旦那の岡惚れ | ナノ




17 些細なことでも幸せ




「幸村ー!」
「おはようございます、慶次殿。どうかなされましたか?」
「おはよー! あのよ、まつ姉ちゃんにこれ貰ったんだ!」


朝練が終わり、教室に着くと慶次殿が笑顔で寄ってきた。
いつもよりもご機嫌な感じがするので、何か良いことあったのかと思っていると二枚のチケットを渡された。


「ん? これは……」
「スイーツ食べ放題の割引券!」
「お、おお! 甘味が食べ放題か!」
「これ、幸村にやるよ!」
「え? 宜しいのか!?」


笑顔で俺にくれると言った慶次殿が仏のように見えた。

なんとお優しい方だ!


「チケット二枚あるだろ?」
「ありますが、それが?」


俺がそう問うと、慶次殿は他の生徒に聞こえないようにするためか、俺に耳打ちしてきた。



「提案なんだけど、なまえ先輩と二人で行って来たらどうだ?」
「はっ!? ひ、姫と!?」
「おうよ! 幸村も先輩とデートしたいだろ?」
「し、しししかし……!」



ひ、姫とお、逢瀬とは……!
いや、明確に言えば逢瀬では無いのだが。

まだ、愛し合ってはおらぬからな。



……あ、愛し合う!?

姫と俺が?
な、何を妄想しておるのだ!

愛し合うなど……!



「幸村?」
「はっ! 申し訳ありませぬ。少し考えごとを……」
「そうか? でさ、先輩を誘ってきなって」
「ひ、姫は、受け取ってくださるだろうか……」
「先輩は優しいからきっと受け取ってくれるって!」
「そ、そうだろうか」


チケットを持っている右手が震えてしまった。

ひ、姫と一緒に俺の好きな甘味の食べ放題へ行けるのか。
もしそうなれば、盆と正月が一緒に来たよりも嬉しいではないか!


「し、しかし、どう誘えば……」


普通に誘えば、不審に思われないだろうか。
この頃話す機会が増えたとはいえ、あまり仲も良くない男と二人で出かけるなど怪しいに決まっておる。

そのせいで、逆に気味悪がられたらどうすれば良いのだ。
立ち直れる自信など微塵もないぞ。



「あ! 俺に良い考えがある!」
「ま、誠でございますか、慶次殿!」


食いつくように慶次殿へ近付くと慶次殿は白い歯を見せて笑った。

「おう! この前、スイートポテト貰ったお礼って言えば良いんじゃねえか!」
「お、おお!! そうか、それがあったか!」


それなら、誘うのも理解できる。
よし。それで誘おう!


「さあ、幸村行ってこい!」
「え!? い、今でござるか!?」
「善は急げだ!」
「し、しかしもうチャイムが……」
「まだ十分あるって! 多分先輩は丁度学校に来たところだろうし、下駄箱に居ると思うぞ!」


さ、行ってこい! と背中を叩かれた。
なぜ、姫の登校される時間を慶次殿は熟知していらっしゃるのかが疑問だが、まあ良い。


「あ、あの、昼休みではいけませぬか?」
「だめだめ! 時間が経てば経つほど行き難くなるんだから今行っとけ!」
「そ、そうでござろうか……」
「そうそう! さあ行った行った!」
「うおっ!?」


更に背中を押されて俺は廊下に押し出され、扱けそうになる身体を踏ん張って何とか耐えた。


「で、では行って参ります」
「おう! 行ってこい!」



慶次殿に見送られながら俺は下駄箱へと歩き出した。


姫は、これを受け取ってくださるだろうか。


……姫はお優しい方だ。
俺のような者が渡してもきっと笑いながら受け取ってくださるだろう。


しかし、心の中では嫌がっていらっしゃるかも知れぬ。
それに、今回ばかりはこの俺の出過ぎた行動に嫌な顔をされるかも知れぬ。


……姫に嫌われてしまったら、俺はもう死んでしまう。



考えがどんどん後ろ向きになってしまい、足が震えてきた。


「ええい、このように暗く考えてはいけぬ!」



首を振って太股を叩いた。
後ろを向くな、前を向け! と思い、文字通り前を向くと、上靴を履くために爪先をとんとんと蹴っていらっしゃる姫が目に入った。



「あ……」
「うん?」


俺が声を漏らすと、その声に気付いた姫が俺がこちらを向いた。
ひ、姫と目が……!


