一言なのに長いのだから作文はなおさらだらだら、
そのてん手しごと感想お知らせはだいぶん短め。


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デトロイトデトロイトしているうちに九月におなりです。皆さん、台風前夜、ごきげんよう。いとです。
あっ、シロさんシロさん!ミク誕のポエムについてのお言葉、ありがとうございました。うふふ。嬉しいです。うふふふ。
追記:サイトの方向?…………あっ、はい、すみませんやらかしてます!ありがとうございます!

文体はもう少し敬体で参ります。何となく。

さて、九月といえば大きな悩みがありますね。
手帳。そう、手帳でございます。
主にほぼ日手帳。
万年筆(サファリがメイン)との相性を考えるとブランドとしてはほぼ日で固定なのですが、カバーが迷いどころです。
更に、今年はあまり書いていないのですよ。こいつはぁ参った。
デトロイトデトロイトしていたら手帳に書く時間も持っていかれたのです。デトロイトめ!
しかしながら、手帳や日記なしの生活というのも考えがたく。
なのに年末に文ストのBlu-ray(予約ずみ)とドラクエビルダーズ2の発売がぶつかるなんて!
この世に神などいません!私はカトリック教徒ですが年末年始は神などいません!
仮にデトロイト熱が年末には多少落ち着いて、小説書きのペースもダウンしたら、たまった既読本の感想をまとめることになりましょう。今年のほぼ日手帳に。
それとも、未読本を消化すべきなのか否か。
その時の体調や状況にもよりますし、決められることは少ないものです。
更に伏兵として「さよならの朝に約束の花をかざろう」のBlu-rayも気になって気になって仕方のうございます。
映画館で観たかったのですが時期が悪く逃してしまったのです。
こういうことがあるからこそ、自分との約束ごとを確立し、硬く守りたいものですね。
一期一会でないものは追わないとか。長すぎるタイトルは追わないとか。
(「さよならの朝に約束の花をかざろう」とか未だに憶えられず「さよなら 約束」で検索する有り様)
とりあえず確定事項は、ドラクエビルダーズ2のみ、でしょうか。文ストBlu-rayはまだまだ予約取り消しは可能です。取り消すつもりはありませんが、可能です。
手帳……どうしましょうね……カゴに入れて保留にしておく以外に術がありましょうか……。
作文のためのメモとしても使いたいのですが、使いこなせていない今年の手帳をメモ帳として使えばいいとも思いますし、でもやっぱりちゃんと2019年の手帳はそれはそれでほしいという無限ループ。
富豪になればすべて解決しそうです。
世の中、お金です。綺麗事じゃないんです。
ワールドイズマインってそういうことです。
では、ほぼ日サイトを改めて漁ってきます。

180903 2050
一言


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訃報が好きという人はあまりいないことでしょう。
私も積極的に求めてはいませんが、ネット上で見知った訃報記事などをフォルダらしきところに納めています。
不謹慎に思えたらごめんなさい。
フォルダ名は「ntf」、not to forgetの略です。
死去の知らせは、近しい人でもそうでない人でも、それ自体が何かを遺していきます。
下衆を承知で言いますが、喜んでしまった死も一つ二つあります。
これはそこそこ身近な死でした。そして喜んだ自分への失望の方が、その人の死への感情よりもよほど強く、ようやく悲しむことができました。
もちろん、自分のために悲しんだのです。
そうした場合も含め、それなりの時間を生きていると、どうしても死にふれることが多くなります。
訃報で一番つらいことは、時間差だと私は感じています。
実は一週間前に亡くなっていたけれど、故人の遺志で告知を遅らせた、という話は多く聞きます。
昨夜死去、でも滅入ることがあるのに、一週間や一ヶ月は何だか言葉になりません。
その日、自分は何も知らないで笑ってだらだら過ごしていたのです。
今この時もそれは起きています。
世界のどこかで誰かが死んで、私はのんびり生きている。
だからといって毎日そうした感傷の中で過ごす訳にもいきませんし、できません。
通勤時間帯の電車を止める自殺者に関する賛否は永遠に決着がつかないでしょう。
死というものとの距離感や関係性や経験値は、一人ひとり違うのですから、同じ視点を持てなくて当たり前なのです。
さすがにそうした記事は留めませんが、私は私の視点に何か絶大な違和感を持っているので、一時的にでもそれを弔うためにあのファイルに訃報記事を納めているのだと、自分で自分にそう言い聞かせています。
弔いのためなのに「忘れぬために」は、恐らく矛盾しています。その時点で、違和感は始まっています。
私自身が死ぬ前に終わらせたいものです。

