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「お前、わざと遅れたろ」

「あははバレた?」

「ばーか丸わかりだ」



だってこうでもしなきゃユウ時間とってくんないし長話出来ないもん!となんとも寒気がすることをほざいてラビは背もたれに寄りかかり頭の後ろで指を絡めた。
1日全部潰してしかも部屋まで用意させるつもりだったのかよ。神田は小さく舌打ちして注がれた紅茶を流し込む。

ふと思いたって、ボロ雑巾が作ったパイとやらを一口かじってみたが直ぐに皿に戻した。やっぱ無理だ、不味い。不味過ぎる。つうかくそ甘いとかそういう問題じゃねえ、まず身体が拒絶しやがるぞこれ。なに入れやがったんだ。こんなモン食わす気だったのかよアイツ……!
一瞬馬鹿兎に食わそうかとも思ったがなにせ下手したら食中毒も起こしかねない代物だ、それに日頃から怠けた身体でこんなモン食ったらヘバってぐちぐち言われると面倒だし止めておくことにした。とりあえずすっとパイが乗った皿ごと自分から遠くに避けて、使用人に目配せ(というより眼を飛ばし)下げさせる。

ラビは手前にあったなんとかいう甘そうな菓子をかじってきらきら鬱陶しい瞳でこちらを見詰めた。やめろ気持ち悪い。



「美味い!さすが王さまの御料理」

「うぜえ」



……それ、殆ど使用人の手作りだがな。
ラビはそんなことなど知らずにもぐもぐと皿をあけてゆく。



「あのさ、頼み事あんだけど」

「はぁ、やっぱりか」

「俺だってジジイに任されたんさ!」



……コイツが来たら何時もこれだ。全く要らない仕事ばかり運んできやがる疫病神だ。

こんの自称貴族は、本当はブックマン家の一族であり次期後継者である。(貴族と名乗ったほうがなにかと楽らしい。)この家は代々歴史の記録をしてきた家系であり、歴史に葬られた出来事や悲惨な戦争、全て記録すんのがコイツらの役目なんだと。(昔聞いたことがあったがどうでも良いので忘れてしまった。おそらくこういうことだったと思う。)

ラビは「これ、ちょっと見てみ」と古臭い色褪せた巻物をぱらぱらと広げた。一番最初に見えたのは左上ある見慣れた国の名前。……どうやら隣国の歴史らしい。
こんなもの普段は絶対口外しないものらしいが、そっちももう今更どんな手だても顧みないのだろう。なにせこの国は200年以上も長きに渡って鎖国されいて、余所者は俺も含めて誰もよくこの国のことを知らないからだ。

ラビは大きな紙の中央辺りの褪せたインクが全く乗っかっていないまっさらな部分をとんとんと指先で叩いた。



「ここ、10年の歴史がすっぱり抜けてるだろ?前に調べようとしたら今までずっと俺らの入国は許可してたのにいきなり不可だって異国者として弾かれたんさ。んでそれに続き急な南国の動き。なんか可笑しいと思わんさ?」



翡翠の瞳が細められる。好戦的な態度が苛つくのでふいと逸らしてまた紅茶を喉に流し込んでやや乱暴に受け皿に置けばかつんと陶器のぶつかる音がした。
(……コイツまさかこれ頼む気か?自分の仕事くらい自分でやれよ)



「思わない。かかって来たら潰すだけだろ」

「だーっ!これだからストイックな王様は嫌なんさっ!」

「チッ!大体お前時期考えろよ」

「だってユウいままさに南国と緊迫状態だし」

「だからだっつってんだろ!」



糞兎はグッと親指をたてて胸糞悪いウインクしやがった。……命拾いしたのをまた無駄にしようとしてんのかコイツ。今なら俺は自分の手を汚さずにボロ雑巾が作った殺人パイだけでお前をこの国の土として還してやれんだ。



