旦那の岡惚れ | ナノ




04 痛みが呼んだつながり


「は、離せ、佐助!!」
「何で? せっかく近づけるチャンスなのにさ」
「ふふふふざけるな! 俺が近づけるようなお方ではない!!」
「この前は傘貸そうと近付いたじゃん」
「あ、あれはっ……!」


もう、中庭の前でこのやり取りが五分ほど続いている。
佐助の奴め、いい加減諦めたらいいというものを……!


「幸村ー、いい加減俺ら飯食いたいんだけど」
「な、ならばいつもの様に非常階段へ……!」
「テメーのために中庭で食うって言ってやってんだろうが」


政宗殿が鬱陶しそうに左目を細くした。
良いと言って居るのに!


「なぜみなは俺を姫の近くにやりたがるのだ!」


「Ah? そりゃお前のためだ」
「ああ。それに俺よりも早く付き合う可能性がなく……」
「む? 元親殿、何か?」
「い、いや……なんでもねえ」
「馬鹿だな、お前」
「う、うるせえ! ちょっと口が滑ったんだよ!」



何を二人とも仰られているか分からぬが、まあ俺には関係なさそうだ。


「旦那、行くよ?」
「なっ……!」

油断していると、佐助に思いっきり引っ張られた。
よろけた体勢を直ぐに立て直すともう中庭に入っていて、姫との距離は目測6m。



「ささ佐助! もう無理だっ!!」
「えーまだ遠いって」


せっかく近くまでいけるのに。と佐助は不服そうだ。
これ以上、近付けば俺の心臓がもたん!


「もういいじゃねえか、ここでよ」
「I'm hungry」


元親殿と政宗殿はもう我慢ができないのか、座り込んで弁当を広げ始めた。


「いきなり近付くんじゃなくて段階を持って近づくことにした方がいいと思うよ」

慶次殿も諦めたように、座った。



「しょうがないなあ。この前はもっと近かったはずなのに……」

ぶつぶつと言いながら佐助も座ったから、俺も座ろうとすると佐助がここじゃだめ。と言った。


「なぜだ?」
「旦那は姫さんが見える位置に座りなさい」

ほら、慶次の隣に座ったらよく見えるでしょ。と無理矢理慶次殿の隣に座らせた。


「あ、う……」


弁当を開けながら、ちらりと姫の方を見た。



確かに、ここからだと姫のお顔がよく見える。
あ、今笑顔になられた……!

どくりと心臓が大きく跳ねた。
あのようなお美しい笑顔が拝見できるとは……!



「幸村、卵焼き落ちたぞ」
「はっ!」


慶次殿に肩を叩かれて我に返った。


「我を忘れて見惚れるほど惚れてんなら話の一つや二つして来いよ」
「それが出来たらこんな離れたところで食べてないって」
「根性ねえな」
「うっ……!」


た、確かに、政宗殿の言う通り、根性がないと俺も思う。
だが、姫の存在が確認できるだけで冷静に判断できなくなるのだ。

精進がまだ足りぬのか!


拳を握り締めた時、慶次殿があ、と声をもらした。


「慶次殿?」
「なまえ先輩がこっちに来てるぞ」
「なっ……!」


前を向くと、友人とともに姫がこちらに向かっていらっしゃった。
な、なぜだっ……!
なぜ、姫が俺の元に……!?


「あ……え、う……」


姫が、自ら望んで俺の方に……?
な、なななんと……っ!


いや、姫が俺のような者に近付いて頂けるはずがない。
冷静になれ。精進するのだ、幸村!

俺達が座っているのは中庭の出入りによく使われる扉の近く。

姫はただ校舎の中に入るために俺の近くにやってきただけだ!
思い上がるな。俺に近付いていらっしゃる訳ないのだ!


