偽りのカレンデュラ 



 その帰路、店に忘れ物をしていないか、気が気ではなかった。だって、あれだけの啖呵を切っておきながら、実は詰めの甘い女だと相手に思われるなんて癪のきわみ。





敦 子
Section 8
憑 代ヨリシロ





 いや、正確にいえば、あたしは忘れ物をしていた。店にではなく新宿に。


2010/07/08 [木] 18:11
渋谷区渋谷2丁目
JR渋谷駅・忠犬ハチ公口前広場


 家電量販店で購入したのは、ピンク色のUSBメモリ。本当は、昨日、これを買うために新宿を訪れたのだった。でも創真のせいですっかりと忘れ、収穫もせず帰宅、眠る間際になってようやく思いだした。

 再び新宿に向かうのは気が引けた。絶縁しておいて、あの男に出会すという奇蹟を演じるのは御免だった。第一、絆を善良なものだと勘違いしている体育会系のこと、高が偶然の再会に勝手な解釈をつけられるなんて拷問だ。だから渋谷の店を選んだ。

 目的を達成して、あとは帰るだけ。でも平日のこの時間帯の山手線は混みあうから躊躇している。改札にまで、なかなか脚が進もうとしてくれない。かといって、この駅前広場で電車が空く時間帯を待っている根気もありそうにない。

 いっそのこと、歩いて帰ろうか?

 でも意外と遠いんだ、五反田は。

 だから躊躇して、気をまぎらわすように携帯電話を気にしている。昨晩、血迷ったようにメールしてしまったことに対する、報酬のようなレスポンスを待望している。

 宛名は「DOUBTZ」。

 都市伝説ジャンクションの、管理人。









DOUBTZ様、初めまして。

舞彩ともうします。

こんな夜分に失礼いたします。

単刀直入にもうしあげます。私、こちらにある「死線館」という都市伝説に、大変な興味を抱いています。いえ、興味どころか身近な存在となっています。夢か現実か、判断のつかないところにまできています。

妄想か幻想か、その類いかも知れません。医者にかかることが先決かも知れません。

ただ、悩んでいるのには違いありません。

そこで、死線館の都市伝説について、その詳細をおうかがいしたく、こちらにメールさせていただきました。

お忙しいかも知れません。ですので無理にとは望みません。DOUBTZ様の日常に支障がなければ……でかまいません。

よろしければ、教えてください。

では、失礼いたします。



P.S.

ここ1ケ月以内のことですが、DOUBTZ様のもとに「月乃」というかたがメールを送信しませんでしたでしょうか?

私の親友なのですが。

いえ、事実でなければ、お忘れください。










 後藤創真のせいだと思っている。確かに都市伝説ジャンクションの話を引きだしたのはあたしのほうだけど、まさかあんなにイケメンで、体育会系で、でも身贔屓で、女々しくて、月乃さんとは不釣りあいで、似合ってなくて、それがムカついていて、だから彼にハメられたと思うことにする。とても癪に触っているということにする。

 さて、死線館について、DOUBTZとやらがどこまで知っているのか。どのみち、彼の持っている知識も巷の噂がソースとなっていることは明々白々なので、あまり期待はしていない。なにしろ今のあたしは、受け売りの情報を返信されて満足できるようなお気楽な状態にはない。余命、幾許もないあたしにとって糠喜びは致命的。ハナからすべての情報を懐疑し、精査し、吟味し、選別してコトにあたらなくてはならない。

 その“コト”が“どんなこと”なのか、まだわからないけど。

「幾許もない……のか?」

 まだ疑っている。だから、なにをすればいいのかがわからない。どんな“コト”にあたればいいのかが。

「ダウツさんよ、頼むぜぇ?」

「DOUBTZ」と書いてそう読むらしい。ペンネームかどうかはわからないが、偽名には違いない。もちろん外国人である可能性も否定できないが、いずれにせよ「疑う」という動詞+複数形?が本名のはずもない。きっと彼もまた、匿名という偽りに胡座をかく今どきの“怖がりさん”に違いない。

