「これで最後です」
出張最終日。
身体に鞭打って、神経尖らせて向き合う。
臓器を縫う最終段階まで気を抜かず、只管浅い呼吸を繰り返す。
進むに連れて段々と場の緊張が緩んでいく。
能天気な音楽は段々と耳に入ってくる。
相変わらず生臭いが。
私が道具を置くと、現実に引き戻されたみたいだった。
最後の手術が無事終わった。
私室に戻ったのは日付がもう越えていて、一時間くらいシャワー室にこもった。
生温い湯を張った浴槽に入る。
そしてゆっくり深呼吸をする。
あぁ、今日の朝には帰れるんだ。
ふと頭に浮かんだのはやっぱりラフィットの姿で。
一昨日からずっと、ラフィットのことを考えているかも知れない。
一体どうしたのか、多分疲れているんだろう。
浴槽から上がり、ふらふらした足取りでシャワー室から出、髪の毛もろくに乾かさないままベッドに倒れこむ。
また一昨日のようにラフィットと出掛けたいな。
***
朝。
荷物をまとめ、前から置いてあった私服はそのままクローゼットに仕舞う。
また来ることになるから。
窓の鍵を閉めようとして外を見ると、丁度ラフィットがこっちに向かっているところだった。
よく見たら、綺麗な翼なんだ、と。
「お疲れ様です」 「うん」 「帰りましょうか」
私は迷わずラフィットの腰に腕を回した。
こんなにも故郷が恋しいなんて思ったことなかったのに。
いや、多分それはこいつのせいだ。
ラフィットが両腕を広げれば、両腕が美しい羽根が敷き詰められた翼に変わる。
そしたらラフィットは身体を前に倒すように飛んだ。
清々しい空気がラフィットの翼を靡かせる。
今でも少し怖いけれど頑張って目を開けたら、コバルトブルーが一面に広がっていた。
海ってこんな色をしていたのか。
…もしかしたら私は今まで損をしていたのかも知れない。
コバルトブルーの上を自由気ままに航海する海賊が、今は途轍もなく羨ましく思えた。
ただ今の生活から逃げたいだけかも知れない。
「私の両親、海賊やってたの」 「知っていますよ」 「ちょっとだけ羨ましいかもって思った」
今の人生が間違っているとは思っていない。
ただこのままでは死んだ時に両親に怒られる気がした。
私はラフィットの返事を待っていなかったけれど沈黙の後、ラフィットがこう言った。
「私と海に出ましょうか」
え?と私は聞き返そうと。
だけど聞こえたのはまた別の音で、プツンとなにかの糸が切れた。
視界が霞み、光に照らされている綺麗なコバルトブルーが絵の具で塗りつぶしたような色に変化する。
頭がなにかに殴られたように鈍く、身体に指令を出さなくなった脳は意味をなさなくなった。
そして腕の力が一瞬でなくなり、忽ち私は海へ堕ちた。
最後になるだろう私が見たのは、美しい翼だった。
5 August 2013. Masse
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