一言なのに長いのだから作文はなおさらだらだら、
そのてん手しごと感想お知らせはだいぶん短め。


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Twitterをしばらくやってみて、うっすら結論。
私はやっぱりサイトが好きだな。
実はというほどのことでもないけれど、数年前からアカウントは持っていた。
(現在、使用しているのは新しいアカウント)
で、当時、サイトでつながりのあった方と相互フォロー状態になったのだけれど、その方の「Twitterはコミュニケーションツールだから色々な人と関わらなきゃダメ、作品を積極的に公開しなければルール違反」という断固たる主張と相いれなかったという歴史がある。
最終的には空リプで苦言を呈されたかな?というところまで行ってしまったので、その時は適当にリムーブと鍵をかけて中途半端に撤退し、今回の新規復活まで沈黙の数年間を貫いたのであった。
私はその時も今もTwitterをコミュニケーションツールだとは思っていない。
私にとってTwitterはあくまでひたすら壁打ちをぶつぶつと楽しむ場である。まさしく呟き。
ならサイトオンリーでいいのでは、とも思うけど、TwitterにはTwitterの面白さがあるのも確か。
創作のヒントや適度な刺激もうまくやれば見つけやすいことに気づいた。創作の下敷きとして機能している感覚がある。
ただ不満なのは、今や誰も「なう」って言わないのね……言いたくなったら言うけども何故かその好機がめぐってこない。なう……もうナウくないのか……。

180724 2231
一言


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けっこう印象的なとある思い出の話。
友人が子どもを産んだ途端、「人が死んだり殺し合ったりする本、マンガ、ゲーム、映画は規制ないし自粛してほしい」と言い出した。
彼女はそういった本もマンガもゲームも映画も好きで、そもそもそれらの趣味を通じて友人になった口だったので、
「でも私たちも十代の頃とかは大人に散々そう言われて来たじゃない?残酷なのはダメとか色々。何なら今でもあまり良い目では見られないし。でも別に小学生からそういうのを堪能してきても特に悪影響を受けてはいないと思わない?」
とやんわり返したら、
「でももう時代が違うんだよ。今の子は私たちの頃みたいのとは違うんだよ」
と熱弁を奮うので、うーんと考えてまた問うてみた。
「今の子と私達が違うって、ネット環境のこと?」
「それももちろんあるけど、それ以前に感覚が違う」
「感覚って?」
「善悪の区別を情報で付けてる」
「(じゃあやっぱりネット環境の話じゃ……)私達の頃は付け焼き刃の知識量で善悪を推し量ったり上下関係を構築したりしてた気がするけど、それとあまり変わらないのでは?」
「だからさ、そういう知識量が半端ない訳よ。たっぷりの情報と知識だけで感覚を養ってるんだよ。そういう時代や個人的に多感な時期に下手な本とかゲームに触れて欲しくないわけね。恐ろしいくらい感化されやすいんだもの。ゲームも感情移入しやすい作りに走ってるから余計NG。ゲーム脳って騒がれるのも分かるわ。完全隔離したくてもどこかに必ず突破口を見つけ出すし、もう子育てを台無しにされた気分。親の努力を何だと思ってんの」
「(うわーお)……えーと、これは産まなきゃ分からないって話?」
「そうだね、産んでないから分からないんでしょ」
こりゃ遠からずこの友人とは疎遠になるな、と思ったらかなり早期にまったく連絡を取らなくなった。
確かに彼女の言うことも一理あるのだろう。データと情報と知識に埋もれて息苦しい思いをしている子どもも実際にいるだろうし、そこから何とか手を伸ばして知性を掴むのは困難なことだと思う。
でもやっぱり私達が子どもだった頃と、根っこのところでは変わっていないんじゃないかなあ。環境は確実に激変したけれど人間の本質そのものが十年二十年で変わるとはちょっと認めがたい。
ということを話題にしたくてももう何だか水掛け論だし相手も面倒そうな顔をしていたので、あえて「産まなきゃ分からない話だよね」と安直な嫌味を毒針のようにちくっと飛ばして終わらせようとした私。昔は相手の言うことに賛同できなくても大体は肯定的な姿勢で納めていたので、変わったとまでは行かなくてもほんのちょっと自分に何かを許せるようになったのではないかな、と判定している。そういうことができるようになったのも、これまで様々に見聞き読みふれた沢山のことやもののおかげに違いない。外からの複雑な刺激がなかったら、と思うと恐ろしい。
こうした動き、すなわち男女かかわらず子どもを持つようになって一気に守りに入ったり、私がそれにうまくついていけなかったりで、年ごとに友達が減っている。でもそれでいいや。いつかこの自由の代償は来るだろうけど、支払いましょう。潔く。そしてその時みっともないことにならないよう、今から意識しておこう。