「真田君おはよー」
「おおお、おはようございます!!」


俺がそう挨拶すると、にっこりと笑われて俺の前を通り過ぎようとされた。
あ、あ……俺に挨拶をして下さったことに感激している場合ではない!

早く引き止めねば行ってしまわれる!


「あ、あのっ!」
「ん? なーに」
「え、えっと、その……おおおお時間よ、宜しいでしょうか……!?」
「え? けど、あと七分くらいでチャイム鳴るよ?」
「い、いえ! じ、時間はあまり掛かりませぬので!」
「そう? じゃあ、良いよ」


そう仰ると、姫は気を遣ってくださったのか、他の生徒から目のつかない柱の影まで移動して下さった。


ああ、俺のような者にもこのような気を……。
なんとお優しい!


思わず、感激していると、姫は黙っている俺を怪訝に思ったのか、首を傾げられた。
時間を掛けぬと言った手前、早く渡さねば……!



「あ、あの、せせ先日のす、スイートポテトのおおおれ、いですっ!」



何回噛んだら済むのだ、俺は!

落ち着いて言わねば伝わらぬではないか!
頭を下げて、二枚のチケットを姫に差し出した状態で、俺は後悔した。


頭を下げていると、姫の顔が見えぬ故、一体どのような表情をなされているのだろう。
頭を上げて姫のお顔を拝見したい。

だが、この勇気の無い幸村には顔を上げて至近距離で姫のお顔を拝見する根性など備わって折おらぬ!


くっ、まだまだ精進が足りぬか!



「ん? スイートポテトのお礼?」
「はは、はい!」
「そんな気を遣わなくてもいいのに」
「い、いえっ! あ、あのスイートポテトは誠に美味でござった故……!」


是非ともお礼がしたい。と伝えれば姫のからは、と笑い声が聞こえた。

どこか可笑しいところがあっただろうか。
何も笑う場所など無かったが……。


疑問に思い、顔を上げると姫が楽しそうに笑っていらっしゃった。



ああ、なんとお美しい笑顔だ。



「あはは、真田君って律儀なんだね」
「へ?」
「たかが調理実習で作ったものにお礼くれるなんてさ」
「え、あの……」


調理自習のお礼は可笑しいものなのだろうか。


け、慶次殿がそのようにすれば良い。などと仰るから!
俺は慶次殿の言うとおりにしただけだというのに、笑われてしまったではないか!



「けど、折角くれるんだし、ありがたく貰うよ」


差し出したままの俺の手からチケット二枚を受け取ってくださった。


「ん? これ、割引券?」
「は、はい!」
「あっ、し、しかも、スイーツバイキング!」
「はい!」


ん? 心なしか姫の目が輝いているような……。
手も震えている気がするのだが、どうかなされたのだろうか。

もしや、気に入って下さらなかったのだろうか!?


「さ、真田君!」
「は、はいっ!」


強い口調で姫に呼ばれ、思わず気を付けの状態になった。

お、お怒りなのだろうか?


やはり、このような贈り物は気に入ってもらえなんだか。


なんて事を俺はしてしまってのだ……! と、後悔していると右手を包まれた。



「ありがとう!」
「へ?」
「これ、行きたかったんだ! ほんと、感謝するよ!」
「え、あ……き、気に入って……?」
「もちろん! ほんと嬉しい!」



あ、姫に、手を握られている……!
ま、まさかこのようなことがあろうとは……!


もう、天にも昇りそうなくらい幸せだ!


「あ、あの、そ、それを、俺と……」


一緒に行きませんか。と尋ねようとすれば、姫の声に遮られた。


「ありがたく、しのっちと行かせてもらうよ!」
「へ?」
「ほんと、ありがとう!」
「い、いえ……」
「じゃあ、またね!」



チケットを二枚持って、天使のような笑顔を俺に向けてくださったあと、姫は去って行かれた。


……俺ではなく、友人と行かれるのか。


しかし、姫に手を握ってもらえた。
姫に微笑んでもらえた。


たとえ、一緒に出かけることが出来なくとも、それだけで、俺は満足だ。



自然に口角が上がって、スキップの歩調で俺は教室へと戻っていった。



(姫が喜んでくださることが、俺の喜びだ)
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