01 過去 蝉の精一杯の鳴き声と庭の鹿威しが石を打つ音だけが私たちの間に流れる。 沈黙に耐えられなくて震える喉を叱咤して言葉をを絞り出した。 『……養子先、決まったよ』 『そうか』 『山梨県に住んでる山本勘助っていうお父さんの友達なんだ』 そういうとまた沈黙し、気まずくなる。 一緒にいて気まずくなったことなんて今まで一回も無いのに……。 なんで何も言ってくれないの。 俯いていた顔をあげると、思考が停止した。 なんで、なんで、なんで笑ってるの。 私、山梨に行っちゃうんだよ? もう中々会えなくなっちゃうんだよ? なのに、どうして。 意味がわからない。 漠然とした恐怖が湧いてきて思考が停止した頭が余計混乱する。 『な、んで』 『やっと……だな』 『え、な、なに言ってるの……?』 なんで? 私たち離れ離れになるのになんでそんな安堵したような顔してるの? その嬉しそうな顔に身体が震えた。 『やっと子守りから解放される』 『こ、もり……?』 『ああ。俺が本気で餓鬼のテメーを相手にすると思ったのか? 思い上がるな』 交わった視線は今まで見たこと無いくらい鋭くて、それでいて侮蔑しているようで。 胸が鷲掴みされたような気分だ。 『え、えっ……?』 待って、お願い。 時間が欲しい。 頭がぐちゃぐちゃで何もわからない。 頭が痛い。 『政宗様に悲しませるなと命令されて仕方なく付き合ったが、我侭で自分勝手で、必要以上に近付きやがって。全くもって迷惑だった』 『っ……!?』 『ブスなテメーが俺に釣り合うと思ったのか。こっちは、一度だってテメーを可愛いとも好きだとも思ったことはねえ』 声が出ない。 どうして、なんで、だって、けど、頭の中がそれでいっぱいになる。 今までは全部嘘だった? あんなに優しくしてくれたことも、好きって言ってくれたことも全部、ぜんぶ、ぜんぶ、嘘だったの? 蝉の鳴き声が一斉に止んで辺りに静寂が訪れた。 それがより一層、この言葉を引き立てた。 『これで、俺は自由だ』 心の底から嬉しそうに微笑んだ。 まだ夏なのに寒くて震えが止まらない。 恐い、怖いよ……。 『さっさと出て行け。気分が悪い』 『ね、ねえ、冗談だよね?』 『冗談なんて言えるか。全て真実だ』 汚いものを見るように私を見た。 やだ。 やだ。 やだ。 全部失うの? また、失うの? これを失ってしまったら、私は正真正銘の独りになる。 もう、私の繋がりはこれしかいないのに……!! 私のすべてなのに。 これを失ったら私は生きてる意味なんてないのに。 『おい、そこの』 通りがかった男の人を止めた。 『へ、へい! 何か用っすか!?』 『この小汚い女を放り出せ。視界に入るだけで吐き気がする』 『……え』 『早くしろ』 そう言うと、背を向けてペンを執った。 もう私なんて存在してないかのように、勉強してる。 傍に寄ろうとしても、男の人に腕を掴まれて動けない。 『ほら、行くぞ』 『ちょっ、やだっ!! 離して!!』 やだ、離れちゃう。 やだ、離れたくない。 蝉の鳴き声がより一層大きくなった気がした。 『待って……まって、ねえ! 悪いところ直すから! もう我侭言わないし、自分勝手に行動しない! 言う事だって何でも聞く! 私の居場所はここしかないの! だからっ……だから、お願い、こっち向いてよ………… 小十郎さん!!」 自分の声で目が覚めた。 小十郎さんに向かって伸ばしたはずの手は、天井に向かって伸ばされていて、溜息が出た。 …………また、この夢だ。 お父さんとお母さんの命日が近付くと必ずこの夢を見る。 「何回目だろ、この夢……」 もう、十年も前の話なのに。 何でこんな夢見るかな。 ……どんだけ未練タラタラなんだ。 両親が事故で死んで傷ついてる私にさらに追い討ちをかけて傷つけた小十郎さん。 