180827 2228
一言


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そもそも種明かしということがあまり好きではないのですよ。打ち上げ花火の音がやかましい週末、ごきげんよう、いとです。
デトロイトの特集が載るということで久しぶりにファミ通を買ったのですよ。
(最近デトロイトの話ばかりしてない?と聞かれたら仰る通りでと自分の頭横をぺしりと行きます)
が、すでに読んだ方々が「あれ読むと色々参考になる」とか「ああ、あれそういうことだったのか」とか「謎が一部とけた」とかネタバレに配慮しつつTwitterなどで呟いてらっしゃっていて、しまったなあとちょっと手をつけるまで時間がかかりました。
私は妄想が好きなので、特に公式の種明かしはあまり好まないのです。
ゲームでもマンガでも小説でも映画でも歌詞でも何でも大抵のことは、
「これってどういうこと?こういうこと?いや違うかな。どうなんだろう?理屈で考えるのも楽しいし直感的なところに何か触れるのもいいなあ」
と満喫する性質ゆえ、公式が、「これはこれに由来し、それはあれのメタファです」と言明してしまうと、もったいないと思ってしまうのです。
もうちょっと強く言うと、そういうことは作品で語れともの申したくなるのです。「ATフィールドは心の壁だ」とか、カヲル君が作中で言うからいいんです。庵野氏がインタビューで「ATフィールドはabsolute terrorで(中略)つまり傷つきやすい少年たちの心の壁です、このメタファは早い段階でヤマアラシのジレンマとしても描写しており」とか言い出したら台無しです(適当に書いたけど何か実際に語ってそう)。
いわゆる公式厨な輩も苦手ですし(逆カプレベルで争いをしか生まないから)「テレビでこう言ってたから」と物知り顔をする人は更に相容れません。
公式見解の前に何か感想やら空想やらはないのかな、と常に不思議でなりません。
という私のような幼い人間は、なら公式は作品のみ、それ以外は一切雑音と割り切って作品と自分の物思いの中に閉じこもっているのが最善なのでしょう。
ですが、やっぱり気になるんですよ。
好奇心とは罪悪ですよ。そりゃあニーナさんの寿命をも縮めかねないですよ。
というか、文スト映画は喜び勇んでパンフレットを購入し(常に思うことですが映画のパンフって高過ぎやしませんか)ねっとり熟読したじゃん……あれ面白かったじゃん……色々ヒントあって熱かったじゃん……と恥じ入り、しずしずとファミ通を開きました。この間、約一時間。
結論としては、それほど困ることにはなりませんでした。
いえね、二次創作小説なんかを始めてしまったものだから、公式があまり派手なネタバレをやらかすと面倒なことになるかなという危惧もあったのです。
知ってしまうと公式を無視しすぎるのは何だか申し訳ないし、かといって縛られすぎてもつまらないですし。
そのへんは「二次創作はファンタジーなので!そもそも男同士であれこれさせている時点でもうファンタジーさまさまなので!よろしく!」で自由にやっていいんだなと、むしろ納得しました。
(デトロイトを制作したチームのインタビューによれば、「日本人のファンアートの多様性はまさにデトロイトが試みた分岐によるドラマの多様性と素晴らしくマッチングしている」だそうです。あくまで大意)
結局のところ、私が一番いやだったのは、好きなことを好きなようにやっている人間を「もの知らず」と指差して叩いたり裁いたりする一部の連中だった訳です。
そういうものに捕らわれているとまさしく思うツボ、それこそつまらないな、と今更ぼんやり割り切れました。
というわけでファミ通の数ページに感謝しつつ、これからも好き勝手にしていく所存です。人生あそびごころ大切よね、と主張していきます。
それにしても特集の最後のページに載っていたシナリオライターのデヴィッド・ケイジ氏が私ごのみのおじさまで胸がきゅんきゅん状態です。顔もとても素敵ですが、服の皺が、服の皺がすごく格好いいってどういうことですか……!?何かこうですね、おなかの下あたりから皺が寄っていてですね、両腕も袖をまくっていたから下ろしたらしわしわだと思うんですがそんなの見たらしばらく瞬きもできやしません。いかにも「ん?いまデスクで仕事中なんだけどインタビュー?立って写真一枚?ウイウイ〜ダコ〜(デトロイトを制作した会社はフランスのクアンティックドリーム)」って感じがパリジャン……!あなたがゲームに出ようよ……!というくらい本当に素敵でした。
服の皺萌えという自分の属性の再発見にすべて持っていかれた、ファミ通のデトロイト特集でありました。今後の二次創作に活かしたいですね、服の皺の描写(いと的公式見解)。