180719 2258
一言


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ニーナさんは人間のおやつも食べたがるので困ったものです。まさに弱肉強食。
そしてニーナさんは士気が上がったり喜び極まると未だに背中に飛びついてくる。
ニーナさんトイレのそうじ中とかなら屈んでいるからまだ良いとして、立っている時にやられるとなかなか本気で阿鼻叫喚。特にキャミやタンクやTシャツ一枚の時だったりすると爪が繊維を通過して素肌に食い込むという愛憎に満ちた数秒間が永遠のように流れていく。シャワーでしみる。痛い。
そんな現実を、最近になってようやく届いた甚平で表してみよう。

「これ脱がせ方どうなってんだ?」
「こことここの紐を解くだけ。てかお前の着方、雑だなあ」
「うるせーよ。次に着る時は着つけから教えろ」
「教えるほどのものでも……ん?」
「ん?」
「……あー、いや……背中に傷、ついてるなって。無意識でやっちゃったんだな。……ごめん、次からは気をつける」
「いや、それ猫」
「は?」
「猫が風呂あがりに飛びついてきただけ。いやもう、いったいわー」
「……」
「ふーん、へえー、無意識になるほどねー、なーるーほーどーねー?」
「甚平もまともに着られない奴に言われたくない!もう帰って猫と風呂でも入ってろよ!痛い思いしてろ!」
「こっちの猫ちゃんと気持ちいい思いの方がいいよなあー」
「離せよ!てかまず甚平ちゃんと脱げ!」

百万人ぐらい書いてそうなベタなネタ。
私の場合だと、たぶん猫飼いさんが受け。BL難しい。


追記:「甚平ちゃんと脱げ」って猫の名前が「甚平ちゃん」みたい。

180718 2207
一言、我が愛しの猫ニーナと即興作文未満。


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ナツイチを一冊おまねきして、めでたく猫さんしおりもようこそ我が根城へ。



(画像がついったーの使いまわしとかそんなことはあります)
ゲームの「デトロイト」が面白すぎてあまり読書をできていないけど、夏はまだこれからだと信じ本を積む。本を読むのと同じくらいに買うのも好きだから困ったもの。
そして各社の夏キャンペーンの名称が頭の中でこんがらがってきたのでここに整理しておく。
カドフェスが角川書店で、夏の100冊が新潮社で、ナツイチは集英社。集英社。
そう。この「ナツイチは集英社」がなかなか憶えられず、「講談社だっけ?」と首をひねった。集英社です。集英社さん。
ついでに私が何となく好きな出版社は河出書房新社、筑摩書房、岩波書店、文藝春秋。よく読む出版社とはまた別なのが自分でもちょっと不思議なところ。装丁や背表紙に惹かれる部分が大きいのは確かだと思う。この三社もキャンペーンなどを開催してほしいな。でも夏より秋冬のイメージかも。
ちょっとお高いお値段でも手にとった時の感覚が素敵ならばきっときっと買いますので、出版社の皆々様のご尽力によって今後ともリアル書店で巡り会える紙の本の末永くあらんことを、どうかよろしくお願い致します。

180717 2158
一言


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そうそう、猫のニーナさんはですね、投薬の必要があるのか疑問なほどお元気でおいでです。
薬の飲ませ方を動画で閲覧したところ、かかりつけのお医者さんと同じ方法だった。お医者さん、手際がよすぎてさっぱりわからんかったのです。
ニーナさんには頬をがしっと掴んで上を向かせて薬を落下方式でお飲み頂いております。名づけてラ・グラビティーミュ・メディスーニャ。
口の横から、というのは子猫のころに粉薬をシリンジ(注射器みたいなあれ)で飲ませる時に言われたなあ。
いろんな方法がありますのね。とりあえずニーナさんは、服薬後のごほうびが楽しみすぎて自分から薬の袋を持ってくる始末。変な旨味をおぼえないよう気をつけねば。
ついでにアビスのジェイドは我が萌えの双頭の一つ。もう一つはティエリア。頭と顔は良い(メガネ付き)のに性格わるそうなキャラに萌える傾向にあります。最近そのあたりの萌えに飢えているのでニーナさんの貪欲を何だか責められない。末期。

180716 2302
一言、我が愛しの猫ニーナ。


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