「あ、そうだ。この前傘に入れてくれたお礼に宿題、ただで見せてあげる」
「ほんとに? 人に優しくしておくもんだね」
「でしょー?」


そう、にっこりと女神のような笑みを浮かべて姫は手首に紐を通したステンレス製の水筒をくるくると回した。


ああ、お優しい。
無償で他人に優しくされるとは。

その水筒が羨ましい。
姫に触れてもらえるとは……。


「なまえ、危ないから水筒振り回すのやめなよ」
「大丈夫だって。ちゃんと手首にストラップつけてるからさ」
「なら良いけど、摩擦で手首痛くないの?」
「大丈夫、だいじょーぶ」


雑談をする姫との距離がだんだん近くなって行く。


心臓は爆発寸前。
息も苦しくなってきた。
顔からは火が出そうだ。


直ぐそこにいらっしゃる姫をもう直視できなくなり俯くと、隣を姫が通り過ぎた。
ああ、今日は苺の香りがする。


姫は桃だけではなく、苺もお好きなのだな。


新たに姫のことが分かり、舞い上がっていると後頭部に衝撃が走り、カランと何かがが転がった。


「ぐっ……!」
「あ」




鈍器で頭を叩かれたよう鈍い痛みが俺を襲う。
一体何が起こったというのだ。

痛くて仕方がなく、何が起こったかも理解できないまま後頭部を押さえて前のめりになると、周りの者が騒いだ。



「だ、旦那!?」
「幸村、大丈夫か!?」
「や、あ……うそ……ごめんっ!」


誰かが、頭に触れて俺の隣に座った。


「だだだ、大丈夫!?」
「う、うむ……某は……ん?」

大丈夫でござる、と言おうとしたとき鼻腔を擽った苺の香り。
この香りは……。


声のした方を見れば、俺は頭の痛みを忘れた。


「ななな……っ!」
「わ、顔真っ赤!! どうしよう! これも水筒が頭に当たったせい!?」


な、ななぜ、姫がここに!?
なぜ、姫が俺の肩に触れているのだ!?


「ほんとにごめんね?」


申し訳なさそうに眉を下げて言う姫。

大丈夫だと伝えたいのに、声が喉で詰まる。
パクパクと、酸素を取り込む魚のようにしかできぬ。

このように近くに姫がいらっしゃるなど、夢ではないのか?




「え? もしかして、衝撃で声出なくなった!?」
「あーえっと、俺様は一応保健室に行ったほうが良いと思います」
「あ、そうだよね? 行こ!」
「っ!? さ、すけっ!?」
「あは、いってらっしゃい」


何を笑顔で手を振っておるのだ!
保健室なんぞに行かなくても良い!
要らぬことを言うな!

そう言いたくても喉から声が上手く出せない。


「しのっち、宿題私の鞄に入ってるから自分でとってくれる?」
「う、うん」

そう友人が答えて校舎内に去っていくと、姫が俺の腕に手を絡められた。

俺を立たせようとしているのか、腕を引っ張ってくださる。
迷惑をかけてはいけないと思い、立ち上がろうとするが、体の筋肉が硬直してぴくりとも動かん。

まるで自分の身体ではないようだ。



動かぬ身体はどうすることも出来ず、姫に引っ張られながらも座り続ける破目になってしまった。

すると、疑問に思ったのか、姫が覗き込んできた。


「っ!!」
「……立てない?」

だめだ、そのようにお顔を近づけないで下され!

顔に熱が集まっていくのが嫌でも分かった。



その心配そうに眉を下げる姫から目も逸らせず固まっていると、誰かが俺を強制的に引っ張りあげて立たせた。



「おらよ、行ってこい」
「も、元親、どの……」



にんまりと、なにやら楽しそうに笑った元親殿は俺の背中を押した。


背中を押された際にみなの顔が視界に入った。

……なぜ、笑っておるのだ。
佐助も、政宗殿も、元親殿も、慶次殿も……!

俺は、大変な思いをしてるというのに……!