180825 2116
一言


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試験的な文体だったはずの敬体が癖になっている今日このごろです。ごきげんよう。いとです。
何となく、最近これまたはまっている作文(二次創作小説)についてちょっと語ります。
小説を書く前段階から公開後までの流れは、大体、以下の通りです。
妄想し、スマホのテキストに書き始め(パソコンを開くのがだるいのとauアンドロイドでは実質無料の変換ソフトのATOKを愛用しているから)、時間の許す限り書き、食事や最低限の用事以外はひたすら書き続け、書き上げ(五千字から七千字ぐらいだと約半日強)、読み返して推敲し、書き足し、校正っぽいことをし、完成とみなし、我がホームでありますところのこのサイトの管理画面にコピペし、タイトルの段で予想外の時間を取られ、アップし、前書きなどを書き、pixivに移動して管理画面にコピペし、タイトルでまた迷い(大体サイトと同じですが時々変えることも)、表紙やらタグを選び、キャプションを書き、思い切ってアップし、Twitterに移動して書きましたよのツイートを書いてリンクを張りプロフィールに固定表示し、二から五ほど作品に関する壁打ちツイートを残し、次回の予定を何気なく呟き、一人反省会を開催し、次の小説の妄想を始める。
毎回ほぼこの繰り返しです。
色々と効率がよろしくないのは承知していますが、最大の敵はタイトルです。タイトルであります。
皆さん、どうやってタイトルつけてんの……?と聞いてまわりたいくらい毎回毎回タイトルで苦悶します。
何かこう、ぼやっとしたキーワードとかポイントにしたつもりの単語を使ってひねり出せそうで出てきません。
英語にしようかなと思いつつ、何となく日本語にしたいこだわりが邪魔をしてもいます。
(デトロイトとか、むしろ英語の方がしっくり来る気がするのですが、本当にこだわりというものは厄介です)
思えば、このサイトの長文コンテンツも、本文よりタイトルの方に時間をかけることがしばしばありました。
タイトルを考えること自体は楽しいのですが、あまりにも浮かばないと「無題じゃダメですか」「いっそ『無題』で」という気分にもなります。
(前回の小説は企画に提出するものだったので殊更そういう訳にも行かず、大変な難産でした。結果、全くデトロイトっぽくないタイトルになった上、意図としてはとてもお下品だったりします。原作はさておき、小説の内容にはぴったりではないかと自負すらしています。悩んだ甲斐がありました)
タイトルの落とし穴と、他に色々なことを整理すれば、もっと早く、しかも手際よくできる気はうっすらしています。
でも多分、この手順を続けることでしょう。私のことですから。
そんなこんなで、二次創作小説を書きはじめて大体二ヶ月。
pixivである小説の閲覧数が千を超えました。
まあ、閲覧数ですし、開いてすぐ閉じてもワンカウントですし、数は問題じゃないですし、嬉しいです。ありがとうございます。
いいねやブクマ、コメントも頂く度に震えております。
ただ、身体以上に流行は正直ですね。ああいう場で公開すると、人気のあるCPほど短時間で一気に評価が頂ける点、とても分かりやすいです。
