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「ほんとびっくりしたさ」



ベッドの淵に申し訳程度に頭だけを預け突っ伏して眠る名無しのとなりにギィッとスプリングを軋ませてラビが座る。すると少しの反動で名無しの身体が揺れて、裾元にあしらった黒いフリルが膨らんでふんわりと床へ広がった。丈の長いメイド服だから何時も隠れて見えなかったが細いふくらはぎが隙間からちらりと扇状的に覗く。神田の視線はごく自然にそちらへ惹かれた。

……抱き寄せたらあんなにやらけえのに意外と細いな。つうか、こんな地べたにぺたんとへたり込んで眠りこけて、冷たくねーのかよコイツ。

名無しの横に片膝をついてしゃがみ込んで起こそうとすると、ラビの明るい声が降る。



「名前なんてんの?」

「……名無し。鈍臭いし馬鹿だし身嗜みもロクになってねえボロ雑巾だ」

「ふーん。役立たんのか?」

「……そうだな」

「要らねーんか?」

「は?」

「もしそうなら俺欲しいっ」



にっこり完爾に微笑んで隻眼を細めると、ぴんと片腕を上げてラビが何やらほざいた。……いや、いまなんつった?





「はぁっ!?だっ、ダメだ!」





…………驚いた。

自分で思ったよりも遥かに大きな声が出てしまったらしく静かだった部屋には厭に反響したものだから、なんだかハズくなりみるみる体温が上昇して頬が熱くなってゆく。
(な、なんで俺がこんなに必死になってまで腹立てなきゃいけねーんだよ……)

「ユウ?気ぃ障ったんならごめんな」と、きょとんとまるくしたラビの翡翠の瞳が痛くて、なんだか居心地が悪くなってふいと目を伏せた。
今まで一度も臣下のあげ渡しなんぞしたことがなかったのに、こんの馬鹿いきなりなにほざいてんだよ……。だからびっくりしただけだ、そうだ少し急なことで動じただけだ。
神田は羞恥を誤魔化すように小さく咳払いをすると、少し身じろぎした名無しに声を掛けた。



「オイボロ雑巾、なにしてんだ起きろ。早く出るぞ」

「んぅ…………」



触れるとびっくりするくらいにちっこくって華奢な肩を揺すってみると、名無しは小さく唸って煩わしそうに顔を背けやがった。……良い度胸じゃねえか。コイツあとでたっぷりお仕置きしてやる。



「このままでも俺はぜんっぜん構わんけど?」

「阿呆か!返せ!」



にやにやと邪心まるだしの笑顔を浮かべるラビが触ろうとした瞬間、遠ざけるため咄嗟に名無しをこちらへ引き寄せるとどんっ、と名無しの肩がぶつかった。が、全く起きる気配すらなく、また俺の身体にもたれて眠ってしまった。……なんでまだ寝てやがんだ、この馬鹿雑巾はっ!

するとこてんと小さな首がこちらへ向き、今まですやすやと一定に背中を膨らましていただけだったのが無防備な寝顔を見せた。
さらさらと艶のある髪が流れ、やわらかそうな桃色の頬とかぷっくり膨らんだ唇、長い睫毛を下へ降ろして眠るその姿は、昔何処かで見た高級な人形のようだ。
からかい半分で幾度となく名無しに触れていたはずなのに、思わず白い肌に触れてみたくなって神田の長い指がゆっくりと名無しへ伸びた途端、卒然隣でラビが叫んだ。



「やだ可愛いっ。やっぱ俺のタイプ!」

「!」



瞬間、はっとして神田は無意識下でなにか悪いことをしようとしていた手を引っ込めた。

……まっ、待て!なんで一瞬ボロ雑巾なんかをなんというか、その…き、綺麗だとか思ってやがんだ俺は!おかしいだろ!
兎に角妙な思考を振り払って、さっきからずっと好色な瞳でじろじろと舐めるように見回すラビから名無しを遮る。