 それでも、頼みの綱は彼からの情報だ。前に進むにせよ、諦めるにせよ、あたしの今後の行動は彼からの情報にかかってる。

 月乃さんはもう無い。

 如璃は音沙汰がない。

 敦子は落ちこんでる。

 来瞳にはまだ概要を打ちあけていない。

 ナオとは、うまく顔をあわせられない。

 誰にも頼めない。あたしを動かすよう、今後の行動に選択肢をこさえるよう、前に進まれるよう、それとも諦められるよう、頼める人間が身近にはいない。だから、

「……頼むぜぇ?」

 怖がりさんに頼むしかない。別に、後藤創真にうながされたわけじゃない。すべてあたしの意思。

 数人の女が、ちらりとあたしに目をやりながら、黙ってとおりすぎていった。携帯電話を気にしながら独り言をこぼすブレザ姿の少女。そんなヤツ、あたしなら気味が悪くて視線もくれないはず。ちらりと気にかけてくれるぶん、みんな優しい。

 このうちの何人が、自分を偽って生きているんだろう。そして、もしも偽ったぶんだけ寿命が縮むと知ったのならば、何人が本音に転じるんだろう。胸のうちをさらけだし、我がままに、ありのままに、自分にさえも嘘を吐かずに生きていくんだろう。

 そんなことが可能なんだろうか?

「ムリに決まってんじゃん」

 鼻で笑い、ふりかえった。

 この駅前広場に集う者、そのすべてが、常に自分を偽りながら生きている。友達のため、仲間のため、恋人のため、それともコミュニティのため、カテゴリィのため、コロニィのため、それらを守るため、保つため、生かすため、要するに自分の保身のために、あえて偽って生きている。本音を抑え、省き、殺し、代わりに隣人を模し、倣い、宣いながら生きている。そのうち、偽りの姿こそが自分本来の姿だと錯覚し、誤認し、曲解し、あげくに崇拝することとなったままで生きている。

「自分を偽らないで!」というスローガンだって、結局のところ「少しだけ本音的なスパイスを隠し味にしたほうが吉」と指南しているにすぎない。当たり障りのない、ギクシャクしない程度にさらけだすことを提案しているにすぎない。

 事実、本音には殺意さえもふくまれる。

 だけど、目の前のスクランブル交差点で殺人事件は起きない。弾けたような格好をする誰もが、慎ましく信号を待っている。スローガンの半分は認めつつ、もう半分のところでは「殺しあいにならないレベルのナンチャッテ本音でしょ?」と受け流している。そして、消えてほしいと思っている隣人のジョークを笑い、殺してやりたいと思っている恋人の掌を握っている。

 偽りは、死よりも身近な、人の宿命だ。

 来春に死んでいるらしいあたしだって、いまだ、ナオや来瞳に偽りつづけている。体温恐怖症だということも、ナオの子供がほしいことも、来瞳をモデルにした小説を公表していて、その発覚を恐れるあまりに概要を打ちあけられないことも。それだけじゃない、偽らざるリアルな大城舞彩を、いまだ誰にも見せていない。あげく、自分自身にさえも嘘を吐き、それでよいと言い包め、隠匿し、すっかりと見失ったまま。

 胸のうちをさらけだす?

 我がままに?

 ありのままに?

 自分にさえも嘘を吐かずに?

「ムリに決まってんじゃん」

 不老不死になるよりも不可能だ。

“コトにあたる”……もしもあたしが自分自身の本音を理解していて、基づいて行動したのなれば、たぶん、都市伝説サイトの管理人にメールするようなことはなかっただろう。もっと大事な、切なる衝動に出ていただろう。それがどういう衝動なのかはわからない、でも、メールが本音に基づく行為でないことは胸の奥底が知っている。なんとなく、フィットしていない違和感がある。そうじゃないんだよなぁ、あたしのしたいことは……奥底だけが知っている。

 でもつまり、それがわからないぐらい、あたしは自分自身に蓋をしている。奥底にある大城舞彩は土葬のウサギのように姿をくらませ、時どき、かすかなオルゴールで在処を仄めかすだけ。もっと大事な衝動があるんだと、本音はそうじゃないんだと、どこからともなく囁きかけるだけ。