私の祖父母はすでに他界していて、両親は一人っ子で親戚はいない。 その両親は事故で死んで、天涯孤独になった私が鬱にならずにすんだのは小十郎さんがいたから。 たった一つのかけがえの無いつながりを一番ひどい形で振られた。 それだけ酷いことをされときながら何でまだ忘れられないんだろう。 馬鹿だ、私。 それとも、お父さんとお母さんは小十郎さんと私が付き合うの大賛成だったからかな。 こういう風に夢に出すことでもう一度会いに行け、って暗示してるのかも。 「はぁ……」 二人とも、余計なお世話だよ。 私と小十郎さんは修復不可能なんだから。 こっちはズタズタに傷つけられたし。 それに、こっちが良くても、向こうが私の顔見ただけで吐き気を催すほど嫌ってるのに、縒りを戻すなんて天地がひっくり返ってもありえないよ。 それに、どうせ見せるなら、もっといい思い出のやつの方が良かったよ。 何でわざわざ、超傷ついた物見せるかな。 この夢見ると、一日中思い出して気分が落ち込むし。 「彼氏でも作ったほうがいいのかな……」 そのほうがこの未練も断ち切れそうかも。 ……っつっても、作ろうと思って作れるようなものじゃないしね。 小十郎さんを超える好きな人は中々見つからないよ。 「……もう、小十郎さんのこと考えるのはやめよ」 顔でも洗ってさっぱりしよう。 そう思って、一階に下りると丁度お父さんと鉢合わせになった。 「おはよう、お父さん」 「ああ、おはよう」 勘助さんをお父さんって呼ぶようになって、大分経つなあ……。 始めは、私のお父さんとお母さんは一人しかいない! とか言って部屋に引きこもってたし。 両親が死んですぐに、小十郎さんにフラれたから、情緒不安定ってか、軽く鬱病だったんだろーな。 ……随分迷惑掛けたなあ、今のお父さんとお母さんには。 良く私を捨てないでいてくれたよ。 本当に今のお父さんには感謝してる。 恥ずかしくてそんなこと言えないけど。 「なまえ」 「ん? なに」 洗面所に向かおうと足を進めていたら、声を掛けられた。 「三日後、お前の両親の命日だな」 「うん、そうだね」 「命日に俺はお館様と仙台に行く」 「え、仙台?」 ……仙台って。 何? もしかして、政宗の家と契約とかするとか? そんなわけないか。 「偶然にもお前の故郷に、しかも命日に行くことになるとお館様に聞いた時は俺も驚いた。いい機会だろう、お前も両親の墓参りをして来たらどうだ」 「え、いやぁ……仕事もあるし、遠慮するよ……」 頬が引き攣るのを感じながら無理矢理笑った。 うわー絶対苦笑いしてるよ、私。 もう今更墓参りなんて……。 ってか、仙台になんて。 「お前はそうやって毎年墓参り行かずに……」 「あはは、いや……その」 「今年こそは行け。十年も経ったんだ。もう故郷に戻る勇気は十分備わっただろう」 「けど、仕事が……」 「休め。俺が言っといてやろう、安田部長だな」 「う……」 こういう時に親と同じ会社って嫌だー。 少しくらいは贔屓してもらえると思ってたのに、そんなのは全く無い実力主義だし。 まあ、良かったところは知り合いが居ることで安心できた事だけだよ。 「わかったな」 「……はい」 リビングに向かったお父さんを見送って、盛大に溜息を吐いた。 十年ぶりの仙台。 ……まさか、十年ぶりに会うなんてありえないよね。 仙台だって広いんだから。 お父さん、お母さん。 十年目にしてやっとお墓参りに行く分際で悪いけどすごく行きたくないです。 外で短命な蝉が一匹鳴き始めた。 ……ああ、嫌な予感がする。 (嫌な予感ほど当たるもの) [戻る] ×
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