火曜日

久しぶりに換気した清々しい部屋には、何時も部屋に充満していた絵の具臭さも紙の香りも全て消えて、朝の爽やかな空気と何処からやって来たのか花の芳しい香りに包まれていた。
ベッドで欠伸をひとつして眠気眼を擦りぼやけた視界を明瞭にさせる。

と、



「遅い、鍛錬行くぞ」

「っわあ!」



私は目覚め一番に目の前いっぱい現れた不機嫌な彼を見て思わず身体を仰け反って思いっきり背中を壁にぶつけた!覚醒しきっていない鈍いままの感覚にいきなり痛覚が襲い掛かったものだから「ぐえっ!」と蛙の潰れた声が喉から漏れてまたへろへろとシーツの海に身を沈めてゆく。
そしてやっと頭の整理がつき、昨日からうっかり相部屋生活が始まったことを思い出した。
そうだそうだ、夕べはなかなか寝付けなかった。もしうっかり神田くんに触れてしまえば一思いに斬り捨てられるんじゃないかと魘され空いた手も自由に広げれずやり場に困るし、怖くて寝返りもうてないし。でも神田くんは人形のようにあまりに静かで身動きすらとらないものだから思わず呼吸をしてるか確認したら「まだ起きてんだよ」と怒られた。彼も命知らずな私もすっごい怖い。



「お前あまりに弱過ぎんだよ、昨日も俺が居なきゃ五回は死んでたぞ」

「だって武器投げたら私もう無防備なんだもの」

「だから鍛錬しろっつってんだよ!」

「ぎゃおす!」



装備型のブーメランの適合者の私は攻撃の為に武器を投げたら暫く返ってこない。その間に無防備な丸裸の私はただ逃げ惑うしかないのだ。つまり道具に頼るのでは無く自分自身も鍛えなきゃいけないということ。
昨日は凄い数に囲まれてブーメラン投げた瞬間に武士道に反する背後を狙ってくる不届き者ばっかだったから死ぬかと思った!そして逃げてたら全く違う所に武器が燕帰りして拾いに行くの大変だし神田くんが守ってくれなくちゃ私やっぱり五回は死んでた!



「ほら行くぞ、手こずらすんじゃねェよ」

「でも今日はジョニーが新団服のデザイン資料として纏めてって」

「あぁ?」

「はい行きます!」



ま、また般若出て来た!神田くんなんて恐ろしい人!私一週間命持つかな、持つよね?
そうだ、部屋には愛想悪い懐かない猫が居ると思おう。それならちょっとは可愛いかもしれない。我ながら良いアイデアだ。



「早くしろ、時間の無駄だ」

「ぎ、御意!」



……口さえ開かなきゃ、怖くないし大丈夫なんだ、うん。こうやって稽古に付き合うと言ってくれてるのだって恐らく彼なりに一週間の滞在のお礼なのだろう。でも個人的にはモデルになって貰えた方が嬉しいな、なんて言えるわけ無い。


そして結局私は神田くんの迫力に気圧され引きずられて半ばというか完全強制的に神田先生指導の元超スパルタ鍛錬教室が始まってしまった。

体力だけが取り柄の私に先ず与えられたのはまず何処でも良いから神田くんに一発当てるという課題。
それくらいならと必死に足掻けど足掻けど、



「……っあー、はぁ、疲れた!」

「お前こんなことでへばってたら死ぬぞ」



愚の音を吐いているのは私だけで、神田くんは少しも息を乱していなかった。それがまた悔しくて藪から棒に拳を突き出すも神田くんは始めから分かっているかのように軽々しく避けてゆく。



「無駄な動きが多いんだ、よっ」

「ぐひゃ!」



脚を繰り出せば見事に掴まれバランスを崩して私はまた鍛錬場の地面に平伏した。
「受け身取れ!」と何度目か分からない同じ注意がぼんやりした脳を叩くも身体が訊いてくれない。私は神田くんに触れることすら出来ないのに神田くんには何発かかなりの手加減付きで攻撃されて、あ、と思ったらもう地面に叩き付けられまた神田くんに注意されるという繰り返し。



「先ずは受け身取れっつってんだろ、筋は悪かねえんだから学習しろ」

「はぁ、っく、は、」



重い身体が酸素を渇望して肩で息をしてつうと流れて目に入った汗を拭う。神田くんが「立てるか?」とぶっきらぼうに腕を差し出した。その不器用な優しさに甘えて手をとるとひょいと意図も簡単に身体を引き起こされる。
その勢いがあまりに強かったものだから私は神田くんに凭れる形となってしまった。
引き締まった胸元に寄りかかったままふと見上げると神田くんとばちっと目が合うも直ぐに逸らされた。なにそれ酷い。



「それ、分かってやってんのか?」

「何が?」

「っ、何でもねえよ!」



どうやらまた神田くんの機嫌を損ねてしまったらしい。ふいと顔を逸らされてしまいがっかりした私は自然とその小さな尖った耳に目がいった。あ、耳朶赤い。ひょっとして怒ったら赤くなるのかな?それなら何時怒るか大体分かるかも。

私は神田くんに礼を告げ、手を離して身体にたくさん付いた砂埃を軽く払った。



「お前筋肉ねえんだよ、軽過ぎ」

「だってずっと絵描いてたから」

「……とりあえず飯食え。こんな身体じゃ無理だ」

「あい」



ぶっ通し三時間の鍛錬に束の間の昼食休憩が与えられた。
神田くんが他人と食事をとるのがそんなにも物珍しいのかなんだか私が捕らわれた宇宙人のように食堂中の人々から奇異な瞳を刺される。



「神田くん、すっごい注目が痛いです」

「どうでも良いだろ、別に」

「でも神田くん、」

「てかお前その『くん』付け止めろ。元帥思い出す」

「じゃあ私もお前じゃなくて名前で呼んでください」

「なっ、」



神田くんは咀嚼していた蕎麦を喉仏を大きく動かし飲み込んで漆黒の瞳を瞠目し私を見詰めた。
あれ、そんな狼狽えるようなこと言ったかな?あ、ひょっとして名前知らないんじゃ?そうだったらちょっと落ち込むんですが。



「あ、私の名前「名無し、だろ」

「…………」



知ってたの!?

驚愕してか、神田(呼び捨て……っ!)を見やれど彼は私に目もくれずただ淡々と食事を進めていた。
そっと薄い耳朶を伺えば乳白色の筈のそこは林檎のように赤く染まっていて心中でこっそり驚愕した。あれ、赤いぞなんで!これは怒ったら赤くなるわけではないんか?これってひょっとして単に……?

瞬間、食事を終えてぱちんと箸を置いた神田とばっちり目が合ってしまった。神田は私の心を読み取ったのか否か赤面して私の視線の先の耳をばっ、と手で覆った。



「見るんじゃねェよ!」

「神田くん耳、」

「う、煩せえな!」



……どうやら図星のようです



詮索の火曜日!
(神田くん、謎多し)



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