木曜日
「うぐぐ!あ、朝か」
爽やかな鳥の囀りが聞こえて、というのは冗談だけど頭を思いっきり壁にぶつけ私は最悪の目覚めを迎えた。
目の前でちかちか回る星を追っていると神田くんが小さな唸りと共に寝返りひとつ。
少し距離が縮まった。
自然と向かい合う形に成り、今しか無いこの機会にまじまじと見ればやっぱり神田くんは綺麗な顔してて、長い睫毛を下へ降ろしまだ鋭光を閉じたまますうと一定に呼吸を続けている。
そういえば眠っているところ初めてみたかもしれない。
神田くんは何時も私より早く目覚めていて、朝を待っていてくれていたから。神田くんの朝は、何時もどんな風なんだろうか。暇じゃないのかな。
神田くんの少し伸びた前髪をちょっと分ければ朝日に照らされた白い額にそっと触れる。
「神田くん、昨日はありがとう」
そういえばきちんと言えて無かった、ちょっと狡いけどごめんね。だってなんか恥ずかしい、
昨日のあれだってきっと不器用な優しさだろうとやっと気付いたから、今更だしなんだか照れ臭い。
私はまだ眠る神田くんを起こさないよう慎重に跨って乗り越し、夜更かしして終わらせたジョニーに頼まれた完成品を持って足早に届けた。
戻ったらやっぱり神田くんは部屋に居なくて、とりあえず食堂、森、修理中の自室、と彼の居そうな場所を回る。
あー、なんでこんな教団って無意味に広いんだ!
神田くんともう二度と逢えなかったらどうしよう……!
「……で、…とか…なんさ?」
「…、………っ、」
「神田くんっ!」
神様頼みで鍛錬場を覗けば隅に座禅を組む捜し求めていた神田くんを見つけ、私の心は途端一気に晴れ上がった!
彼は珍しくラビと何か話して、というか神田くんの方から積極的に話し掛けてるように見える!明日は雨かスコールかもしくは槍が降るかもしんないくらい偉いぞ神田くん!
私は神田くんの努力と雰囲気を壊さないようにそっと踵を返すも神田くんはすごい勢いで振り返って私の肩を掴み引き留めた。
友達を作る努力をするよい子の筈だった神田くんはぴき、と幾つも青筋を立てていて、私は思いっきり切れ味の良い刃物を思わせるような目線を突き刺された。
あれ、後ろ姿じゃ気付かなかったけどまさかまさか神田くんご立腹ですか!嘘だろーっ
「お前何処行ってたんだよ!朝起きたら居ねェし!」
「ひぃ!こ、こないだジョニーに頼まれたのやっと終えたんで渡して来たんで、す」
「はぁ!?」
「ユウったら朝から名無しが居ないってずっと必死で探してたんさー」
「てめェ!」
にい、と聞こえてきそうな程口角を上げてへらへら笑うラビへ鋭い蹴りが掠め、「うわっ」と剽軽な声を上げてすんでの所で避けられた神田くんは大きな舌打ちをした。
神田くん、そんなのまともに当たったらラビだって飛んでいきますよ。
「心配してくれてたんですか?」
「そーっ!それはもう凄かったさ!」
「ブッ殺すぞ糞兎が!」
「ユウ怖いさー!」
ラビは隻眼を細めてにやと意味深な笑顔を浮かべ沃さと脱兎していった。
「あ、ありがとう」
「…………ふん」
「そいえばさっきなに話してたんですか?ラビと普通に会話してるの珍しい」
「別に。関係無いだろ」
「まさか人に言えないような、」
「探るな」
神田くんはバツの悪そうに私から目を逸らして会話を遮断した。
男二人で人に言えないような話題というのなら私も察してやらないといけないのかもしれない。うん、神田くんも健全な青年なのか。
「変態ですか」
「別に」
「否定しないやましいユウくんは部屋に入れませんよ!」
「はっ、男はみんな変態だ」
「な!」
それ現在相部屋してる異性に言うことですか!
