08


結局ボロ雑巾はパイのひとつもロクに焼けず仕舞いで終わった。ったく、鈍臭せえ。
ボロ雑巾はしょぼくれながらも「本当はもっとすごいものだって出来るもん……」とのたまってやがったが俺が今までコイツを見てきた経験上あの鈍臭さがある限り絶対に無理だろう。適当に流していれば名無しはむう、と唇を尖らせてなにやらきーきー反抗し拗ねていたが面倒だし放っておいた。


……それにしても、



「きっ来ませんね……?あっもう一度連絡してみますか?」

「チッ、何度やっても同じだろ」

「ですよね……」



神田は庭園の白いテラスの席に深く腰掛けて大きな溜め息を吐いた。
ボロ雑巾は気まずそうにテラスをひっきりなしに歩き回って無意味におろおろとしている。ほら、盆落とすぞ馬鹿。

神田はポケットに入ったシンプルな銀の懐中時計を取り出しちらと時間を見やると、既に針は三時を示していた。

……約束の時間から既に二時間。
もう時刻はとっくに過ぎたというのに一向に馬鹿貴族は来やがらない。

いきなり勝手に来るとか抜かしたクセして遅刻しやがって!大体毎日絶えず増える様々な国務も、面倒な南国間の情勢も何ひとつ片付けられずふわふわと曖昧な予定に縛られることだけでも腹が立つというのに。
もしくだらない理由とかだったらアイツ絶対ぶった斬ってやる……!

かちゃん、腰に差した刀を鳴らすとボロ雑巾は大袈裟なくらいびくっと肩を跳ねさせた。コイツのビビり癖も早いとこ叩き直さねえとな。

またひとつ大きな溜め息を零す神田に、名無しは内心びくびくしながら取り繕うようにしどろもどろと言葉を紡ぐ。



「……そっそうだ王さま、紅茶でも如何ですか?」

「要らない」

「茶菓子「要らない」

「はい……」



神田はこの芳しい花の香りに包まれた閑雅なテラスにそぐわないような眉間の皺を寄せながら、西洋デザインの洒落たテーブルをとんとんと落ち着きなく指先で叩き、再び苛立ちを露呈する。自分の提案もあっさり却下されてまた不機嫌モードに入る神田に、名無しはこっそり小さく肩を落とした。



「でも、楽しみですね」

「は?何がだよ?」

「お茶会ですよ!」



「お茶会」という単語にボロ雑巾はなんだか急に元気になってくるりとメイド服を靡かせた。そして俺の方へ近付いたかと思えば覗き込むように見つめる。きらきらとまるで子供のように純粋なくるくるの双眸が俺を映し出した。……なんだなんだ。こんな顔今までみたことねえぞ?
やや困惑する神田に「美味しそうな甘いお菓子だってたくさんありますし」と暢気に抜かして、ようやく思い出した。そうだ、コイツ甘ったるい菓子に目が無いんだった……。
しかも俺もさぞ甘い物好きと勝手に解釈しやがってにっこり笑って「マカロンもありますし、可愛いマシュマロとか、美味しそうなものがいっぱいですよっ!」とどんどん勧めてきやがる。待たされてるだけでもムカつくというのに俺の腹の中で余計にイライラと苛立ちが募ってゆく。

言っておくが、



「俺は甘ったるいモンが、だいっきらいだ」

「っええ!でも作れって……」

「ただの出迎え用だ」



名無しはそれを聞いた途端しゅんと猫の耳でも生えてきそうなくらい小さくなって俯いた。「あんなに頑張ったのに……」と消え入りそうな声で零してやがるが、そもそも俺が食うとは一言も言ってない。しかも大体お前は材料の無駄遣いしかしてないだろ。
名無しはぷくっと風船みたいに赤い頬を膨らませた。どうやら怒っているらしいのだがなんだか何時もよりもっとあどけないというか幼くみえるのは気の所為だろうか。



「でっでも、寝ないで頑張ったんですよ?」

「結局失敗してんじゃねえか」

「…………………」

「んだよ?」

「…神田さまに、食べて貰いたかっただけなのに」



名無しは悔しそうに口を結んで、うるうると黒い瞳を潤わせてどこか縋るような甘美な視線で神田を見つめる。

刹那、神田は自分の揺るぎないはずの芯にひびが入るような音が聞こえた気がして、咄嗟にばっと目線を逸らした。
「王さま?」となんとも間抜けな声が掛かるが、今はそれどころじゃない。

……ばくばく心臓が煩せえ。一瞬の些細な出来事だったというのに不安定に拍動が縺れ込んだものだから突然の身体の異常に自分でも驚いた。
なんだ今の。そっ、そんな顔しても無駄だぞ!食わないもんは食わないからな。



「……じゃあ良いです。もし残ったら貰ってよろしいですか?」

「ただでさえそんなだらしない体型なのに余計太るぞ」

「わあーっ!酷いです!」



きゃんきゃん喚きながらぽかすか殴ってきやがる細い手首を神田は意図も簡単に捕まえると、名無しをくるっと反転させて自分の膝に引き寄せた。
ぎっ、椅子がふたりぶんの重さに小さく悲鳴をあげる。
神田はみるみる赤く染まる無防備な名無しの耳元に唇を寄せた。背中越しで表情までは見えやしないが露骨に動揺しているのが手にとるようにわかってすげえ可笑しい。



「っおお、王さま……っ!?」



からからと馬車の走る音と共にいきなり外がやたら賑やかになった。
もうすぐこちらに馬鹿貴族がやって来るだろう。
名無しはあわあわまるで金魚のように口元をせわしなく動かして外へ目をやる。その反応が無性にムカついて白い耳を噛んでやると名無しはびくっと身体を震わし甘く砕けるような嬌声を漏らした。
馬鹿雑巾が、余所見しやがった罰だ。



「っかん、」

「……もしもっと作るのが上手くなったら、お前のなら食ってやっても良い」



「へっ…………!」



名無しはびっくりしたように瞳を丸くしたのちに、「約束ですよ?」なんて生意気なこと抜かしてふわりと頬を綻ばせた。