一言なのに長いのだから作文はなおさらだらだら、
そのてん手しごと感想お知らせはだいぶん短め。


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CDプレーヤーによる音楽へと順調に身をゆだねる日々。メインに使うはUSB。
いえいえ、CDも聴きましたとも。もちろん。通しで流した「エリザベート」はやはり素晴らしかった。
ところで、USBに入れた音楽をシャッフルに切り替えるのだが、一曲目だけはその操作に間にあわない。そうした仕様らしい。仕様がないことである。
よって、ほぼ毎日、その一曲目を確実に聴くことになる。
「コシシケレリ・アフリカ」。南アフリカ共和国の一部では国歌ともされている賛美歌。
かつて高校でこの歌をならった思い出をよすがとしてUSBに入れたのだ。それがよもや一曲目に来るとも知らずに。
力強くも美しいこの曲をまれに口ずさみつつ南アフリカの国々に対する表敬とともにパンと紅茶を用意する、純日本婦人の毎朝。

170502 1825
一言


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毎月、一度だけパン屋さんPAULで買いものすることを己に許している。だってお高いでしょう?
そして、おととい、生まれてはじめてパンに一目惚れ。



ラパン・ダブリル。
四月のうさぎ。
ポワッソンならぬラパン。かわいい。
何を迷うことがありましょうか。もちろんお持ち帰りして、朝食においしく頂きましたとも。
見た目もさることながら、味もお見事。その両立っぷりはまさに美しき職人魂と言えよう。

ただ、こうも可愛いパンの困るところは、やはりどこからどうやって食べるか。
ちょっと悩んだ挙げ句、ああしてこうして、そんな風にして、皿をからに。
なんと罪深い満足。

170430 2323
一言


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我が借り宿の庭にてのびのびと伸びきっていた草を一掃とばかりに刈りつくしたのは、昨年の秋なかば。いつの間にやら飛んできた種から生まれ育ったのであろう、いまだ低木だった桜をものこぎりで仕方なしに手折った。
今、また草が伸び放題である。
さすがに桜は沈黙したままだが、春爛漫といった頃あいには、本当ならばはじめて咲きほこったかもしれないのにと少しばかり胸が傷んだ。
私が住んでいるところは藤の名所として有名なので、特にゴールデンウイークに差しかかるこの時期は観光客が列をつくる。駅から藤の古木へと、そして千年藤から駅へと。その道ゆきだけが、何か見るべきものの唯一であるかの様に。
実際には道中にも野生の藤は何本もあるし、駅前にも藤棚とベンチがあっていざ座ってみればなかなか居心地が良い。
けれど、千年の古から生きつづける藤のほうが、やはり人の興味を惹きつけるものなのだろう。それも悪いことでは決してない。
同じ草花なのに特に美しさがないというだけで雑草あつかいになるのも、それがまさに自然なのかもしれない。
だってあなたがたの存在意義を都合よく決めようとするそもそもの人間たちこそ、ありのままで良いとか代わりのない唯一無二のわたしとか言ってみたって所詮はとんだ幻想なのだ、強くて優れて秀でていてどの場でもそれなりに必要とされなければ社会的に淘汰も黙殺もされるものなのだから。
だから、ごめんなさい。
無言の言い訳をしながら、ぱらぱらと除草剤をまきちらした。白い粒。緑の葉。そのあとの雨と、うるおう大地。洗濯のときに突っかける靴の、汚れた水色。何かのおまけで頂いた紺のクロッグサンダルをしまいこんだままだな、ともう何度目かもわからない思い起こしで頭の中を撹拌させる。プラスチックの容器を片手に、朦朧と。

170430 0035
一言


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理解できないと思うことのほぼ九割は、理解しなくて良いことなのだ。
それでもなお理解できないことにこだわるのならば、それは実のところ悲しみという感情なのだろうと思う。

170418 0102
一言


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なつかしいことに大学においては私も第二外国語としてフランス語を選択していたのだけれど、「無音のアッシュ」なる用法名の濃厚な十四歳風味に打ち震えた瞬間はつい昨日の出来事のように鮮烈に思い出せる。

170416 1803
一言


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