評価は気にしないと言いながらやはりモチベーションには繋がりますから、どうせ書くなら流行で、と思わないこともないのです。
今の私のメインジャンルは「ライフイズストレンジ」と「デトロイト」ですが、「ライフイズ〜」は元々二次創作の、しかも小説の分野では少数だったのが、今や息をしていません。いずれ日本に来るはずの「ライフイズストレンジ2」での再燃を待ちましょうといった状態です。
「デトロイト」は今、結構メインストリームですし私も書きたいネタはいくつもあるので良いタイミングに当たりました。
ただ、メインCPはまだ定まっていません。そしてpixivでそこそこ評価して頂いているCP話と、Twitterでシェアやご紹介頂けるCP話が違うというのも面白いです。
(分かる方がいらっしゃると想定してご説明すると、pixivではハンコナがやはり多くブクマなどを頂き、Twitterでのシェアやご紹介、リツイートなどはカルマカが多めです)
どの小説も私という書き手が注ぐ熱量は同じ、それを受けて第三者たる読み手の方々がどう分散して行くか、その違いを見つめることは、とても重要な資料になると思います。単純なCP萌えや流行、メジャー、マイナーだけではなく、何か他の要素がそこにあるかもしれませんからね。
どちらにしろ、定期的に読み返して客観性を磨きたいところです。
私が最も苦痛とするこの「読み返し」のおかげもあって、流石にこの二ヶ月で少しは上達している、と思いたいです。
実はですね。
本日ですね。
「前回の作品(企画に出した小説)、えっちでよかったです」という有り難いご感想を頂きましてですね。
思わず聞き返しました。
「えっ、えっちでしたか!?」と。
「えっちでしたから堂々となさってください」とトドメを刺されました。
自分の中ではR13〜14のつもりで書いたので、それはもう嬉しいお言葉でした。
ついに「あなたの話はえろい」(一部意訳)と言って頂けるところまで来れたのかと涙が出そうです。
「この変態!」と罵られるのがご褒美という方の気持ちが少しだけ分かった気がしなくもありません。
ところで二次創作小説だとR指定のつけどころが難しいですね。私の感覚では、挿入していたらR18、前戯的な行為があったらR16、台詞の中で長めの性的な喘ぎ声があったらR15かな、と、大変うすぼんやりしています。pixivではR指定をつけたことがありませんが、選択肢のR18-Gは相当アレなんだろうな……うん……あのへんかあ……とR表記の重要さを思い知らされます。来るべき時のためにガイドラインも確認しておかなければなりませんね。pixivも規制が厳しくなってきていると聞きますし。もちろん、ナノも。
尚、一人反省会では「ディテールを前半に詰めこみすぎ」「後半息切れしすぎ」「使うべきところで頭使わなすぎ」が常に筆頭に来ます。
時々、「後半息切れ」を解消すべく二日に分けて書く手段も取りますが、睡眠を挟むと話の展開をがらりと変えたくなったり書きたかった描写を忘れたりするから厄介です。
明日は書き殴りますぞ!と意気込んで前日に早寝をすることこそ最善と最近になって身に染みました。
あと、書くのが楽しい時期だから書いていていいと思いますが、読む方が明らかに疎かになっているのは頂けません。なるべく両立したいものです。
といったところで、文庫片手に寝る準備に入ります。おやすみなさいませ。良い夢を。

