半月ほど前、Twitterをほぼやめることにしたのでその旨を告げた上で、よそで繋がりがある方のフォローを外させて頂いた。Twitterでしか連絡が取れない方はそのまま、といっても、そういった方は結果的に1、2人ほど、後には有名人と、大量のbotが残った。つくづくTwitterにむいていなかったわけだ。
放置アカウントにするならフォローを外すべきだと思った。それは確かにあくまで私の感覚に過ぎないが、だって他の場で関われるのだし、そもそもその下地があってこそのフォローだったから。mixiやサイト、その他もろもろ。
けど、それまで、フォローもリムーブもブロックもご自由に、と明記されていた方が、その数日後には、お別れはブロックで、と書き直されていた。
勿論、それが私の所為かどうかなど知りようもないし、たとえそうであったとしても私が弁解やらをする筋でもない。
が、色々と考える契機にはなった。
これはフォローを外されたとき外し返す作業が苦痛だからなのか(別にフォローして頂いているままでも構わないのだが一方通行がお嫌いなのかな)、単に数の問題なのか。
この件の前から「お別れはブロックで」という姿勢の意味をはかりかねてもいた。大体、お別れって?これは一種のネットスラングとして捉えて良いのか?それにしてもわざわざ悲しい言葉を選ぶものだなあ。
うまく言えないけど、こう、ゆるく、つかず離れずになったりとか、気負いなく関わり方を変えるというか、そういったことがネット上では年々むずかしくなっている気がする。現実では何とはなしに疎遠になることはそう珍しくもないのに。
画面のむこうにはリアルな人がいるって?
それこそお互い様。自分が傷つく時だけネットの境界線を越えようというならあなたも私をツールとして扱っているも同然じゃないですか。
本来の距離に戻るだけなのになあ。難しいなあ。率直に言って人間って面倒な生き物だと思うけど、その人間が作り出したインターネットはそれを遥かに上回るな。何だか不思議。ちょっと遠のいたり変化はあっても、縁なんてそんなに簡単に切れないのに。

140524 0259
一言


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