一言なのに長いのだから作文はなおさらだらだら、
そのてん手しごと感想お知らせはだいぶん短め。


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この冬も猫鍋におなりあそばしニーナさん。



こたつ(人間用)もお出ししたところ、わたくしめのお膝にいらっしゃる確率がぐんとお下がりに。
たまにのそのそとおいでになって、こたつ布団の上でひとしきりひみふみをなさってからお食事を要求なさいます。
ところでニーナさん、ちょっとお太りになられてよ……?
冬は肉がついていた方が何かとよろしいかもしれませぬ。
でも春になってからが戦いでございますのよ……よくって……?

181128 2308
一言、我が愛しの猫ニーナ。


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これまで色々なことがあって、その度にあれこれ考えて、自分の感情というものの仕組みを何とか知ろうとしてきました。
多分これからも続けるとは思います。
ただ、ちょっとこれだけは憶えておいたほうがいいかなということを発見しました。
自罰的だったり自責の強い気持ちや思考は、けっこう安易に他者に向きやすい。
自分が悪いんだと決めつけすぎてしまうとやっぱり苦しいから、かわりに他の人を裁くとか非を求めることとかで和らげようとしてしまう。
昔に読んだ本で「許すことはほぼ不可能に近いから、せめて見逃す方法を身につけるといい」とあったなあと振り返ります。
他方で、「さっさと許してしまって楽になりたい」との言葉も心に残っています。
どちらも真理な気がします。
自分に合うやり方はどちらか、または他の何かか、そろそろゆるく決めて、それに添って生きていきたいものです。
私はきっと生涯もがく性質だと予感はしていますが、やはり疲れるんです。
でもまだまだ甘いのだろうなあと迷ってばかりいます。
明日はどんな心境なんだろうと、わくわくしながら眠りにつけるようになるには、何をしたら良いのかすら分からなくなるなんて、子どもの頃は想像もしていませんでした。
それが人生ということだとしたら、まわりの人間すべてと知り合いになって、尋ねてみたいことが山積みです。

181125 2225
一言


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『ハリー・ポッター』シリーズの二十周年版がそこかしこで話題になっていますね。
私は残念ながらちょっと相性がよろしくなく、一巻しか読んでいません。
が、もしも買うならスリザリンバージョンにします。
あまりにも有名な台詞、スリザリンはいやだスリザリンはいやだスリザリンはいやだ。
ならスリザリンにしたくなります。是非とも。

181125 0136
一言


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花が好きです。
もし私が文章ではなく、絵画に一日の多くをかける人間だったなら、きっと花ばかり描いていたことでしょう。
と言いながら、花にはまったく詳しくありません。
花の雰囲気が好き、というのが本意に近い気がします。
数年前にお亡くなりになったマンガ家の、吉野朔実さんは、憧れの花の人のひとりでした。
雑誌「flower」で活躍されていた方ですが、この少女マンガ誌は表紙を担当する際、必ず花を描きいれるようにとの決まりごとがあるそうです。
吉野朔実さんは人気作家だったこともあり、幾度となく表紙絵を飾りました。
しかしインタビューで彼女はこう語っています。
「それとは関係なく、もともと花が好き。だから指定されなくてもきっと毎回、花を描きこんでいたと思う」
「マンガを描く時は風景や人物など、色々と参考にするけれど、花は何も見なくても描ける」
花が多いのに何だか華々しい感じではなくて不思議、と思っていたら、そういうことだったのかと妙に納得しました。
花についてあまりに無知なので確証は持てませんが、吉野朔実の作品の中には架空の花も結構あったのかもしれません。
二次とはいえ小説を書くようになってから、モチーフとまでは行かなくても、花の雰囲気がある書き方や文体を密かに模索してきました。
未だに成功した試しがありません。
そもそも「花っぽい文章」とは何かと聞かれても、言葉では説明すらできません。
何かこう、花です。
自分の中でもこの程度しか語れないのですから、実際にやるのは困難どころの騒ぎではありません。
さりげなく花を小道具として出したりはしていますが、そういうことではないと分かります。
そこから先が分かりません。
せいぜい、色や、香り、もののかたち、人物の立ち居振る舞い、そうした描写を通して花を連想させる。それが持ち味になるように積み重ねる。今はそのあたりで精一杯です。
たとえば須賀敦子の文章はなぜだか花を思わせてくれます。
でも何がどうしてそうなるのかは、まったくの謎です。
恐らくご本人も意識していなかったでしょう。
あまり目指しすぎると、逆に自分が無意識に持っているものを損ねるかもしれないので、遠い目標として掲げ、ともかくも書き続けていくつもりです。
(なお、ここでの文章は「絶望先生の作者さんみたいな文章を書けるようになりたい」と喚いている以上、花になるのは絶望的かと思われます。くめたんは花というより砂糖醤油をぬりたくった餅ですから。「かくしごと」最新刊、絶賛発売中です)