180824 2311
一言


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眠いです。今夜も眠いです。きっと台風のせいですとアルベルト・カミュが申しております。ごきげんよう、いとです。
いつだか途中で流した「小学四年生まで夏休みの読書感想文を書かせてもらえなかった話」をしてみちゃいましょうか。眠さテンションに乗って。
私の母親は他界しておりますが、この母がなかなか変わった気風の方でした。
亡くなってから色々な母の秘密を知り、ようやく納得もしました。
簡単に言うと母は病的な何かでした。
病的に病を嫌い、失敗を憎みました。だから私は失敗はもちろん、風邪を引いたり偏頭痛の発作を起こす度に罵倒されました。
そして仏壇の前に連れて行かれました。母はある新興宗教の熱心な信者だったのです。
胃液まで吐こうが何だろうが一時間ちかくお経を唱えなければならず、四十度の熱があっても母は他の家族をつれて総本山ツアーに行ってしまう。そういう人でした。
そんな母ですが外では妙にカリスマ性があったらしく、一部では大した人気者だったようです。
信者の勧誘の成功率も高かったと聞いています。
だから母の子である私は、彼女の良き作品でなければなりませんでした。
家でも、宗教の集まりでも、学校でも。
しかし、不幸なことに私は出来の良い子ではなかったのです。
なら溺愛している出来の良い兄を作品にすればいいのに、母は兄を敬愛するあまり、兄を子として扱わず、むしろ師として仰いでいた感があります。或いは、既に完成品としてガラスケースに大事にしまっていたのかもしれません。
ちょっと話が逸れましたが、そんな調子だったので、母は私を尚更に厳しくしつけました。
が、もともとがアレな上に気性もアレな私は好きなことばかりしていました。三つ子の魂百までを体現していました。
本を読み、マンガを書き、空想にふけり、幼いながらに人生を謳歌していました。
だから好きなことに関連することは、学校でもそこそこの評価を頂いていました。
その筆頭が国語でした。配布された教科書はその日のうちに、道徳や社会も次の日には読み終えていました。かわりに、算数は手をつけるのも嫌でした。
そんな経緯もあって、小学一年の一学期から授業中に書いた作文などはいつの間にかコンクールに回され賞を頂戴していたりしました。
で、夏休みです。読書感想文の宿題が出ました。
とりあえず本を読めるのが嬉しく、指定図書の中から面白そうな一冊を選んですぐにのめり込み、三度ほど繰り返して読みました。内容は今では忘れてしまいましたが、それぐらい楽しい本だったのです。
さて、いよいよ感想文の出番です。感想文そのものは、一学期の授業で教科書の文章を読んで感じたことを書く、ということを既に経験していたので、「夏休みの宿題」として新鮮ではありましたが、特に緊張もせず、思ったことをそのままにのびのびと書きました。
しかし、それが母の検閲に引っ掛かりました。
母は数日を費やして私が読んだ本を読み、私の作文をまた読んで、これは駄目だと宣いました。
「ここはこう思うはずでしょ?」「こう思わないのはなんでなの?」「普通はこう思うのよ、どうして普通の考え方ができないの?」「こんなふうに思うのはおかしい、間違ってる、許さない、許されない」
と一つずつ指摘されつつ叱られ、「でも感想文は私が思ったことを書くものだし、私はそう思うから」と譲らないでいると、最後には「もういい。お母さんが正しいことを書いてあげるからそれをそのまま出しなさい」と鉛筆を取りました。私が書いた感想文はすべて消しゴムをかけるよう言い渡されました。
夏休み開け、感想文を提出したとき、恐らく担任教師は「これは本人が書いたものではない」と気づいたはずです。
字の癖も文体も大人のものなのですから、当たり前です。
しかし、教師はそれを市の読書感想文コンクールに回し、金賞を射止めました。
教師は恐らく、母のことを知っていたのだと思います。ある意味では有名だったからです。