だんだんと身体の熱が高騰して顔に一斉集中する私と相反して神田くんは涼しい顔して私の体温の変化を見詰める。
「少なくともお前が思うよりはずっとな」
「神田くんの変態!」
「勝手に言ってろ。おら、鍛錬始めるぞ」
「ええうそーっ?」
「嘘言ってどうすんだよ、さっさと着替えて来い」
「俺が着替え手伝いましょっか?」
「っわ!」
「チッ!てめェ昨日の、」
突然ひょっこり現れたのは恐らく鍛錬なんて言葉世界一不似合いなソーイくん。
ヘリウムガスの入った風船より軽い手が何気なく私の腰にするすると絡まって引き寄せた。堪能するようなその指先に全身の体温がぞっと足下から抜け落ちる感覚に襲われる。
神田くんは滅相大きな舌打ちをして私を這うソーイくんの手を叩き落とした。
「あんま調子乗んなよ」
「別に良いじゃないっすか、減らないし。それに神田さんには関係無いっすよね。
そうそう、名無し今度風景でも描きに行きませんかっ!俺絶対楽しませますよ」
「ソーイくんちょっと、」
またするりと腕が伸びてきて今度は避けようとしたらそれよりも先に神田くんの左手がぐん!と私の肩を掴んで引き寄せた。
意外に厚い胸板に肩がぶつかり、初めての距離にどぎまぎするも見上げれば神田くんは前を見据えたまま。
その瞬間、
ばん!
という大きな音に振り返るとソーイくんは首を捕まれて壁に打ち付けられていた。気道を抑えられてか背中を強打したからか分からないがまともに呼吸が出来ないようで短い息を繰り返す。
「何度も同じこと言わすな」
「あ、くっ、は、」
「神田くんだめ!」
怒りを剥き出しにした双眸を突き刺しぎりぎりと指をめり込ませてゆく。
だめだ、このままじゃソーイくん絶対死んじゃう!
「神田くんってば!」
「!」
神田くんの頬を両手で包んで此方を向かせて、怒りに溺れた漆黒とばちんと目を合わせる。
彼は驚愕したように瞠目し、大きな舌打ちと共に仕方無しに凶器となった右手の力を抜けば、ソーイくんはずると床に崩れ落ちた。
「がっ、げほ、っあ、」
「また同じことしてみろ、切り刻むぞ」
「……り、っすよ、」
「は?」
「無理って言ってんの!簡単に諦め無いっすから俺!」
「えええ!」
「……てめェ本気で死にてえらしいな、面貸せよ」
肩を寄せられたままの無実の私までも迂闊に動けば殺されそうなどす黒い雰囲気を垂れ流して六幻の鍔に親指を上へかけた。かちゃり、と刃物が唄い神田くんの目つきが色を変える。
「神田くん駄目だって!一般人だからね!?そんなことしたら死ぬから!」
「お前は黙ってろ」
ソーイくんの血色の良かった浅黒い肌も今は蒼白で、死を間際にした恐怖の色に変色していた。
神田くんも本気で六幻を抜刀して殺人鬼みたいな狂気めいた笑みを浮かべる。
……こ、これは人生史上最大の修羅場に陥ったぞ!
「……ま、待って」
「んだよ!」
「うううわ名無しっ!」
正反対の感情の籠もった二つの視線が私に突き刺さる。
開くことさえ憚るような沈黙に喉の奥で発狂するも飲み込んで、重い空気に言葉を紡いだ。
「い、行きます……」
「はぁ!?」
「えっ!」
「行ったらいいんですよね、じゃあ行きます、それ」
「や、やったー!あざっす!じゃあまた連絡しますねっ」
ソーイくんは笑顔を貼り付けて命からがら脱兎していった。
「…………」
「ご、ごめんねわざわざありがとう」
「……良かったのかよ」
「まあしょうがないです」
「んだよそれ!俺はお前が、」
「?」
「……っ、もう良い好きにしろ」
「神田くん!」
神田くんは一瞬はっとしたような顔をしてから踵を返して何時もより早い速さでブーツを鳴らして行ってしまった。
あちゃー、今までに無いくらいに怒らせてしまったかもしれない……!
これは私の優柔不断な性格の所為かな?
……それとも、
不穏な木曜日!
(どうしようどうしようどうしよう!)
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