見たこともなかった。彼女の、雅の涙なんて。誰かの墓の前でひたすら涙を流している。僕は後ろからただ眺めていることしかできなくて・・・、恋人なら優しく抱き締めてやるのが妥当なのだろうと思ったが、何故だか今の雅に触れたらいけない気がした。
声に出ないように噛み殺して泣く。誰の為に泣いているのかはわからなかった。覚えていないから。この人が誰なのか、それすらも、
ただ、一つわかるのが私はこの人が大好きだった。エースとはまた違う感情の、家族に対する、友人に対する好き。やっと止まり始めた涙を拭って墓の前にしゃがみ、その人の名前をなぞった。
ゆっくりと近づいていく。音を立てないように、ゆっくりと。墓に彫ってある名前をなぞる雅はポツリとその名前を呟いた。貴方は、誰。と、問いかけて。
僕は足を止めて、雅、と聞こえないような声で呼んだ。けれどここには僕と雅しかいないからなのかやけに響いたように思えた。僕の呼び掛けに気づいた雅は、涙で濡れた目を細めて笑った。エース、とこちらに歩み寄ってきてするりと正面から僕の腰に抱きついた。
『あの人ね、』
「うん」
『私の、お兄ちゃんなんだって』
「うん」
『私、覚えてないやぁ・・・』
ふにゃりと笑って顔を上げたかと思えばぽろぽろと涙を流していた。
『忘れたく、なかったよう、』
「うん、」
『エースも、いつかいなくなる・・・?』
「いなくならない、」
『私が朱雀の為に死んだら、エースは私のお墓の前で泣いてくれる、?忘れちゃう?』
「忘れない、絶対に。死なせない、僕が、雅を守るから」
もしかしたら忘れてしまうかもしれない。いや、忘れてしまう。だから、今のうちに雅との想い出を作っておこう。日記を書いたり、写真を撮ったり。絶対に忘れないように。君の墓の前で泣けるようにしておく、だから、君も、僕の墓の前で泣いて
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