「えーっなんでさ!」

「馬鹿!見んじゃねえよ!」



ぐーすか寝るなんか、側近のくせして大層良い御身分だなと苛つく一方で、何時見ても恐怖の色しか表さないのが眠っているものの初めてこうして安堵した表情をみせるものだからなんとなくだけど悪い気はしなかった。
ったく、何度も何度も痛い目に合わせてやってんのに、男の前でこんな油断して。しかもその当事者の腕の中でのうのうと寝やがって。危機感がまるで無さ過ぎる。
面倒だが今日は俺の寝室にでも連れて帰ったほうが良いか。なにせこのまま放置しておけばこんの馬鹿兎がなにか問題を起こしかねない。

細っこい腰に腕を入れてひょいと抱き上げ(意外に軽かったからすげえびっくりした)そのまま退室しようとすれば、



「……ユウってさ、そんな臣下に執着あったっけ?」

「は?」



振り返ればにんまりと悪どい笑顔。なんとなく嫌な予感がしてそれ以上不必要なことを言わないようにギッと睨めども馬鹿な饒舌はまるで収まる気配がないままべらべらと余計な喋りを続ける。



「だってそうじゃん、何時もどんな可愛くて美人さんな臣下だって、誰?って訊いても怖い顔で知らねえってばっかだったのに」

「…………」

「でもこの子はユウ異常に擁護するさ。なんかあんの?」



長い沈黙が落ちてゆく。
身動きすら憚るような重々しい空気に、神田はいつもよりもワントーン低い声音でゆっくりと口火を切った。



「執着?んなもん無い。


だがコイツは俺の側近だ。いきなり何言ってんかわかんねえがコイツはやれない」



バタン!

神田はそれだけ吐き捨てると再び前を向いて思いっきり扉を閉めた。


……静かになった部屋。

ベッドに座ってひとり残ったラビは、自分の言葉だけで(ちょいわざと悪戯もしたけど)あまりに思惑通りに感情を乱す神田ににたりと笑う。



「ユウってばすごい迫力で怖えーけど本当単純さ」



今までたくさんの女の子がわざわざユウのところに来て求婚したがどの子も長続きしなかった。というかユウのほうが全く興味なかったぽいけど。
だから今回みたいにユウが女の子絡みであんなに嫉妬を剥き出しにして怒りを露わにするのは初めてのことだった。(本当怖い怖い!ユウ刀抜く勢いだったから俺マジで死ぬかと思ったもん)
一国を担う王様なのにあんなんで跡継ぎとかどーすんのかとも思ったが良かった。ただどうもユウ本人は無自覚のようだがまあもう心配はなくなったらしい。

……いや、寧ろ悩みは増えたのか。



「メイドなんかの下級の立場の奴に惚れて、苦労しなかったら良いけど」































「なんだっつーんだよ」



こつこつとブーツを鳴らして名無しを抱き上げたまま長い廊下も歩いて漸く寝室に辿り着く。途中で色んな使用人に遭遇するもなぜだか物凄く驚いた顔で悲鳴を上げやがったり自分が連れてくなどと言われたが全て断ってわざわざここまで連れて来た。
ったくこんの馬鹿、人の苦労も知らねーで。なんでまだ寝てんだよ。

しかし苛立つ思考と相反して名無しを抱く腕はなぜだか一刻も早く終わらそうとはせずになるべく大きな振動を与えぬようにゆっくりと寝かしていた。

神田はまだ後頭部と膝裏に添えられた手を離さず真下で眠る少女をじっと見つめる。
すうすうと安らかな寝息こそたてているがこうやって見たら本当に精巧に造られた人形と見紛う程。
するとずっと見てたからか否か細い腕がこしこしと瞼を擦った。咄嗟にそれを避けようとすれば赤い手のひらが見えてふと思いとどまる。

よくよく見たらこんのちっせえ手、傷だらけじゃねえか。

白魚のようなその指は痛ましいほどたくさんの紅い怪我をつけていて、火傷の痕など数え切れないくらいついていた。

何時も鈍臭いから花瓶は割るしパイも焼けねえし仕事ばっか増やすが、コイツなりには必死なのか。



「……よく頑張ったな」



するとふわり、眠っているはずだというのに名無しはまるで聞こえたように嬉々とした笑顔で色付き綻んだ。