一言なのに長いのだから作文はなおさらだらだら、
そのてん手しごと感想お知らせはだいぶん短め。


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いつからか八百屋さんの看板娘として評判だった中国人のお姉さんが、昨年の秋ごろ、日本を去ったそうだ。これまでたくさんの「二束なら30円おまけする」とか「さばききれないかもしれないから半額でいいよ」などへのありがとうと、お別れを言えなかったことが残念でならない。
お隣さんはタイ人の女性で、今日も今日とてばんばんと何かを打ちつけるような音を響かせつつ料理をしていた気配。スーパームーンの夜に月をスマホで撮っていたら玄関から出てきて、良いカメラを持っていないから、と両手をうしろで組んで空を眺めていた。
夏に公園で出会った2人のベトナム人の女の子たち。まだ日本での生活は半年ほどだとか。毎日、ラインとフェイスブックを通して故郷の母親や友人たちと交流していながらも、「やっぱりさみしい」とこぼした。何か困っていることはないかと聞いたら「服がほしい、安くて、かわいいの」と言うのでしまむらにご案内。私にとっては既に猛暑のきざしのころで毎日うんざりしていたのに、彼女たちは「日本は寒い」と長袖を求めていた。どうやらベトナムの暑さはただごとではないらしい。
こんなに狭い地域でも、いろんな国の人たちがいる。圧倒的にアジア系が多いけれど、たとえば教会に行けば欧米系の人も当たり前の様にいる。逆に、日本から世界のあちこちへ飛んで行ったりもする。たぶん5年くらいは帰らないよ、という友人もいる。
地球はどんどん狭くなる、と言う。私の実感はちょっと異なる。様々な国の人たちに出会ってその多彩さを目の当たりにすればするほど地の果ては遠すぎるとちょっと途方に暮れる。生まれてから死ぬまで他国の土を踏まない人の数は、どれくらいにのぼるだろう。その理由もまたお国柄によることもある。宗教や、習慣や、経済や、良い悪いでははかりきれない要素が、そこにはある。
出会いは奇跡だ。いったい何を越えて、私たちは今ここで顔をあわせているのだろう。いったい私たちは、何を恐れて、嫌がって、あるいは決めつけて、すれ違うことをわざわざ選んでしまうのだろう。別れは奇跡の終わりではない。私たちにしか残せないものを生み出す、もうひとつの奇跡の始まりだ。
出会わなければ、別れも永遠にやってはこない。それは人と人のことだけではないのだけれど、でも、常にどこかに、この世界の人間の手が、手間が、きちんとかかっている。そして結局、その想像力の向こうで、人は出会い、別れ続けて行くのだろう。

170108 0211
一言


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久しぶりに美容院へ。
どれくらい久しぶりかというと半年は確実。
それぐらい昨年は余裕がなかったんだなあと改めて痛感した。
久しぶりのあまりぼさぼさに伸びきってしまった髪を切らず、せっかくだからこれまでとはがらりと違った雰囲気にすることにした。
普段は前髪ぱっつんボブが基本。
今回は前髪はこのまま横に流して(これは私の要望)、セミロング全体にぐりぐりパーマ(これは美容師さん発)をかけるのはどうか、というところから始まり、更にアイデアを出し合って、前髪にはぐりぐりパーマとは異なるタイプのパーマをかけることに。ついでに夏に面白がって右側にだけ施したツーブロックの名残にも内巻きパーマを。
ぐりぐりパーマなんて言うから私ブラジル人にでもなっちゃうの?(おおざっぱなイメージから来る偏見です。ごめんなさい)と期待と不安の割合がぐりぐり、ではなくぐらぐら揺れ動き続けたが、結果。さすが美容師さん。私を分かってらっしゃる。
ぐりぐりといってもきついパーマではなく、かといってふんわりでもなく、ゆるくもなく。
ぱっと見た感じはわりと無難なのに、何だかどこかおかしな部分があったりする、愉快な髪型になった。
日常的にはなすがままにさせておいて、いざという時にはきちんとスタイリングすれば公の場にも対応可能。素晴らしきかな、この汎用性。
春になったらまたいつもの前髪ぱっつんボブにするかもしれないけど、それまではこの髪型を色々いじってみるつもり。
最大の見どころはツーブロック跡をくるんくるんにしているあたりなんだけど、耳にかけないとまったく見えないのがもどかしい。でも耳を出すと寒い。おしゃれは我慢とはこういうことなのねと、これまた久しぶりにそんな言葉を思い出させてもらった。
まあ、おかげでまたピアスを選ぶ楽しみができたとも言えるし、すべてがこれで良しである。

170106 0014
一言


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ひとつ前の記事で広告について思うところを書いたが、ちょっと誤解されかねない文章になってしまったので補足。
ナノさん自社広告があること、あるべきであることは大切です。それがどんな状況でもはっきりと見えることは、もっと大切ではないでしょうか。
端的に言えば、そういうこと。
あと、二段がまえの広告が画面の三分の二を占めていることがある、とは我ながら言い過ぎだった。三分の一ぐらいだな。
我が備忘録、以上。

