日曜日
爽やかな日差しが窓から差し込む。
結局一睡も出来ずに朝が来てしまった。
あれからソーイ君は上からの割と重めな処分によりきっちり扱かれたらしい。
私はというとソーイ君が図らずとも放り投げられクッションになって大怪我を免れた代償に壊れた作品を泣く泣く捨てたり掃除したりして夜が過ぎた。
思い入れのある作品を処分する悲しさよりも、何故か神田くんが後ろでいるというほうが嬉しくて、何度も振り返りながら片付けをした。(はやくしろよって何回も言わせてたけど)
「でもさ、今日で終わりだね」
「なにがだよ」
「仮暮らしですよ!」
「ああ、そうだったな」
この1週間色々あり過ぎて神田くんはこの問題の1番要である自室の修繕が今日終わることを忘れていたらしい。意外だ。
どんな風になってるのか、あわよくば少しデッサンモチーフにでもさせてもらえないかなどと下心もちらほらありつつ神田くんに一緒に見に行こうよ、と誘うとこれまた意外にもあっさりとああ、と答えてスタスタと歩み出した。
「なんでお前と行くんだよ!とか言うのかと」
「言った方が良かったか?」
「いやそんなまさか、へへへ」
こうやって肩を並べて教団を歩くのももう少しで終わりなのかな、これからは任務のときだけになるのかな。
なんだかもやもやと心に陰りが出てくる。
あんなに早く修繕してほしい、こわい百獣の王だって散々思ってたのに、神田くんは不器用なだけですごく優しくて、わたしのピンチはいつも傍に居てくれた。
これからは頼っちゃダメなのに。
徐々に足取り重くなっていく歩みを無理やり進める。気付かれないようにしなきゃ。
こんなに何もかものしかかっちゃダメだ私。
「なに考えてんだよ」
「えっ!いやなにも……あっ!クロッキー帳やら忘れた!ちょっと部屋に戻るね!」
「お、おい!」
神田くんの顔も見ずに走り出す。
多分私いま、寂しいって顔に書いてそうな気がする。
一旦ひとりになって気持ちを整理してから深呼吸して、また神田くんの部屋に行こう、そうしよう。
大丈夫大丈夫、今生の別れでも無いんだし。
元の生活に戻るだけ。
1人の部屋に、戻るだけ。
広いベッドに、戻るだけ。
そうひたすら言い聞かせるも、自室の前に来る頃にはかっかと顔が熱くて必死に涙を堪える馬鹿な自分がいた。
自分勝手すぎる。
「何してんだよ」
「うっうわ!!!」
振り切って走ったはずなのに、いま1番見られたくない人がジトッときた目つきで自室の扉の隣に背中を預けていた。
腕を組んだまま眉間に皺を寄せて私を見下げている。
そして私の顔を見るや一瞬ギョッとした表情をするも、ポンと私の頭に手を置いた。
「酷い顔だな」
「うるさいです!っていうか置いていったのになんでもう居るんですかぁ!」
「お前足遅過ぎんだよ」
「ううう」
「まさか、寂しいのか?」
図星過ぎてもう言い訳の余地も無く。
衷心に矢を射られたように心臓が跳ね上がってそのままうん、と頷くと彼は少しだけふっと口角を上げた、ように見えた。
えっいま笑った!?
神田くんって笑うの?ていうかいま、なんで!?