「この混乱期にこそ相手の懐に潜り込めるんさ!」

「じゃあお前が行けよ」

「だーめ。俺もう完全にマークされてんもん」

「チッ下手くそが」

「もしやってくれんならユウが今頭を痛めてる南国と俺ちょっとワケありで顔きくし少しならなんとかしてやっけど?どうする?」

「…………」



それを聞いた途端平静を装っているが神田の瞳の色が変わった。ラビはそれを見逃さずににやりと笑う。

確かにここ数年で一気に力を広げたこの国には、敵も決して少なくない。それに度重なる闘いで国軍の戦力が衰えている現在はなるべく混乱も避けたいところ。(こないだの演説だって結局意味なかったしな)
ラビの持ち掛けた商談も、要は隣国潜入してあわよくば開国しろということならリスクもまだ低いし面倒は自分だけで済む。それに隣国のことだって知って損はない。(少しの間は国を空けてしまうがオヤジもいるしそこは大丈夫だろう。)それならば理由も見付からない泥仕合をするよりはそちらの方がまだましかもしれない。
ラビの願いということもあって神田のなかでやや腑に落ちない部分もあったが国の安全のために仕方なく重い首をやっと縦に振って頷いた。
瞬間ぱぁっとラビの瞳がきらきらと輝く。(……なんかムカつく)



「おっ!さっすがユウ!男前さ〜」

「……チッやっぱ面倒くせえ」

「そんなこと言うなよー、お前にしか頼めないんさ!」

「もう良い、行くから黙れ」

「悪いなー!」



これから先のことにどっと頭が痛くてもう甘いモンに囲まれるのすら到底耐えられなくて嫌悪する。しかも対岸では糞兎だし!
神田は未だひっきりなしにフォークを運ぶラビを無視して突然立ち上がった。がたん、大きな音を立てラビも自然と顔を上げる。



「オイ、俺はもう寝る。これ片付けておけ」

「はい。畏まりました」

「っええ!まだ残って…………っ行きます、はいごちそうさまでした」



ギロッと睨みつけてラビを静かにしておく。
とりあえず近くに居た使用人に言い付けると淡々と食器を片付けるメイドに向かってラビはあんがとーさ!となんとも下心丸出しのよこしまな声で掛けた。そのヘラヘラ顔がムカつくので先に歩き出せばラビがひとつ遅れて後ろについた。



「酷いさ置いてくなんて!こんな広い屋敷なら迷子になっちゃう」

「勝手になってろ」

「やっだ冷たいさ」



壁に備えられた僅かな蝋燭の灯りだけを頼りに長い廊下を歩む。大きくとられた窓には月が浮かんでいた。しんと静まり返る廊下では、ふたりの足音だけがこつこつとやたら反響する。ラビはよっぽど物珍しいのか興味ありげにきょろきょろと見回す。



「これ全部前王が手掛けたん?」

「………らしいな。あまり知らねえ」

「ふぅん?」

「ほら、ここだ」

「おーっありがとさ」



ボロ雑巾に用意させた部屋の前にやっと着くとラビは手を叩いて喜んだ。なんでか今日は全く国務も終わらせていねえのに異常に疲れた。コイツか。コイツの所為か。
かちゃ、と扉を開いて「おやすみー」とのうのうと抜かして馬鹿兎が入ってったのを見届け、俺は寝室へと向かおうとまた歩きだした。

その瞬間、



「うおぉっ!」

「!」



なんとも間抜けなラビの悲鳴。

ったく、今度はなんだよあんの馬鹿が!
咄嗟に腰にささった刀に手を添えて直ぐ様部屋に入る。
……もし不届き者なんかがいやがったら容赦しねえぞ。

しかし其処にいたのは立ち尽くすラビと、……ベッドの淵ですやすやと眠る見慣れたメイドの姿。

まさかまさか、


「なんかベッドに女の子寝てるんだけど…………サービス?」

「んなわけねーだろ!」