恨めしい視線を送っても当の本人達は気付いていないようだ。




「保健室まで歩ける?」

何もお知りにならない姫は相も変わらず俺などを心配してくださる。
ああ、菩薩のようなお優しいお心を持っていらっしゃるのだな。


「……だ、だだいじょ、ぶでござ、る」


ここで返事をしなければ、姫のせっかくのお言葉を無視してしまう。
精一杯の声を振り絞れば、なんとも情けない、か細い声が出た。


「良かった……」


嬉しそうに微笑まれた姫に元から早かった脈がまた早くなった。

どくり、どくり、と跳ねる心臓の音が聞き取れる。
まるで心臓が耳元にあるような感覚だ。



硬直しそうになる足を叱咤し、姫の歩調に合わせで歩いた。


姫は、俺の歩き方が可笑しいので心配してくださるのか、背中に手を添えてくださっている。


ああ、姫のお手が俺の背中に……。
俺の制服はちゃんと清潔だろうか。

そういえば、昨日佐助が制服にファブ……なんたらをしておったような。

うむ。それなら大丈夫だ。



姫も俺を不快に思われないはず、と勇気を出し少しだけ姫の方に顔を向けるとあの苺の香りが鼻腔を擽った。


いい匂いだ……。
肺胞全てに姫の匂いを浸透させようとできる限り吸い込むと、姫の足が止まった。



「着いたよ?」
「っ、あっ……は、ははいっ!」


声をかけられた瞬間背筋が一本の棒のように伸びた。

お、俺は一体何しようとした!
姫の匂いを嗅いでおったのか……!?


な、なにを、しておるのだ幸村!
本人の許可もなく匂いを嗅ぐなど、ただの変態ではないか!!



ああ、俺は変態に成り下がってしまったのか……。



自己嫌悪に陥りそうになったとき、姫が声を出した。


「せんせー怪我した人を連れてきました」
「あら、どうしたの?」


さあ、座って座って。と言われされるがままに椅子へ座らせられた。


「どこを怪我したの?」
「えっと……頭です」


姫がそう答えられて、やっと思い出した。


そうだ、忘れておった。
某は頭に何かが当たったのだった。

……結局、何が当たったのだろうか。


あれから混乱続きで確かめる暇などなかった。



四十二歳だと言う保健の先生が俺の頭に触れた。



「い"っ!」
「あら! 大きなたんこぶじゃない。どこに頭打ったの? こんなに大きなの中々出来ないわよ」


先生にそう問われるが、俺はどこにもぶつけていない。
何かが飛んできて、俺の頭を直撃したのだ。


答えられずにいると、姫が遠慮しながら話された。

「あ、あの……そのたんこぶ、私が……」
「え?」


俺と先生の声が重なった。
姫が、俺に何か当てられたのか?



「何をしたらこんなに大きなたんこぶになるの?」
「えっと、ステンレス製の水筒振り回してたら、すっぽ抜けてこの子の頭にガンッて……」


ああ、姫の水筒が俺の頭に当たったのだな。

姫の水筒の一つや二つ、頭に当たろうが構わぬ。
逆に、姫に当てて頂いてありがたい位だ。

だから、そのように申し訳なさそうに俯かないで下され。


俺が大丈夫だと言おうとすれば、先生が癇癪を起こした。


「何やってるの! 高二にもなって危ないことが分からないの!」
「すいません……」
「硬いステンレス製の水筒が頭に当たるなんて、一歩間違えれば大事故になり兼ねないのよ!?」
「……はい」