 USBメモリの購買も、たぶん、本音の部分では望まぬ行為であったはず。逆に、さらなる蓋となるような行為であるはず。偽りの行為であり、なおかつ、偽る習慣を助長する行為であるはず。

 そうじゃないんだとオルゴールは鳴る。

 でも、その在処がわからない。

 どこに隠したのか憶えてない。

 だから諦めてる。

 すぎたことだと諦めてる。

 終わった話だと諦めてる。

 なにを今さらと諦めてる。

 みんなそう。

 あたしだけじゃない。

 みんな、隠し、忘れ、諦めてる。

 誰かのために。

 つまり自分のために。

 平和のために。

 つまり保身のために。

 生きるために。

 生き残るために。

 生き延びるために。

 偽りは、

「命だ」

 本音は、

「死だ」

 それが普遍の常識だ、摂理だ。

 なのに……どうだ?

 笑える。

 笑える。

 笑える。

「偽ると縮まるんだって。笑えるよね?」

「え!? え!?」

 胸ぐらをつかまれた女は、まるで寿命が縮んだように目を丸くした。染めなおしたばかりだろう不自然な黒髪をアップにし、喪服の色をしたスーツを糊で固めたように上下に貼りつけている。いかにも輝かしい未来の始まりを希望し、挫折にはとことん目を瞑りたがっている風貌の就職希望者。どの面接会場で自分を偽ってきた帰りかは知らないが、少なくとも間もなく死ぬかも知れないという可能性は完全に見すごしているとわかる。

 笑える。

「笑えるよね!?」

「なん、なんですか!?」

「それは本音?」

「は? え? ほん?」

「そのリアクションは本音かっつーの!」

「いや、あの」

「それとも偽り?」

「なに、なにを」

「どう生きてんのかって聞いてんだよ!」

 後藤創真の顔が浮かぶ。最愛の人であるらしい月乃さんの死後も間もなくにして、パリッとした袖に腕をとおし、テキストのように後ろ髪をラフな感じに仕上げられる紳士の顔。あげく、女子高校生を喫茶店に迎え入れ、元カノの思い出話に花を咲かせようと画策できる卑怯者の顔。

 あいつも、自分が死ぬなんてことにまで頭を働かせていなかった。もとどおりの、いつもどおりの偽りの姿で塗り固めてた。これからも生きていけると確信している、誰もがしているような顔をしてた。

 笑える。

 ムカつくほど笑える。

「もうじき死ぬとわかったらどうする?」

「死、え? え?」

「それでも偽るよね?」

「いつわ」

「それが普通だよね?」

「は、あ、あ」

 女は、泣きそうな顔をしている。

 別れぎわの、創真の顔。

「裏の裏で死にたくないとか叫ぶよね?」

「あ、あ、あ」

 ふぁん。後頭部に山手線が鳴いた。

 オルゴールじゃなかった。

「都合のいいなにかを期待して、誰かからそれを引きだすために叫ぶよね? 裏読みするよね? 本音じゃないよね? それが普通だよね!?」



「あー」



 突然、女が天を仰いだ。

 口を半開きにして。

 寄り目にして。

 弛緩して。

 抜け殻になって。

 この顔、は、

「か」

 いや、全身が、幼く、

「か、な」

 一瞬にして女は、

「か、な、え……?」

 喪服の少女になっていた。



 り ん



 オルゴールが鳴った。

 いや、いつもの、風鈴の音……。

 いや、オルゴール?

 あたしが聞いてたあの音は、ウサギの



「猫やよ」



 寄り目の香苗が、ぼそりと喋った。

 天を仰いだまま、弛緩したまま、母親に裏切られた表情のまま、喪服の香苗が、

「舞彩さんが埋めたのは、猫」

 久我香苗が、

「まだ息のある猫を」

「やめて……」

 あたしは、

「生きたがっとるナオンを」

「いうな……!」

 あたしは、あたしは、あたしは、

「生きたまま土に埋めたんや」

「それをいうなころすぞてめえぇぇぇ!!」



【 続く 】





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Nanase Nio




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