170104 1800
一言


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我がサイトへの復活を果たすと同時に他サイト様へお邪魔する機会もまた増えたのだが(弁解をさせて頂きますと自サイトが動いていない時でもお伺いしておりました。こっそりひっそりと)改めて思う。ナノさんの広告、どんどん大きくなっていくなあと。
言論の自由は侵されないはずなので、以下、あえて書いてしまおう。
ナノさんに広告が導入されたのはいつの頃だったか。最初はキーワード風の広告、やがてバナー広告に、更に今はダブルバナーとでも言うのだろうか、画面全体の三分の二を占める二段構えの広告もランダムで入るようになったと見える。また、時間帯によっては年齢を選ぶ内容のものもかなり増えた。
キーワード風の広告だったころが最早なつかしい。あれはあれで面白かった。3つのキーワードの組み合わせが絶妙だったりするとついついテキスト保存をしてしまったほどだ。それは今でもスマホの奥で眠ったまま。友情 | 平凡 | 不良、とか。ヤンデレ | 長編 | コメディ、とか(せっかくなので揺り起こしてきた。ヤンデレ長編コメディ、気になる。読みたい)。
企業を運営していくためにも広告収入は侮れないのだろう。私自身はほとんど広告をクリックしたことがないが、全体的に一定の利益を獲得できるからこそ広告の規模も拡大してきたのに違いない。あるいは、予想ほどには儲けにつながらなかったのでひたすらに手を打ち続けている可能性もある。
だから、広告があることに関して私は異論はない。納得した上で現状のナノさんのお世話になっている。
が、肝心のナノさんの広告が非常に見えづらくなってしまっているのは如何なものだろうか。
バナー広告の下に控えめに置かれた自社リンク。本当は、これこそが最も大切な広告なのであるはずなのに、バナー広告に遮られて良く見えない。ちゃんと言うと、バナー広告のあたりまで来たらブラウザバックすることが多いのでナノさん自社リンクまで見る機会がほとんどない。
このサイト様はナノさんをお使いなのかな?と知りたくなった時はURLを見れば済む。真上のバーが結局いちばん見やすいのだから仕方がない。
こうした状況で、恐らくナノさん自社広告のリンク色が淡すぎるからという理由で多くのサイト様がブロック状態になってしまっているのが残念でならない。もちろん、規約違反は良くないことではあるし、それ以外の原因でブロックになることもあるのだろうけれど、何にせよ自社広告がどんどん見えにくくなる仕様を改善しないまま自社広告に関するルールだけは妙に明確(色とか改行数とか)というところに、曖昧ながらも矛盾を感じるのである。だって広告を上部にでも置かない限り、たとえデフォルトの色と位置を変えずにいても、ナノさんの自社広告ってほとんど目に入らないんだもの。
強調しておくが、バナー広告をなくしてくださいと言いたいのではない。ナノさん自社広告を邪魔しないバナー広告のあり方を模索しなければどんなに広告関係を理由に様々なサイトにブロックを掛けてもあまり意味がないのでは?ということ。現にナノさんから離れていくサイト様も多く見かける。その原因は何だと思いますか?ということ。
私はナノさんに愛着もあるので今後もここを使い続けるつもりでいる。だからこそ、様々な意味で重要な役割を担う広告関係はもっと真剣に扱って、既存ユーザーの声も少しは取り入れる姿勢を見せて頂けたらな、と。いっそポーズでも構わないので。有料会員になれば良い、とか仰らないで。はてしなく儚い希望と単なる机上の空論だとは痛いほど承知しているともさ。
(何ならバナー広告の上にナノさん自社広告を置けば良いのでは。そうすればいずれ実装されてしまうかもしれない追尾型バナーを回避できるのでは……と、ごにょごにょもくろんでいたりしません。ええ。まったく。これっぽっちも)

170104 0111
一言


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窓ごしにうららかな陽気を受け取りながら初あみもので時を忘れた午後であった。ところで何かにつけて初なになにとする習慣は万国共通なのだろうか。はてさて。

かのこ編みをくりかえしている間に思ったこと。
手帳もそれぞれ役目が決まりつつある。今年のこりわずか363日ぐらいをひたすら気が済むまで、あるいは飽きるまで好き勝手に書き留めていくなんてわくわくするしかない。
けれど、「この手帳、どう使おう」と白紙のページを眺めつつあれこれ悩む時の楽しさには、ほんのちょっとだけ勝らないのではないか。
手帳だけじゃない。編みものも、刺繍も、本も、映画も、何かを書くことも、大抵のことに当てはまりそう。
「花の柄だったら何色がいいかな、思いきって青にしてみようか」とか「すごい題名だ、何が起こるんだろう」とか「あれも書きたいしこれも書きたいし、ただ書きたいだけでオチなんか予想もつかないけどもうとりあえず書き始めてしまえ」とか。
あるていど型みたいなものが決まってしまうと、それを変えるのに妙に勇気が要ったりするから、というのもあるだろう。本などは「期待したよりも……」などという一定の基準に沿った評価もそれなりに出てしまうから尚更だ。
でも、昔はそれほど面白いと思わなかった本が、数年後にふと読み返してみたら無性に大切な一冊になってしまったりもする。
難しいことだけど、ひとつでも多くのものごとにチャンスを与えていくことが大切なのだろう。もちろん、自分自身も含めて。もっと正確に言うと、自分にさえ次の機会を許し続けていれば何だってあざやかにゼロに戻っていく。きっと。

そんな理屈を言い訳に、ここは表目ですよというところをあえて裏目に編んでみて後で乾いた笑いをもらす。
それなのに歩みは遅いながらもかろうじて上達はするし、何よりあまのじゃくもひっくるめて嫌にならないのだから、まったく世の中、わからないもの。

170103 0020
一言


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