お、俺はどうすれば良いのだ。
俺があの場所に居たせいで、姫が怒られているではないか。

俺があの場所になどいなければ、姫の水筒など当たらなかったのだ。


だから、姫は悪くない。


「ご、めん……ね」


必死で涙を堪えているのか、震える声で謝られた姫。



そのような潤んだ瞳で見つめないで下され。

しかし、その潤んだ瞳もなんとお美しい。
泣きそうな顔を見てこんなこと、思ってはいけないはずだ。

頭では分かっていても、心では姫の新しい表情を知れて嬉しいと感じている自分が居る。



「あ、のっ……そそ、某は大丈夫で、ござる……!」
「え?」
「け、怪我をすることなど、日常茶飯事なので、もう慣れております故……!」


ですから、ひ……先輩は……気にしないで、くださ、れ! と間違えて姫と言いそうになったが、何とか言い直せた。

やはり、俺のせいで泣いておられるのは、心が痛む。
姫は泣いておられる表情も素敵だが、笑っておられるのが一番だ。


「真田君、本当に大丈夫なの?」
「は、はい」
「……本人がそう言うのなら、いいわ。みょうじさん、優しい真田君に感謝するのよ?」
「……はい」



先生は、保冷剤だけ渡すわね、と言ってハンカチで包んだ保冷剤を俺に渡した。
たんこぶも日常茶飯事なのだから良いのに。

まあ、この頃暑い故、貰っておいても損はなかろう。


一応貰い、俺と姫は保健室を出た。

教室に戻るため、歩いていると姫が話しかけてくださった。


「真田、くん……だっけ?」
「は、はいっ!」
「ほんとにごめんね?」
「っ……い、え! そそそ某は大丈夫でござる!!」


ひ、姫が、俺の名を呼んで!
そんな事が現実に起こるなど……!



「あのさ、怪我させておいてなんだけど、お願いがあるんだよね……」


俯き加減でそう仰った姫。
俺に頼みごと!?
姫に!?

お受けしないはずがないだろう!


「な、なんなりと!」
「さっきのこと、忘れて欲しいんだけど……」


……さっきのこと?
一体なんだろうか。


「えっと、その……泣きそうになってたでしょ?」
「あ……」
「それを忘れて欲しいんだよね」


人前で泣きそうになるなんて、恥ずかしいからさ。と姫は少し恥ずかしそうに仰った。

姫が忘れて欲しいと仰るなら、俺はそれに従うのみ!


「は、はい! 今すぐに忘れまする!」
「ありがと」


微笑んだ姫に、また心拍数が上がった。
お美しい……っ!



「ってか、たかが怒られたぐらいで泣きそうになるとか、やっぱ、生理前だねー」


生理前は情緒不安定になるから困るよ。と頭の後ろで手を組んで、けらけらと友人に笑いかけるようにこちらを向いた。

なんだ?
途中、仰る意味が分からなかったが。


「せーり……?」
「あ。やば……ついつい、女同士のノリで話しちゃった」


しまったという顔をして、姫は立ち止まった。




「あは……ごめん。これも忘れて」
「ん? 分かり申した」

よく分からないが、姫が仰るので忘れる事にした。



「真田君には悪いことしてばっかだね」
「む!? そ、そんなことはございませぬ!」
「そう? まあ、けどお詫びに、飴あげる」



姫はポケットをあさり、俺の手をとった。

「苺味でいい?」
「あ、う……あ、は、いっ!」
「じゃ、はいどーぞ」



俺の手の平には封に苺の絵が描かれた飴が乗っていた。


「あ、あありがとう、ございます!」
「いいえ、どーいたしましてー。じゃ、もうチャイム鳴るし、行くね」
「は、ははいっ!」

ばいばい、と手を振って、姫は教室に向かうため、階段を上られた。


姫が、俺に手を振って下さった。
なんとお優しい心を持っておられるのだ!

俺のような一般市民に手を振ってくださるなど……。


深い感銘を受けながら、俺は姫から頂いた飴の袋を開けた。

本来なら、家宝にするべき物だが、苺味と言うのが気になって仕方ない。
もしや、姫の香りの根源はこの飴か?


口の中に飴を放り込むと直ぐに広がる、姫の香り。




「……ひ、め」




ああ、姫はこれを食べていらっしゃったのだな。

姫がお食べになっている物を、俺が食べていると言う事は……。
俺は今、姫の香りがしているのだな。



「……ありがたき、幸せ……」


触れてもらえた、手を振ってもらえた、微笑んでもらえた、同じ香りにさせてもらえた。



「死んでも、悔いはない……」



(それくらい、貴女をお慕いしている)
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