びっくりしたまま彼の端正な顔を見つめると、やっぱり切れ長の瞳の奥は少し嬉しそうで。
「そうか」
「なに笑ってるんですかー!?うっうっ……」
「悪かったって!泣くなよ」
「もっと笑顔見たかったー!」
「そっちかよ、しばくぞ」
「ごめんなさい!!!」
またムスッとした顔のまま部屋に入るようにそっと促され、さっき言ってたやつどこだよとかイライラしながら探してくれてる彼の背中を見ながら思わず私は後ろから抱き着いた。
うおっ!と小さい声を出しながらバランスを崩した彼は直ぐに手を付き私の方に目をやる。このアングルから見ても彼はすごく美しい。
「お前、2人きりでこんなことしてどうなるんかわかってんのか?」
「はい……」
「だから離……は!?」
サラサラとした黒髪が少し跳ね上がる。
驚きに見開かれた双眸は綺麗で、そこには相反して涙目でぐしゃぐしゃで真っ赤な顔をした愚かな私が映されていた。
恥ずかしい、破廉恥なことを言っているしやっている自覚はある。
でも止められなかった。最後の我儘である。
また困らせてしまうな、ごめんなさい。
もうあまりの羞恥に俯いて彼の顔はとてもじゃないけど見ることは出来なかった。
「名無しお前、自分の発言に責任持てよ、子供じゃねェんだから」
彼は私の手首を掴むと一気に引き、よろめいた私は彼の胸の中に収まってしまった。
ふわり、優しい香りに包まれて服越しでも伝わる肌の温かさに、脈打つ心臓のその速さに、頬を撫でる彼の黒髪に、星でも瞬きそうなくらい血が巡り、自分の心拍音がバクバク耳元で聞こえる。
「こんなの、勘違いしちゃいます……」
「俺の方がだろ、ずっと」
ずっとだ、と続ける神田くんの声は切羽詰まったように紡がれる。やっと絞り出した言葉は、確かめるように私を包む腕を少し強くした。
はーっと深い息を一気に吐き出した神田くんは、また私の顔を見て、
「どんだけ俺が我慢したか知らねェだろ、馬鹿」
「えっ!?」
はあ、とまた溜息をついてそのままやっと離してくれるとあのなあ、とうんざりしたような怒り口調で続けた。
多分私の顔は赤やら青やら紫やらになっているだろう。
「……もういい、ちょっとは自分で考えろ馬鹿」
「えぇ!?気になりますよ!!」
「うるせえ」
やっと見つけたクロッキー帳をほら、と私に手渡すと彼はすぐにスラッと立ち上がり適当に筆入れをポイと投げて寄越した。
クロッキー帳がどれかわかってるのすごいな。ずっと見守ってくれてたんだな。
優しいですね、と思わずうっとり呟くと彼は居心地悪そうに目を逸らして早く行くぞと吐くとそのままスタスタと歩いて行ってしまった。
慌てて追いかけて角を曲がるとすぐに見慣れた横顔がちらりと見やる。
ホッとして小走りに追いかけると、遅いんだよ日が暮れる、と彼は私の手を掴んだ。
あまりに嬉しくて嬉しくて、指を絡めてみると髪の隙間から除く耳朶が少しずつ赤くなってゆく。
「好きです」
「……分かってる」
いま、どんな顔をしてるんだろう。
見てみたい。その表情を描きたい。ずっと心のキャンパスに収めたい。
転ばないように一生懸命着いてゆくと、彼の部屋の前には先客が居た。
見慣れた白い背中。珍しく立っている姿に、この事件の当事者がいることに少し驚いた。
「あ!!!神田くん!!みて、ちゃんと治ってるよ!」
「……」
「コムイ室長!お久しぶりです!」
そう返事したのち、彼の目線は落ちて私たちの手元を見つめた。繋いだままの手。
しまった、恥ずかしさのあまり直ぐに手を解こうとしたが、意外とその力は強くって離れなかった。
えっどうして、神田くんってそういうの恥ずかしいんじゃ!?と思うも彼よりも先にコムイ室長が言葉を続けた。
「やっと君たちいい関係になったんだね!青いなー青春だー!」
「テメェやっぱり……」
「そうでもしないと名無しちゃん鈍いからさあ、コムイ2号が最大の仕事を「しばく」
言葉を遮り、すぐに六幻が応えるようにカチャリと鳴る。
いやいやまずいでしょ!と咄嗟にコムイ室長を庇おうと身を乗り出そうとするも彼は滝汗を流しながらも手伝っただけなのに!と自分の不遇を訴えた。
いや身を挺するにも程ってもんが、というか室長じゃなきゃ処分モノじゃ?とか色々喉から出そうになったけど1番気になったのは、
「私が鈍いってなんでですか?」
私の素っ頓狂な声に空気が固まる。今にも噛みつきそうな顔をして胸ぐらを掴む神田くんと、青い顔をして空気の抜けたかのようにしょぼんとしたコムイ室長が同じ目をしていた。いやなんで。
「だって部屋無くなった時点で神田くんきっと他の人の部屋で寝るなんて、ましてや実行するなんて有り得ないでしよ」
「テメ、うるせぇ!」
「えっじゃあ私じゃなかったらそもそも仮暮らしされなかったってことですか?」
「そりゃ談話室なり鍛錬場なりで寝てたろうね、神田くんの性格上」
「……」
すこしの沈黙のあと、バツの悪そうな顔をして彼は目を逸らした。
だったらなんだよ、小さい声のあと、不意に力を緩めた手からコムイが脱兎の如くするりと逃げ出し全力で走っていった。お幸せにー!なんて呑気な言葉を残して。
神田くんは覚えとけよ!とキレていたがいまはそれどころじゃない。
ということはこれはそもそも……?
「神田くんて、前から私の事……?」
「もう何も言うな!!うるせぇ!」
彼はぶっきらぼうに言いながら私の手を引いて部屋に押し込まれた。
ばたん、と重い音を立てて扉がしまる。
またふたりきりの空間。
仮暮らしは終わったけど。
「次は神田くんのお部屋で寝ようかな」
「好きにしろ」
終わらない日曜日!