金賞の賞状を持って帰った時の母の顔は、見慣れた「ほら、私は素晴らしいのよ」という自信に満ちたものでした。宗教の集まりで「金賞で表彰されたそうね」という大人の声も、私ではなく母に向けられていました。「さすがにあなたの子だけある」という声が必ず続き、私は蚊帳の外から黙ってそれを見ていました。
母は、今で言う承認欲求の塊でもあったのです。
私を通して小学校レベルの賞を得ることすら誇りだったのです。
逆に言うと、そこまでレベルを落とさないと、彼女は実はなかなか何かを得るのが困難な人でした。
優秀な兄は父に似たのであって、母に似ていたのは出来の悪い私だったという皮肉。
承認欲求が強かったり見栄っ張りだったりと、その他もろもろ私は母にとてもよく似ています。主に一般的にはマイナスの方向性で。
ただ、母と私の違いは、自覚があるかないか、そこに尽きます。
母は何だかよく分からない謂われのない自信で常に人を裁いていました。自分は正しいと信じていたし、人から少しでも批判を受けると猛烈に反発して激怒していました。悲しみを怒りで表現してしまう人でした。
あまりにも分かりやすい反面教師が目の前にいたので、私は幸運だったと思います。
夏休みの読書感想文は三年生まで、ずっと母が書き、毎年、市から金賞を頂いていました。
四年生になったころには、私は母に対してはっきりと「この人はおかしい」と気づいていました。
夏休みの宿題の中でも、たとえば工作系は家の人に手伝ってもらったと堂々と連名で提出する子は結構いました。
算数のドリルが苦手なので両親と一緒に取り組んだと作文を添付する子もいました。
その中で私は明らかに自分の手が一切はいっていないものを、教師に出さなければならない。
嘘をつくなとしつけられているのに、嘘をつかなければならない。
なまじ毎年、賞を貰っているだけに、教師もあまり突っ込めない。
だけど通常の国語の授業中の作文は、それほど酷くない、どちらかというと良い。
という複雑な状況に疲れているのに、母は病を許さず、失敗を許さず、一年に一冊だけ本を読んで感想文を書いて賞状だけ受け取り何も知らない周囲の人々のお世辞に酔っている。
小四にして中二病を先取りした私は、その年、母に「もう代筆は不要」と告げました。
母は必死になって「それじゃ賞をもらえないでしょう」と引き留めましたが「あんな紙切れ一枚に何の価値があるのか分からない。虚しすぎて恥ずかしい」と一蹴したところ、大変なことになりました。そこは略します。
結論から言えば、小学四年生でようやく夏休みの読書感想文デビューを果たせました。
教師からは「原稿用紙五十枚は長すぎる」と、コンクールに出せない旨を告げられました。本当に三つ子の魂百までです。自分で感想文を書けるとなったら嬉しくて嬉しくてまったく手が止まりませんでした。
三つ子の魂同様に、二階級特進とは良く言ったもので、母の死後、この話をしても信じてくれる人はごく少数です。
思えば、母の感想文はやはり下手ではなかったのでしょう。ほどよい字数で的確にポイントを押さえてまとめたから受賞に至ったことは確かです。
ただ、子どもの感想文を全否定して賞のために三年間も自発的に代筆するというのは、やはりまともではありません。
その後も英検などの外部試験、高校進学、留学、大学進学などなど、何をどんなに努力しても母が横取りして母自身の手柄にされるたび、本当に虚しくてたまらず、努力をやめてしまいたいと願うようになりました。
実行する前に兄が完全な引きこもりになり(現在進行形、病院や公的機関に一度も掛からず父親に手厚く護られて十数年)母の癌が見つかったりしたため、またも出遅れました。
やはり私は幸運だなあ。という話です。
不幸自慢ぽくなりましたが、私はどう考えても状況に比して恵まれているし、幸せなほうだと思います。
ただ、夏休みが来ると霊より母に怯えていたことを思い出します。特に感想文の話はよく考えるとなかなか怖いです。
以上、わたくし、いとより真夏のホラー話をお届けしました。ごきげんよう。

180823 2214
一言


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