度やるときは加減する」

「もうやらなくって良いんですっ!」



しかしご機嫌ななめは戻らないらしい。いやむしろ悪化しているような気すらする。
チッ、なんだっつーんだよたんこぶくらいで。舐めてりゃ直るだろそんなもん!

神田は脳内で卓袱台をひっくり返すような勢いでとうとう慰めてやることを投げ出した。



「ったく面倒くせー奴」

「酷いですよ!」



未だきゃんきゃんなにやら吠える名無しをさっくり無視して、神田は名無しが座るベッドの方へ歩むとギッと片膝を預けた。そして額を抑える細い両手をそっとほどけば、名無しはまた何かされるのかときょろきょろ所在なさげに瞳を動かす。も、神田はなにも言わないまま眦を赤く染めた名無しの頬にそっと大きな手を添えてぐいっと此方へ向けた。従順に向いた名無しの無垢な瞳と自然に視線が絡まる。
名無しはびくっと大きく肩を跳ねさして、どこか不安そうな目が差し込む朝日にきらきらと輝く。

何も言わない神田の、濡れるような漆黒の双眸がほわりと優しい光を放っていた。なんだかこのまま飲み込まれてしまいそうな錯覚に陥る。
胸がこう…きゅんと擽ったくて思わず俯いてしまうも、神田は大してそれを咎めることもなくそのまま少し腰を屈め距離を徐々に縮めてゆく。

そして神田は親指で軽く前髪を避けると、自分が膨らませてしまった額に優しくちゅっ、と可愛いらしいリップ音をたて唇を落とした。



「ん!…………っへ?」



そしてゆっくりと離れて名無しの少し乱れた前髪を直してやると、名無しは始めはぽかんとした表情でこちらを見つめていたのだがだんだん大人しくなり仕舞いには長い睫毛を下ろして俯き気味で視線を外してしまった。確かに最初から煩い口を黙らせんのが目的だったのだが、なんつうかこう……調子が狂う。

静かになってしまった名無しへ、神田は一度口を開くも喉に引っ掛かったかのように言い憚って顔を背けた。しかし覚悟を決めたようにもう一度小さくなった名無しを見つめると名無しにしか聞こえないくらい小さな声でぽつりぽつりと言葉を紡いでゆく。



「……わ、悪かったな」

「!!?」

「たんこぶだよ、その」



神田の何時もの真意を貫くような凛乎としていた瞳は、言葉の続きを探すかのように下に広がるシーツの海へ落ちていて、指先は居心地悪そうに名無しの髪をするすると流れさせていて。
そんな神田さま今まで見たことなくて、名無しはただじーっと様子を伺うしかなかった。そんな観察するような瞳に神田はムッと眉を寄せて顰めっ面をする。



「んだよ、俺が謝るとおかしいか?」

「……そんなんじゃないですけどなんというか、」



(か、神田さまがしゅんとして謝ってる……!)

やっぱりにわかには信じがたい出来事に名無しはぎゅっと強く頬を摘んでみれば、憎きほっぺの肉はみょーんと伸びるだけ伸びて、やっぱりじくじく痛んだ。……ゆ、夢じゃない。

何時もならそんな名無しをみたら「なにしてんだよ」と馬鹿にして余裕たっぷりの笑顔を浮かべるはずなのに、名無しの予想と相反して神田は訝しい表情をして唇を引き垂らしぷいっとそっぽを向くと、すぐさま恥ずかしそうに手の甲で口元を隠した。よくみると形の良い耳が耳朶まで柘榴のように赤く染まっている。(……わわっ、すごい真っ赤だ)

まだあっちを向いたままこちらを見ようともしない神田の顔を覗き込んでみると、ぱちりと目が合うもすぐに頭をがっしり掴まれぐるりと回された。
視界が真逆に変わると同時に、普段から鍛えている腕でそんなことをされたものだから名無しの首から今まで聞いたことないような悲鳴を上げる。



「神田さま痛い痛い!」

「うるせェよ馬鹿、行くぞ」



ムスッとした表情のまま神田が先にベッドから立ち上がった。やわらかいスプリングが僅かな反動を伝える。
名無しも直ぐにベッドを抜け出して後ろに着き、今日はやけにすたすたと歩幅の大きい神田を追い掛けた。

神田は歩いているのだが着いてゆけない名無しは小走りになりながらさっさと手櫛で寝癖を直した。(なんでこんなに足長いんですかこの人!)

するとふと自分の腕が目に入り、昨日お茶会のとき何気なく腕を掴まれふにゃりと笑った赤髪の貴族さまのことを思い出した。

そっそうだ!わわ私貴族さまに大変失礼なことを……!

名無しは一気に色を失って、次第にもやもやと不安が身体を支配してゆき思わず足を止めて佇んでしまった。
すると突然ぱたぱたと煩く着いて来ていた小さな足音が無くなったものだから随分前を歩いていた神田もどうかしたのかと、目だけをちらとやる。そこには胸の前で心配そうに両手を結ぶメイド。
今にも泣き出しそうな瞳で神田をみつめて自分の言葉に触れ確かめるように紡ぐ。



「わ、私ラビさまお呼びにいかないと……」

「は?」

「昨日の無礼も謝らなくてはいけないですよね」

「…………」

「すみません私は少し下がらせていただきます」



そう言ってドアノブを握る神田の背中にぺこりと一度深くお辞儀をした。
しかし名無しの意志とは裏腹に神田は首を縦に振ることもましてや返事をすることもないまま、寝室から出るのを止めたようにノブから手を離して此方を向く。
ギロリと頭に刺さる視線におずおずと目を上げると美しく整った切れ長の瞳とぶつかった。つまり必然的に名無しを見下ろす形で。

っああどうしよう、すごい怖い顔してます……!纏っている雰囲気だけで今にも死んでしまい、そう……

永遠のような一瞬の時間のなか、神田の結ばれた形良い唇が開くのを待つ、





「行くな」



「へ?……で、でも「行くな」





有無を言わさないはっきりとした命令に如何せんどうしたらよいのかと名無しは困った顔で眉を下げる。
神田は「俺が言っとくから、アイツのとこには行くんじゃねェよ」と耳元へ唇を寄せて囁いた。
とろけるテノールに自然と身体の力が抜けてしまい、逃げる腰をも先回りした神田の腕に掴まれた。そしてそのままぐるんっとドアに押し付けられる。バン!と大きな音を立てるも神田はそれに目を留める様子もなく、名無しの跳ねた襟をぴんと指先で弾く。



「かっ神田さま、」

「お前は俺に遣えてるんだから、他の奴の面倒なんかみなくて良い」

「……っ」



何か言葉を紡ぐ前に神田の唇がそれを塞ぐように重なった。