181116 2250
一言


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とてつもなく久しぶりに二次創作と無関係の記事を書く気がします。デトロイトウィークがあったから仕方がないですね。
実はというか、今月あたまに少々つらいことがありました。
簡潔に言ってしまうとTwitterでの人間関係が私には大変な重荷となり、デトロイトクラスタから撤退しました。
そもそもわたくし、集団は苦手でございます。
クラスタだけでも何だか居心地が良くないのに、いつの間にか三人だけのグループトークに組みこまれてしまっていました。
女が三人あつまればメインの話題が何になるか、大体お察しください。
十日と保ちませんでした。
グループだけを抜けても根まわしが高速で為されるのは明確だったため(そうした場をグループで毎日のように朝から晩まで目撃しまくってしまったが故に限界も早かったのです)クラスタそのものから脱出しました。
かなり下手くそなやり方でした。
しかし、衝動的にやったわけではありません。
様子を見ながら、準備をしておき、決断して実行しました。
おかげで、ほっとしました。
ようやく眠い時に眠れる。スマホを見ずに食事ができる。本を読める。映画を観れる。他人の悪口を聞かなくてすむ。
もう、本当にすっきりしました。
しかし、寂しくなりました。
でも、同じことはもうしたくない。
けれど、寂しくなりました。
とてもとても、寂しくなりました。
自分のことも怖くなりました。
疑心暗鬼にもなりました。
私さえ我慢していれば、と後悔しました。
そんな時に、こう言ってくれた人がいました。
「無理をするのと、寂しいのと、どちらかだったら、
私は寂しい方を選ぶ。
寂しいのは確かに嫌なことだけど、
人間とではなく、寂しさと付き合う時期も、人生にはある。
寂しさと一緒に悲しみもある場合は、
多分、お別れせざるを得なかった相手のことが好きなんだろうね。
好きなままでいていい。
でも、ちゃんと理由があってお別れすることになったのに、
相手にまた好きになってもらおうとしても、自分を傷つけるだけだよ。
今は、その人とではなく、寂しさと付き合う時だと思えばいい。
どっちにしたって、生きている限り、寂しさはつきものだから、
今、寂しさとの付き合い方を知る機会なんだと思えばいいよ。
その付き合い方が、のちのち、必ずあなたを助けてくれる。しかも、何度もね」
こんなに腑に落ちる言葉も、生涯、そうそうないかもしれません。
寂しさと付き合う、という視点が私にはなかったので、霧が晴れた思いでした。
それに、寂しさと付き合うって中二っぽくて素敵、と思える単純さが私にあったのも幸運でした。
が、まだちょっと疑問が残りました。
寂しさとの付き合い方のコツです。
これについては、少ししてから、別の方に尋ねてみました。
「寂しさとの付き合い方のコツは、
寂しさという言葉を別の何かに置きかえてみること。
あなたは、あなたの大切なものを守るために、
嫌なことと戦ったわけでしょう。
そういう戦いはもともと孤独なものだよ。
孤軍奮闘して善戦したんだよ。
その代償が寂しさだとしても、
そう呼んでしまうから辛い気持ちになってしまう。
とりあえず別の名前をつけてみるといい。
たとえば、自由とか、安心とか、
あなたが実際に感じているものだね。
それでもやっぱり寂しいと感じる時は、
守りたかったものを思い出すといい。
それが本当にあなたにとって価値のあるものなのだから。
人間は欲張りだから、
ないものねだりもするし、あれもこれもほしがる。
でも現実的に不可能だと気づいて、
しかも苦しかったから、
あなたはちゃんと戦って、守ったわけだよ。
人間は結局のところ、ひとりで生きてるようにできている。
今のあなたは人間のあるべき姿なんだよ。
だから余計に痛いだろうね。
失って悲しいと思うものもあるのだろうけれど、
得たものはそれ以上にあなたが大切にしたかったものだから、
それが今は寂しいものに見えるとしても、いつかちゃんと本来の姿に見えるようになるよ。
それまでは、表面だけでもいい、別の呼び方をして、付き合うといい。
そうやってる内に、あなたは強くなれるよ。
もともと自分をごまかしたり、まわりに惑わされないでいられたんだから。
だから、良くも悪くも、寂しさともまともに付き合うんだろうね。
是非、あなたらしく、いい名前をつけて、呼んであげなさい。
あなたが守ったものが、あなたに害を成すはずはない。
そのことをよく覚えておくといい。
いつか自分が守ったものが何だったか、はっきり分かったとき、
それが寂しさの本名にもなるし、
そもそも寂しさでなくなると思う」
これもまた実に中二ごころをくすぐる内容でした。
しかしです。
私はこの人に言われるまで、「嫌だと思うものと戦って、大切にしたいものを守った」という意識がすっぽり抜け落ちていました。
ずっと「嫌なものから逃げた」と思いこんで、自分を責めていたのです。
反省どころか猛省すべきところは確かにあるし、私に非が多いのも確かです。
でも、言われてみれば、それだけでは決してなかったなと判断できます。
やれることはやりました。私なりのやり方をすら越えて、やったと思います。
ただ、やらなかったことも多くありました。
まったく私らしくない、やるべきでないことをやりもしました。
どうも後者ばかりを見てしまっていたようです。
「守りたかった大切なもの」は、まだちょっとはっきりしていませんが、それを失わずにすんだのなら、本当によかったと思います。
今、寂しいかというと、やはり寂しいです。
でも、上のお二人の方の言葉のおかげで、ずいぶん楽になりました。
デトロイトウィークの短文はそんな状況で書いていました。
Twitter上での反応はほとんどありません。
でも不思議なことにpixivは伸びていたりします。
何であれ、今は書きたいことを書けるだけで嬉しいです。
ちょっと前まで、やめたくなっていましたから。
何だかんだと楽しい時もありましたし、してしまった悪いことはきっちり自分に返ってきたのだと思って、反省すべきところはして、後は日替わりで命名される寂しさと付き合いながら、のんびりやっていきます。
先は長いのです。私の駄文よりも、ずっと。

181115 0010
一言


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